山下達郎、11年ぶり14枚目の新曲アルバム発売と言う事で、あっちこっちのラジオ番組に飛び入り出演!と言う事なんだけど、何だか違和感を感じる。
他番組に出演して担当パーソナリティーとトーク、そして商品宣伝と言う流れが、山下達郎のキャラに反しているのではないか?と感じてるファンって意外に多いのかもしれない。まず、対談企画も相手によっては面白いモンではない。リスナーが対談相手に関心が無い場合、感情移入も出来ないだろうし、聴いてて楽しかったとは思わないかもしれない。最悪、聴かない方が良かったかな?とすら感じる場合もある。
一方、テレビに目を向けてみれば、本人不在の特集企画をアッチコッチで放送。中でも嫌なのが、山下達郎の歌を他の歌手が得意気に歌うと言う企画。これは観てて気分が悪い。だから意識的に観ない。
ファン心理と言うか、やっぱり自分だけの山下達郎と言うのが居て、この手の企画は、それを侵される様な錯覚に陥る。「てめえ、歌ってんじゃねえ」みたいな感覚。こう言うのって誰にでもあると思う。それは悪い事だとは思わない。あっていい事だと思う。メディアも所詮は人気商売なんだから、そこに乗る客と乗らない客の両方が居ていいと思う。乗る事が正義で、乗らない事が悪なんて定義は何処にもないし、決めつける権利もない。観たくなければ観ない選択を選べばいい。
今回のPR活動。売る側の並々ならぬ意欲を感じさせてくれる訳だが、販売戦略の裏事情と言うのも関係してると思う。
意に反した活動に違和感を感じてるのは、実の所、達郎自身なのではないか?
達郎にとっての幸運は、70年代と言う<周りが余りウルさくない時代>にデビュー出来た事で、もしも今、山下達郎が新人デビューしたとしたら、テレビに出たくないとか、サブスクに提供しないとか、勝手な言い分は通らなかったかもしれない。色んなしがらみがある世の中で、やりたくない事はやらないと言う考え方は、社会的には<我がまま>と認識される。
多くの歌手の尊敬の的になる達郎ではあるが、尊敬以上に、自分のしたい事だけをする自由なミュージシャンへの憧れが強いのではないかと私は思う。2022年の今となっては、好きな事だけをやれと言う生き方をしたくても出来ない環境が現実にあるのだろう。増してや若い未熟な歌手達にはピンとこない。窮屈な制限を受けない時代に売れる事が出来た山下達郎は運が良かった。時代背景と環境で、何らかの運があった事は達郎自身もラジオで語っている。
どんな天才にも老いは来る。達郎自身も、もしかしたらこれが最後の露出過多になるかもしれないと感じてるかもしれない。
今年69歳。何が起きても不思議じゃない年齢で、今回の新作CDアルバムの11年と言う制作期間を考えても、次回は80歳と言う計算。幾ら達郎と言えども流石にって感じはある。アルバムの表紙が親友の漫画家・ヤマザキマリに描かした自身の肖像画って辺りも何だか意味深でシュールだ。
インタビュー記事によれば、達郎の最終ゴール地点はプロデューサーであると答えている。自分が歌う事は出来なくなっても楽曲提供は出来る。音楽界の未来と若い歌手への協力は惜しまないと答える。
所で先日話題になった、ヤフーの独自インタビュー記事。中々刺激的な内容であった。随所にメジャーに対する反抗意識が見られ、普段は見せない毒気が化学反応を起こして面白いインタビュー記事になった。政治的背景を絡めながら音楽に当て嵌めていく。難しい名前の作家を出し、引用する辺りに、かなりの読書通だなと思わせる。
永久保存版かもしれないから、此処に記録しておこう。以下、山下達郎インタビュー記事 ↓
「シティポップをどう思いますかと聞かれても、正直、『分かりません』としか答えられない。全ては運だとしか答えようがない。数年前に渋谷で、20代のアメリカ人青年に『GO AHEAD!』(78年)のアルバムにサインしてくれと言われて。どこで知ったんだって聞いたら、ネットだって。変な時代だな。ありがたいけど(笑)」
「私はね、極東の片隅のね、日本という国でね、ごく質素にやってきた者なんです。全然メインストリームじゃないんです。10代の時は音楽オタクで、誰も聴かないような音楽を聴いていたんです。全米トップ40も、トップ10にはあまり興味がなくて、目当てはいつも30位あたり。大ヒット曲には見向きもしませんでした。そういう音楽の聴き方で育った人間が作ってる音楽なんて、誰が聴くんだ?っていう疑問をいつも自分に投げかけて。なので、拡大志向はやめようと」
ライブには、長年のファンの子ども世代が訪れるようになった。
「それは日本が七十数年間平和だったからですよ。第二次世界大戦みたいに時代がバッサリ切られていれば、親子の断絶があったり、文化的な乖離があったりする。文化が続くためには平和が続くように努力しなくてはならない。だけど現実は、なかなかそううまくはいかなくて、この先どうなるか分からないけど、でも今まで生きてきて、自分が何をすべきかは常に考えてきたつもりです。僕は音楽家なので、それを音楽で表現しようと努めてきました」
2000年代に「CDの時代が終わる」といわれるようになると、08年にライブ活動を再開した。今もオリジナルのキーで歌うが、ボイストレーニングはしていない。
「ボイストレーニングはあまり信用してないです。個性をなくすから。例えばオペラのベルカントなら、スカラ座の壁を突き破るような声を出すための訓練が要る。でも、僕らはマイクに乗っける声なので、しゃがれ声でもとっちゃん坊やでも、それも個性になる。人間が肉体的にどこまでやれるかという観点では、歌うことはそれほど長く続けられない場合が多い。だから音楽文化は、比較的若い文化として享受されている。サッカーと同じで、年を重ねて声をちゃんとキープするのは容易でない。還暦過ぎてどれだけ声を出せるかは、運不運でしかない要素も多い」
若い音楽家への思いも込められている。
「若い人が音楽表現をどうやっていくのか。この年になると引っ張り上げる責任を感じるので。僕らは若い頃、音楽表現を貫徹することに関しては、わりと恵まれた環境でやってこられた。今の若い世代が自由にできているかというと、かなり疑問があってね。音楽表現をすることより、しばしば名声や金もうけが優先される。音楽でお金がもうかる時代が続いて、特に90年代の残滓がまだある。でも現実にはここ10年ぐらい、次第に苦しい時代になってきています」
音楽の聴かれ方は、半世紀の間に変化してきた。サブスクリプションでの配信を解禁しないのか尋ねると、今の時点で山下は「恐らく死ぬまでやらない」と答える。
「だって、表現に携わっていない人間が自由に曲をばらまいて、そのもうけを取ってるんだもの。それはマーケットとしての勝利で、音楽的な勝利と関係ない。本来、音楽はそういうことを考えないで作らなきゃいけないのに」
「売れりゃいいとか、客来ればいいとか、盛り上がってるかとか、それは集団騒擾。音楽は音楽でしかないのに。音楽として何を伝えるか。それがないと、誰のためにやるか、誰に何を伝えたいのかが、自分で分からなくなる。表現というのはあくまで人へと伝えるものなので」
「僕のビジネスパートナーは海外進出しようと何度も言ってましたけど、僕はずっと拒否し続けてきた。90年代の頭ぐらいには、ブライアン・ウィルソンとコラボやらないかとか、いろんな提案もあった。でも、興味がない。僕はドメスティックな人間なんで、ハワイとか香港とかマレーシアに行く暇があったら、山形とか秋田のほうがいい。そこで真面目に働いている人々のために、僕は音楽を作ってきたので」
「人類の歴史が変わるファクターは3つあるといわれているんですね。パンデミック、自然災害、戦争。今、同時に起こっている。20代、30代だったら、もうちょっと違うやり方をするけれども、47年間のポリシーみたいなものがある。リーマン・ショックの頃にはライブのお客さんに焦燥感のようなものが見えたし、東日本大震災の後も、とてつもない緊張感があった。今回、あんまりネガティブな作品は入れないようにしようと。ポップカルチャーは人の幸福に寄与するものなので。アジテーションとかアンチテーゼは世の中が平和じゃないとできないんですよ」
「大切なのは平常心でいること。僕、大きなパニックに強いんですよ。足つったとか、そういう小さいのには弱いけど(笑)。朝起きて、冗談言って、歌って……そういう人は生き残るって、アウシュビッツから帰還して『夜と霧』を書いたヴィクトール・フランクルが言っている。いろいろあっても、春が来て花は咲くしね。雨は降るし、空は変わらない。明るくやらないと、駄目でしょ」