韓国人の動画ツイートを何十回も再生し、射精の「瞬間」を撮ろうとするが、これが容易ではない。微妙にタイミングがずれる。理想は、噴水のような美しい模様を撮ることである。
小一時間もそんなことをやって人生を浪費している。大学院生のころの向学心はすっかりなくなってしまった。
こんなことに時間をとるなんて、昔は考えられなかった気がする(twitterもなかった)。
ゲイの自分を認めてもいなかったので、時間はすべて勉強に使えたが、いまは、間違っていた、と思う。
人生は楽しまなければならない。きっとノーベル賞とか学士院賞をとる人は研究自体が楽しくて仕方がない人なのだろう。
「苦労感」があってはだめだということが最近ようやくわかってきた。
楽しまなくては。楽しみの対象が問題であるが。
