鈴木正人の自伝「まぁいいっか!」 -4ページ目

鈴木正人の自伝「まぁいいっか!」

重度の身体障害がある鈴木正人(すすきまさひと)のブログ
1972年生まれ、三重県松阪市に暮らしています。
普段僕は車イスで生活をしています。
自分のこれまでの人生をまとめてみました。

僕の父は2013年、67歳のときに前立腺癌で亡くなった。父から体調の変化について特に聞いていなかった。しかし、父の髪の毛が急に薄くなっていくことに「変だなぁ」と僕は感じていた。ある日父と母の二人で出かけていき、母だけが帰ってきた。何か変だなと思った。父が帰ってこないことに不安なった僕は、「お父さん病気なん?入院でもしてるの?会いたいし、見舞いに行きたい」と母に言ったことがある。しかし母は、「あんたは気にせんでええよ。」と普段と変わらない様子で言った。父が家へ帰らなくなり一か月が過ぎていた。

 

227日、妹の子供の誕生日。僕は名古屋へシルクドソレイユと言う舞台を見に行く予定だった。その日の朝9時頃、急に母が僕の部屋に泣きながら入ってきた。とても動揺している様子で「お父さんが亡くなった」と僕に伝えた。後頭部を石で殴られたような、悲しみを超えた衝撃が走った。涙も出ないほどのショックだった。と同時に、僕は「やっぱりか!どうして僕に何も知らせなかったんだ!」と家族に対してものすごく腹が立ってきた。僕は入院した事すら知らされていないのだ。わかっていれば見舞いにも行けたし、父に聞いておきたいことも聞けたのに。ぼくだけ納屋の外か?と思った。大大ショックだった。

 

僕が住む松阪市の魚見地区では、お通夜やお葬式の会場や食事の準備は地域の人達が手伝う仕来たりがあり、家にもたくさんのご近所さんが集まって父の祭式を執り行ってくれた。

僕はお寺に行くためヘルパーさんに靴を履かせてもらっていた。その時、ふと通路の奥を見るとガラス越しに人影が動くのが見えた。その影は父の姿にそっくりだった。「ああ、お父さんも来てるだな」と思った。

お通夜のために電動車イスでお寺に向かった。ヘルパーさんも一緒だった。このお寺は僕が小さい頃、ラジオ体操へ行くときの通り道にある。もちろん父ともよく来た道だ。風景は昔のままだったので、とても懐かしく感じた。お寺はバリアフリーではなかった。僕は「外でいいよ」と言ったが、みんなで車椅子ごと担いでくれて堂内に入れてくれた。魚見のみんなは僕のことを知ってくれているから沢山の人が助けてくれた。後日の話しだが、希望の園の和尚さんに「まあちゃん、あんな重たい電動車いすで寺入ったら床が抜けてしまうわ!」と冗談半分で怒られた。

 

棺桶の中の父の顔は、おじいさんと凄く似てた。僕も死んだら、おじいちゃんと父と同じ顔になるのだろうか?そう思うと嬉しくもあった。父の顔を見たとき涙が込み上げてきて10秒くらい号泣したが、ぐっと堪えた。父が亡くなり男は僕だけになった。こんな場面で泣いている場合じゃないと思った。

 

今振り返って思うと、父が僕に病気のことを伝えなかった理由は、息子である僕に心配かけたくなかったし、弱みやかっこ悪い姿は見せたくなかったのかなと思う。家族も父と僕との絆を理解していて、僕に伝えなかったのだろう。今なら父と家族の気持ちも理解できる。

 

僕は今でも父の月命日には墓参りに行き、煙草のHOPEを線香替わりに上げている。父が生前大好きだった銘柄だ。

 

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