五十肩、亡母 | 研のゲイ術的生活

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10年遅れの五十肩が痛い。  

整形外科医が、笑いながら、若いということです、と、世辞を言った。

笑ってる場合じゃない、痛くて夜中に何度も覚醒する。

できることはないようだ。時間が解決

そろそろ半年続いている。

整体、鍼、鎮痛剤、鎮痛テープ、足裏マッサージ、おまじない、とやれることは全てやってきた。

亡母の声の声が聞こえる:


肩、だいじょうぶ? ちゃんと食べてるの?


3年前、82歳で死ぬ直前まで、私の食事の心配をしていた。

心臓手術を3回もしているから、コロナになったら終わりなのはわかっていた。

だから、万一うつしたら大変だということで、2020年から3年間、実家に一度も帰らなかった

そうしたら、必然であったのだと思うが、世話をしていた弟が感染し、当然、母にうつってしまった。

これで終わりである。

2ヶ月入院し逝去。

入試問題の校正をしているとき、弟から電話があった。

タクシーで行ったが、間に合わず。

と言っても、昨今の治療だと、2、3ヶ月意識がないから、死に目に合うも合わないもないのである。

心電図が平らになるのを見ても特に意味はない(だろう)。

父の時も同じだった。半年意識がなかったから。

今のシステムだと、2、3ヶ月意識がないと、酸素を外し、「おみとり」、だと医師が言っていた。

おそろしい、今の医療は、見込みのない患者はこ◯すようにできていることを知った。

母はギリギリで外されずに済んだが、療養型の病院に転院をしつこく命令された。

意識がないのに移動されたら死ぬに決まっている。

港区の済生会病院であった。