昔から、「気を遣(や)る」という表現が気になっている。戦後直後などのエロ本にもよく出てくる。「サア、気をやるんだヨ!」みたいに。
男の射精のことかと思っていたら、辞書を見ると、情交で絶頂に達することをいう、とある。「気」とはてっきり精液だと思っていた。
「気」は、東洋医学でも、中国武術でも、合気道その他でも中心をなす概念だが、それを、出してしまうのだから、どうなのか。
江戸時代の貝原益軒、『養生訓』に、有名な「接して漏らさず」というのがあるが、それで、意味があるのだろうか。欲求不満で長生きしても仕方がないのではないか。
女性に(ゲイの場合、男に)触ったり、話したり、接するが、出さないのがいいという。
ただし、江戸時代の、40歳以上の話である。いまなら60歳以上ということになるだろう。