先日8月22日(火) 東宝 映像事業部主催による

『小説吉田学校』DVD発売記念試写・座談会に

ブロガーを代表してご招待を頂き、行って参りました。



    『小説吉田学校』 8月25日発売 
    5,040円 発売元:東宝
    http://www.toho-a-park.com/
    (C)1983 TOHO CO., LTD.




昭和20年8月15日。


朕は時運の趨く所堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て万世の爲に太平を開かむと欲す



昭和天皇の詔勅、玉音放送を聞き入る日本国民の映像でこの映画は始まります。


GHQの占領下、吉田が宰相として日本の自治を守ろうと懸命に対峙し、新憲法を制定し、やがて講和を勝ち取り、造船疑獄を乗り越えて政権を守るも、やがて引退するまでの政争を描いています。


映画のタイトルである「吉田学校」とは、政治評論家戸川猪佐武の同名小説によりますが、これは吉田の影響を強く受けた生え抜きの政治家、池田隼人、佐藤栄作をはじめとする政治家たちを指しています。ですが孫の麻生太郎氏によれば、そのれは後世名付けられたもので、吉田自身にそのような意識はなかったようです。


その麻生氏、劇中では名だたる政治家たちが名前をキチンと表示してもらっている中、何度か吉田邸で遊ぶ太郎少年として姿を現します。


この映画「小説吉田学校」はヒューマン性よりも、その出来事を追った歴史ドラマの様相に近い映画となっています。


戦後から61年を迎え、戦争の記憶が風化し始めている今、戦争の悲惨さは辛うじて伝え残そうという動きがありますが、その戦争の結果日本がどのような歩みをし、何を為してきたかを語る機会はまだまだ少ないでしょう。

この映画では、日本が6年間GHQの支配を受け、自治を勝ち取ることがどんなに大変なことで、どんなに有難いことだったかを教えてくれます。


私は真っ暗な試写室の中で、大きな画面に映し出された戦後の歩みを見ていると、自分がその中にいるかのような錯覚を覚えたのか、吉田がサンフランシスコ講和会議で、講和の調印をするシーンでは、涙が流れて止まりませんでした。

そのときの吉田の心の呟きは、私たち一人ひとりに向けられたものとして、心に深く染み入りました。


日本が2600年余りの歴史の中で初めて他国に敗北し、支配を受けるということ。そしてそれから開放され、自由と民主主義を享受していることへの感謝。それを忘れてはいけないと痛感しました。

今日の自由と民主主義の陰には、多くの方々の血と、汗と、涙と労苦が流れているのだと、心に染みたのです。




日本は戦争に負けたが 講和に勝った



これは吉田だからこそ為しえたことと言えるでしょう。


駐英経験から英国紳士たらんとした吉田。決して流暢ではなかったのかもしれませんが、英国仕込の英会話力を感じさせる内容が、映画中にもありました。

吉田がマッカーサー元帥と会見するシーンで、吉田の主張にマッカーサーは苛立ち部屋の中を歩き回ります。それに対して一言。吉田は「まるでライオンだな・・・」と呟きます。

吉田は、自分は英語が決してうまくないので、唇を見ているのに、マッカーサーは檻の中のライオンのように歩き回るので、何を喋っているかわからないと、最高のジョークを言います。これにはマッカーサーも微笑み、ここでマッカーサーが吉田をリスペクトし、人間関係が生まれます。


こういう外交は吉田ならではだったかもしれません。




後半では講和以後の日本政治を描いています。

今日に繋がる政治の原点を見ることができます。


やがて時は流れて、時代は池田隼人から佐藤栄作の時代へと移ります。

池田と佐藤は争うことはあっても、高校受験以来の同じ釜の飯を食った仲である二人の絆は深く、吉田の忠言は心ならずも反目しあうこともあった二人の仲を佳きものにしたことが清々しく、それあっての日本の高度成長期以後の安定的発展に繋がったことを窺わせました。



映画「小説吉田学校」は近代政治史を知ることのできる秀作でした。




試写会終了後、吉田と対峙した鳩山一郎の孫・由紀夫氏との懇談会 がありました。


懇談会では、フリーライター上杉隆氏の司会により、幾つかのエピソードが語られました。

由紀夫氏は幼くしてお祖父様一郎氏を亡くされているので、記憶として、或いはお話として受け継いだものはないようですが、その遺されたメモの中には門外不出の貴重なものがあることと思いますし、それが活かされれば政治的にも有益なことでしょう。

残念ながらそういうお話は伺えませんでしたが、映画の中に登場する通称「音羽御殿」は、外観はどうやらセットではなく、実際にロケが行われたようです。これは貴重なお話でした。

鳩山一郎氏は、劇中で「左手・左足が利かない」ということから、脳卒中だったことが窺えます。卒中で倒れたのは、実際にはトイレの中だったそうです。高血圧の人が寒いトイレで倒れることは、今でもよくあることですね。


その鳩山に対して、三木武吉は「左手・左足を斬ってでも政界に引きずり出す」と言うシーンがあります。

由紀夫氏はそれを『情』とおっしゃっていましたが、私は情よりも毅然さを感じました。なかなか言えることではありません。政治への信念の強さ、そしてこの時代には、野中広務氏がよく唱える「信義」がありました。


その席で伺った最も印象的なことは、先頃ご逝去の松野頼三氏に宛てて吉田が送った書簡の中に、鳩山一郎を褒める記述があった、というお話でした。




後日、吉田茂についても取り上げます。