【第4部】
このショートステイで沢山の方に出会い、僕は大きく成長できたと思っている。母に騙されたと思い、はじめは嫌々だったが最後は参加して本当に良かったなと思えた。最近ハッチとマーシーに当時のことを確認したところ、ハッチは当時反抗期で親から離れたくて自分の意思で参加したことがわかった。親だけで勝手に決められた訳で無く、僕の誤解があったことも30年ぶりに分かった。
3か月のショートステイを終えて自宅に戻った僕は、すぐに行動に移した。とにかく市役所の障害福祉課に行って色々と相談してみた。今では当たり前の相談支援員制度が無い時代だったので、自分で動くしか無かった。僕の願いは「親無き後も、今の家でずっと住み続けたい」というものだ。そのためにヘルパーの時間を増やしていきたかった。今までの僕なら親に全部任せていたと思う。それは親のレールに乗ってるだけだ。3か月の経験を積んだ僕はそんな生き方は嫌だったので、自分のことは自分で決める事にした。
市役所の福祉課の方々にも分かって欲しいとの思いもあった。僕のように障害があっても自分の事を自分で決めるのは社会人として当たり前のことだと思うからだ。例えば、全て親任せの人生で親が亡くなってしまったら何の手続きも出来なくなってしまう。そんな事にならない為に、親が生きている間に色んなことを知っておくべきだと思うのだ。自分で市役所に行くようになってから沢山の支援やサービスがあることを知った。例えば、車イスを購入の補装具費用や、自家用車の助成金などだ。最近ではおむつや尿パッドなどの購入費用など今まで知らなかった支援があることを知った。ヘルパーさんから提案された「重度訪問介護」のサービスも内容について詳しく知りたかったので、福祉課に行き自分で話を聞きに行ったりもした。サービス内容も自分で納得できたから契約し、今現在も理想的な生活が送れている。母も「家族の負担を考えて、自分で色々と調べて行動してくれて有難う」と言ってくれた。
僕のような重度の身体障害者が窓口に出向き、相談や質問をすることで福祉課の方々の意識も変わっていったと思う。この時期、僕は自分が動くことで社会が変わっていくことを実感した。他の障害者も親任せにするのではなく、もっと自分で考えて行動すればもっといい社会に変わっていくのではないかと思う。
時は随分立ち僕が35才くらいの時、突然北岡さんから連絡があった。障害者同士が集まって色んな話や相談をするピュアカウンセリングの会があり、そこに誘ってくれたのだ。参加してみると、そこに深谷さん、希望の園の石川喜美子さんも居た。久しぶりの再会に3人で喜びあった。
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