ベロシップなんかないわたしら | 研のゲイ術的生活

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研の平凡なゲイ的生活を(ときおりは赤裸々に)語るブログ。


料理番組、喫茶店巡りの動画を見ると、亡母の料理を思い出す。

リストにしてみたが、三十、四十はある。

二度と食べらないと思うとつらい。

どこのカフェに行っても、母と同じスパゲッティ、少し焦げたハンバーグきんぴらごぼううどん卵焼きほうれん草のおひたし豆腐の味噌汁混ぜご飯、はない。どこにもない。

1970年ぐらいまでは、姑が嫁に料理を継承し、夫は母と同じ料理を死ぬまで食べることができた。

それは幸せな時代であったと思う。

などと書けばフェミニストたちは大騒ぎするだろうが、いくら喚いても恋しい味というものが消えるはずもない。

平野レミが、最後の講義という番組で、舌が、つまり、料理が繋ぐ人間関係、名づけて、ベロシップと言っていた。

牛トマは、アメリカ人の祖父から、孫まで5代、100年続いているそうだ。

これは、私らゲイには無縁の話。孫なんかいない。

未亡人になっても、自分の料理はきちんと作るそうだ。

週に一回は、蕎麦屋、あとは3日に一回、3日分の惣菜を成城石井で買ってくる中食の私とは真逆だ。