ゲイ映画とエロ動画ゲイ映画、とくに、日本以外のアジアの作品を観ていると、性交は、ほのめかす、ないし、最初と終わりだけを提示する、という風に「記号」化されている。ここで2人がHします、という、合図、符丁にすぎない。一方、エロ動画では、ほぼ、その符丁だけを、詳細に、アップで撮影する。アップしすぎて、結合部しか見えず、興奮もせず、むしろ気持ち悪いことさえある。小津安二郎のごとく、静かに淡々とアップせずに撮れないのだろうか。その方がエロティシズムが出てくる可能性が高い。それはともかく、こうして、ゲイ映画とエロ動画と、役割分担をきっちり2分しており、両方を組み合わせると完全になるのは面白い現象である。組み合わされることは決してないが。