アマゾン熱帯雨林で2500年前の都市遺跡発見 エクアドル | ねぇ、マロン!

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BBC NEWS JAPAN より

アマゾン熱帯雨林で2500年前の都市遺跡発見 エクアドル

 

ジョージーナ・ランナード科学記者、BBCニュース

調査チームは、古代の住居の基礎と思われる、土を盛った「プラットフォーム」を6000カ所発見した

画像提供,STEPHEN ROSTAIN

画像説明,

調査チームは、古代の住居の基礎と思われる、土を盛った「プラットフォーム」を6000カ所発見した

南米エクアドルのアマゾン熱帯雨林で、生い茂った草木によって何千年間も隠されていた古代大型都市の遺跡が発見された。

この発見は、アマゾンに住む人々の歴史に関するこれまでの知見を変えるものだと、調査チームは語っている。

調査によると、エクアドル東部ウパノ地域では、住居や広場が道路や運河の驚くべきネットワークでつながっていた。

この地域は火山の麓にあり、豊かな土壌に恵まれていたが、この火山によって社会が破壊された可能性もある。

ペルーのマチュピチュなど、南米の高山地帯に都市が存在したことは広く知られている。一方アマゾンに住む人々については、遊牧的な生活を営むか、小さな集落で暮らしていたと考えられてきた。

今回の調査を主導したフランス国立科学研究センターのステファン・ロステン教授は、「これは我々が知っているアマゾンの遺跡のどれよりも古いものだ。この遺跡は文化や文明とは何なのかについて、我々の欧州中心の視点を変えなければならないことを示している」と述べた。

報告書の共著者であるアントワン・ドリソン博士は、「この遺跡は、アマゾンの人々の文化についての見方を変えるものだ。多くの人々は、恐らく裸の少人数グループが、土地を切り開きながら小屋で暮らしている姿を思い描くだろう。しかしここにあるのは、複雑な都市社会に住む古代人の姿だ」と語った。

考古学者らによると、この都市は約2500年前に造られたもので、人々はここに最長1000年ほど暮らしていたという。

特定の時期に何人が暮らしていたかを正確に推測するのは難しい。しかし調査チームは、数十万人まではいかないとしても、数万人は確実にこの都市にいただろうとしている。

考古学者らは発掘調査に加え、飛行機からレーザーセンサーを使い、300平方キロメートルの広さを測定。深い森林の下に埋もれた都市の痕跡を特定した。

レーダーによる調査を示した図

このLiDAR(ライダー、光による検地と測距)技術により、縦20メートル、横10メートル、高さ2~3メートルの「プラットフォーム(台)」が6000個見つかった。

このプラットフォームが3~6個集まったものが広場の周囲にあり、広場の中心にもプラットフォームが置かれていた。

研究者らは、これらの多くは住居だが、一部は祭典用だったとみている。キラモペで発見された都市には、縦140メートル、横40メートルのプラットフォームがあった。

これらの都市は丘陵を切り開いて造られ、プラットフォームは土を盛って築かれていた。

アマゾン熱帯雨林の中に、都市をつなぐ道路や運河が造られていたことが分かった

画像提供,STEPHEN ROSTAIN

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アマゾン熱帯雨林の中に、都市をつなぐ道路や運河が造られていたことが分かった

また、多くのプラットフォームがまっすぐな道路や通路でつながっていた。中には全長25キロメートルに及ぶ道路もあった。

ドリソン博士は、これらの道路が調査の中で最も衝撃的だったと語った。

「この道路網はとても洗練されている。非常に遠くまで張りめぐらされ、つながっている。そしてとても感銘を受けたのは、これらが正しい角度だったことだ」

ドリソン博士によると、まっすぐな道路は、地形に沿って道路を作るよりもはるかに難しいという。

ドリソン博士は、一部の道路には、祭典や信仰といった「非常に強力な意味」が込められていたとみている。

研究者らはまた、両側に溝があるあぜ道について、この地域の豊富な水を管理するための運河だったと考えている。

都市が脅威にさらされていた兆候もある。一部の溝は集落の入り口を遮るように造られており、これが近くに住む人々を脅威に感じていた証拠かもしれないという。

南米に特有の発見も

こうした都市の証拠が初めて見つかったのは1970年代だったが、包括的な調査が完了したのは今回が初めてとなる。調査は25年にわたった。

この調査により、大規模で複雑な社会が明らかになった。メキシコや中米に存在したマヤ人の社会よりも大きいとみられる。

「マヤのような文明を新たに見つけ、それが全く異なる建造物や土地の使い方、陶器などを持っていたと想像してほしい」と、英エクスター大学のホセ・イリアルテ教授(考古学)は述べた。同教授はこの調査には関わっていない。

同教授によると、今回の発見には、八角形や長方形のプラットフォームが並べられているなど、南米「特有」のものがあるという。

また、集落の間に長く掘られた道路があったことから、この社会が高度に組織化され、互いにつながっていたことがわかるという。

しかし、これらの都市に住んでいた人々やその社会については、あまり分かっていない。

プラットフォームからは、穴や炉、かめ、植物をすりつぶすための石、焼いた種子などが発見された。

キラモペとウパノに住んでいた人々は、おそらく農業が中心の生活だった。人々はトウモロコシやサツマイモを食べ、甘いビールの一種である「チチャ」を飲んでいたと考えられている。

ロステン教授は、キャリアの初期にこの調査について警告を受けていたと話した。当時、科学者らはアマゾンに古代人の集団は住んでいないと考えていたためだ。

「だが、私はとても頑固なので、結局調査した。今となっては、このような大発見ができたことをとてもうれしく思う」

研究者らの次の段階は、これまでの調査地域に隣接する、300平方キロメートルの未調査地域に何があるのかを理解することだ。

(英語記事 Huge ancient city found in the Amazon

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