僕の家族は、障害がある僕を色々な所へ連れて行ってくれた。それは僕のような重度の障害がある子どもが外へ出て行き、社会に知ってもらうためだった。その思いは近所に浸透し、魚見町のたくさんの人達が僕のことを知ってくれていた。今回のラジオ体操の話しも、そのエピソードの一つだ。
以前にもこのブログで少し触れたことがあるのだが、4~5歳の頃、僕は夏休みのラジオ体操を楽しみにしていた。きっかけは幼馴染のノリヤ君が参加していると聞いて、僕も行きたいと思ったからだ。会場の公民館は家から歩いて3~4分の所にある。少し大きな通りに面していて、バス停があった。
僕は体操が出来ないのでみんなを見ているのが基本だったが、それだけで楽しかった。時々父が僕の膝を支えて立たせてくれることもあった。そんな時はみんなと体操出来ている気がして嬉しかった。しばらく通っていると、周りの大人たちが「ま~ちゃん、毎朝偉いなぁ」と褒めてくれた。僕にとってラジオ体操は他のみんなと同じように、夏休みの日課と思っていた。しかし、「僕だけどうして褒められるのだろう?」と違和感があった。当時はわからなかったが、あの違和感は「障害が有るのに偉い」と言う意味だったのではないだろうか。しかし、この言葉に悪意は無かったと僕は思っている。
今、大人になり父の月命日には必ず墓参りに行き、生前好きだった煙草を線香替わりに供えている。そこで近所の人と顔を合わすと「まぁちゃん、毎月偉いなぁ」と声を掛けられる。この「偉い」という言葉の意味は、子供の頃に向けられたものとは違う。純粋に僕が続けている事への言葉だ。しかし僕はただ、当たり前の事をしているだけだ。毎年お盆には亡くなった友達の墓参りをしている。そんなことは当たり前だと僕は思う。
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