⑮ ヒメマスが二人を湖底へと導く |   マリモ博士の研究日記

  マリモ博士の研究日記

      - Research Notes of Dr. MARIMO -
  釧路国際ウェットランドセンターを拠点に、特別天然記念物「阿寒湖のマリモ」と周辺湖沼の調査研究に取り組んでいます

 「ヒメマスがマニペとセトナを湖底へと導いた」というストーリーの詳細である。初出は、1931年7月26日と27日の2日にわたって旧釧路新聞に掲載された「秘められた二つの魂-阿寒天然記念物『恋まりも』の伝説」と題するコラムだ。連載⑩の挿絵として前編の紙面を掲載したように、記事はかなりの分量となる。そのため、ここではヒメマスが現れる最後の部分のみ紹介することとしたい。

 

 「(メカニを刺した)マニペは人一人殺した罪を知っていた。彼は急いで湖岸に下り日頃乗り慣れた独木舟を漕ぎ出した。部落の方から数艘の舟でメカニ一家の者が板木を打ち叩いてマニペを捕らえに来た。・・・・・・彼は暫くぶりで蘆笛を心ゆくまで吹いた。咽ぶような余韻は遠く湖面を流れて行った。カモイゼップ(神魚、ヒメマスの謂)がマニペの舟を取りまいて湖底に深く導いた。

 

 数日後、マニペの死を聴いた病のセトナは、愛人の名を呼びつづけて湖岸に立った。凄い嵐の夜であった。天地は苦悩の絶頂にあるもののように喚いていた。彼女は痩せ細った腕で一人独木舟の櫂を握った。彼女の舟をもカモイゼップが取りまいて湖底深く導いた。

 

 阿寒おろしに誘われて湖が荒れるとセトナの咽び泣きにまじってマニペの蘆笛が聞こえて来る。一つのまりもの中には、二つの悲しい恋の魂が生きている! この伝説は永く部落に伝わって行った」

 

栗谷川健一作「伝説の湖-国立公園阿寒」

(1989年に阿寒観光協会が発行した「まりも祭り四十周年の歩み」から転載).

1956年にウィーンで開催された第4回世界観光ポスター・コンクールで最優秀賞を受賞した.

ヒメマスが登場する「恋マリモ伝説」がモチーフになっていると思われる.

 

 

 連載⑩で紹介したように、オリジナルのストーリーは、「日頃乗り慣れた小舟にのって漕ぎ出し(中略)愛づる蘆を取って吹きならし(中略)その夜からはマニべの姿は永遠に帰らなかった。次いで数日後セトナは愛人の名を呼び続けて死んで行った。それからは、湖の奥に生ずる玉藻の中には、きっと、二つ一緒になったのが只一個ある」というものだ。

 

 全体の展開や言い回しは、概ね原作に沿ってはいるものの、入水に際してヒメマスが先導役として登場するのに加えて、荒天の中、セトナが病床から抜け出して舟を湖に漕ぎ出すといった筋立ては、「秘められた二つの魂」に独自なものなっている。

 

 個人的には、マリモと並んで阿寒湖を代表する生物であるヒメマスが登場するストーリーを気に入っているのだが、1934年に札幌鉄道局が発行した「阿寒、屈斜路、摩周湖巡り」という旅行ガイドブック、そして1939年6月2日の旧釧路新聞に掲載された「可憐なまり藻に絡わる愛奴の悲恋物語」という記事など、少数を除いてヒメマス・バージョンの「恋マリモ伝説」が引き継がれた様子はない。

 

 これに対して、「湖水に身を投げたマニペの後を追ってセトナも湖中に身を投じ、それがマリモになった」というストーリーは、山本多助が1940年に日本旅行協会から発刊した「阿寒国立公園とアイヌの伝説」で紹介したのを機に、様々な出版物に繰り返し取り上げられるようになった。なぜか。物語はセトナとマニペを主人公とする悲恋でなくてはならぬ。ヒメマスがヘルメス(ギリシャ神話の神で、霊魂を冥界に導く役目を持つ)では、神話の類いになってしまう。そこで、現実にありそうな入水話が好まれたのではないかと想像しているが、どうだろう。

 

阿寒湖で開かれるヒメマス祭.ヒメマスはアイヌ民族の貴重な食料だった.

 

 

  (つづく

 

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【釧路新聞文化欄・日本マリモ紀行#476,2018年11月26日】