あまり深くは論じられていない気がする。悩んで当たり前だ的な感じなのだろうか。分析してみたい。
同じぐらいの比率だとされる左利きは、そんなに悩まない。しかも、親に隠そうとも思わない、というか、幼児期にすぐ分かってしまう。
(1)ゲイという性質はぱっと一目では見えない(イカニモ系を除く)。
悩むのはマイノリティーだという、比率の問題なのか? しかし、東大卒は明らかに人口的にマイノリティーだが、悩むはずがない。だから、数の問題でもない・・・かというと、仮に、ゲイが男子の60%いたら、ぜったい悩まないだろう。やはり、
(2)マイナーで、かつネガティヴな性質だから、悩む。
しかし、何がネガティヴなのか? 女と結婚できないこと。子どもが持てないこと。しかし、子どものいない夫婦はいくらでもいる。マイノリティーだが、結婚しないノンケもいる。おそらく、
(3)ゲイだと、子どもをもつ可能性、結婚の可能性が一気にゼロになる、閉ざされる
というのが、ネガティヴなのだろう。他動的に決めつけられた人生という点。しかし、ここには、結婚と子どもが、人の歩むべき道だという押し付け、誤った伝統がある。ただ存在しているだけでよいという考えがない。ゲイというと、子孫を残すというイキモノ、生物としての人間だけが前面に出てきて、それが抑圧してくるのはなぜなのか。つまり、
(4)ゲイだと聞くと、急に、「動物」としての「ヒト」の生殖本能がない、と思われて責められる。
しかし、同じく、子どもの可能性が閉ざされていても、無精子症、その他で子どもを産ませられないと診断された男子は悩むだろうかというと、やはり悩むだろう。
しかし、ゲイの悩み方とは異質な気がする。例えば親や友人にそれを隠そうとするだろうか。するかもしれない。そういう人は悩みがすこしゲイに近づいている。しかし、根源的な、自己が崩壊する的な危機感はないだろう。まして自傷、自殺はいないと思うが、それは10代、20代ではないという問題に過ぎないのか。
ゲイであることを隠す最大の相手である親がいなかったらどうか。親が死んだ後、ゲイは楽になるだろう。もう隠さなくて済むからだ。同性婚も、し放題だ。
では、最初から身寄りのない、ゲイの孤児は、ゲイであることを悩まないか、というと、やはり、他の男子と自分は違うと思って悩むのではないか((2)にもどる)。親は死んでも、他人は死ぬまで残る。
しかし、無人島にいて、そこにずっと住むならゲイを悩むはずがない。
(5)他人がいるからゲイであることを悩む。
では、他人がいなくても悩むことはあるか? 水虫とか、健康面は、苦痛を伴うのでひとりでも悩む。しかし、それはゲイである悩みとは質が違う。ゲイとは、すぐれて他人の目とセットになっている、社会的な悩みであることがわかる。