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何でもアル牢屋

趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

夏は髪形を変えたくなる季節。

髪形の極端な人が居て、坊主かポニーテールのどっちかしかやらないと言う男が居る。その人によれば明確な理屈があって、坊主とポニーテールの共通のメリットは面倒臭くない。坊主ならば髪を整える必要が無い。ポニーテールもセットする必要が無く後ろで結べばいい。だから、坊主とポニーを行ったり来たりするのが面倒臭くなく、コスパもイイ合理的な髪形らしい。
ちなみに私は短髪もロングも両方経験がある。どちらもメリット、デメリットがあって、短髪は刈り立てが格好イイが長持ちしない。長髪はまとめやすいが、伸ばし続けるメンタルが必要。特に夏になると<切りたい症候群>に駆られて、散髪の誘惑との戦いになる。サブカルの、みうらじゅん氏によれば、過去に一度だけテクノカットにしたのが一生の不覚だったらしい。

髪形によるギャップも、面白い。例えば、山下達郎と言えばロン毛。山下達郎が角刈りになった途端、メディアは騒ぎ立てるだろう。すぐに週刊誌が嗅ぎ付けて、こんな見出しを立てる。

<山下達郎、ラジオで衝撃告白!ソフトリーな短髪に挑戦>

例えば強面俳優の小沢仁志が、バナナマンの日村みたいなマッシュルームヘアーになってアクションポーズを決めたら、どんなに素敵だろう。

例えば解剖学者の養老孟司先生が白髪のリーゼントを決めて、網と虫篭を持って森を駆け回ったら、どんな衝撃だろう。

髪形の醍醐味って言うのは斬新さではなく、「まさか、この人が!」って言う、ギャップにあるんじゃないかと思う今日この頃。

今年の夏の節電要請に関して、各テレビ局の番組で一般家庭に具体的な節電の内訳を伝えてる訳だけど、テレビって馬鹿だなと思うのは、大規模な節電で重要なのは小を大にするって考え方じゃなくて、まず大がどう言った節電に取り組んでくれるか?って所。

伝える側のテレビ局が、どういった節電に取り組むのかを、まず視聴者に示すべきだろう。それもしないで、世間様にはエアコン控えめにとか、冷蔵庫の詰め過ぎに注意とか、自分達の事を棚上げにするなよって。
今のテレビは駄目だなと思ってる視聴者の大半が思うのは、節電に向けて、まずは東京キー局の下らない番組を流す事を辞めてくれないかなって事であって、そういう電気と時間の無駄に関して会議を重ねてくれって想いなんじゃないかな。一般家庭には御協力を御願いしますと言って、テレビは通常通り放送致しますじゃ筋が通らない訳で、筋の通った報道をして頂きたいね。

山下達郎、11年ぶり14枚目の新曲アルバム発売と言う事で、あっちこっちのラジオ番組に飛び入り出演!と言う事なんだけど、何だか違和感を感じる。

他番組に出演して担当パーソナリティーとトーク、そして商品宣伝と言う流れが、山下達郎のキャラに反しているのではないか?と感じてるファンって意外に多いのかもしれない。まず、対談企画も相手によっては面白いモンではない。リスナーが対談相手に関心が無い場合、感情移入も出来ないだろうし、聴いてて楽しかったとは思わないかもしれない。最悪、聴かない方が良かったかな?とすら感じる場合もある。
一方、テレビに目を向けてみれば、本人不在の特集企画をアッチコッチで放送。中でも嫌なのが、山下達郎の歌を他の歌手が得意気に歌うと言う企画。これは観てて気分が悪い。だから意識的に観ない。

ファン心理と言うか、やっぱり自分だけの山下達郎と言うのが居て、この手の企画は、それを侵される様な錯覚に陥る。「てめえ、歌ってんじゃねえ」みたいな感覚。こう言うのって誰にでもあると思う。それは悪い事だとは思わない。あっていい事だと思う。メディアも所詮は人気商売なんだから、そこに乗る客と乗らない客の両方が居ていいと思う。乗る事が正義で、乗らない事が悪なんて定義は何処にもないし、決めつける権利もない。観たくなければ観ない選択を選べばいい。

今回のPR活動。売る側の並々ならぬ意欲を感じさせてくれる訳だが、販売戦略の裏事情と言うのも関係してると思う。

 

意に反した活動に違和感を感じてるのは、実の所、達郎自身なのではないか?

 

達郎にとっての幸運は、70年代と言う<周りが余りウルさくない時代>にデビュー出来た事で、もしも今、山下達郎が新人デビューしたとしたら、テレビに出たくないとか、サブスクに提供しないとか、勝手な言い分は通らなかったかもしれない。色んなしがらみがある世の中で、やりたくない事はやらないと言う考え方は、社会的には<我がまま>と認識される。

多くの歌手の尊敬の的になる達郎ではあるが、尊敬以上に、自分のしたい事だけをする自由なミュージシャンへの憧れが強いのではないかと私は思う。2022年の今となっては、好きな事だけをやれと言う生き方をしたくても出来ない環境が現実にあるのだろう。増してや若い未熟な歌手達にはピンとこない。窮屈な制限を受けない時代に売れる事が出来た山下達郎は運が良かった。時代背景と環境で、何らかの運があった事は達郎自身もラジオで語っている。
 

どんな天才にも老いは来る。達郎自身も、もしかしたらこれが最後の露出過多になるかもしれないと感じてるかもしれない。

今年69歳。何が起きても不思議じゃない年齢で、今回の新作CDアルバムの11年と言う制作期間を考えても、次回は80歳と言う計算。幾ら達郎と言えども流石にって感じはある。アルバムの表紙が親友の漫画家・ヤマザキマリに描かした自身の肖像画って辺りも何だか意味深でシュールだ。

インタビュー記事によれば、達郎の最終ゴール地点はプロデューサーであると答えている。自分が歌う事は出来なくなっても楽曲提供は出来る。音楽界の未来と若い歌手への協力は惜しまないと答える。
所で先日話題になった、ヤフーの独自インタビュー記事。中々刺激的な内容であった。随所にメジャーに対する反抗意識が見られ、普段は見せない毒気が化学反応を起こして面白いインタビュー記事になった。政治的背景を絡めながら音楽に当て嵌めていく。難しい名前の作家を出し、引用する辺りに、かなりの読書通だなと思わせる。
永久保存版かもしれないから、此処に記録しておこう。以下、山下達郎インタビュー記事 ↓

「シティポップをどう思いますかと聞かれても、正直、『分かりません』としか答えられない。全ては運だとしか答えようがない。数年前に渋谷で、20代のアメリカ人青年に『GO AHEAD!』(78年)のアルバムにサインしてくれと言われて。どこで知ったんだって聞いたら、ネットだって。変な時代だな。ありがたいけど(笑)」

「私はね、極東の片隅のね、日本という国でね、ごく質素にやってきた者なんです。全然メインストリームじゃないんです。10代の時は音楽オタクで、誰も聴かないような音楽を聴いていたんです。全米トップ40も、トップ10にはあまり興味がなくて、目当てはいつも30位あたり。大ヒット曲には見向きもしませんでした。そういう音楽の聴き方で育った人間が作ってる音楽なんて、誰が聴くんだ?っていう疑問をいつも自分に投げかけて。なので、拡大志向はやめようと」

ライブには、長年のファンの子ども世代が訪れるようになった。

「それは日本が七十数年間平和だったからですよ。第二次世界大戦みたいに時代がバッサリ切られていれば、親子の断絶があったり、文化的な乖離があったりする。文化が続くためには平和が続くように努力しなくてはならない。だけど現実は、なかなかそううまくはいかなくて、この先どうなるか分からないけど、でも今まで生きてきて、自分が何をすべきかは常に考えてきたつもりです。僕は音楽家なので、それを音楽で表現しようと努めてきました」

2000年代に「CDの時代が終わる」といわれるようになると、08年にライブ活動を再開した。今もオリジナルのキーで歌うが、ボイストレーニングはしていない。

「ボイストレーニングはあまり信用してないです。個性をなくすから。例えばオペラのベルカントなら、スカラ座の壁を突き破るような声を出すための訓練が要る。でも、僕らはマイクに乗っける声なので、しゃがれ声でもとっちゃん坊やでも、それも個性になる。人間が肉体的にどこまでやれるかという観点では、歌うことはそれほど長く続けられない場合が多い。だから音楽文化は、比較的若い文化として享受されている。サッカーと同じで、年を重ねて声をちゃんとキープするのは容易でない。還暦過ぎてどれだけ声を出せるかは、運不運でしかない要素も多い」

若い音楽家への思いも込められている。

「若い人が音楽表現をどうやっていくのか。この年になると引っ張り上げる責任を感じるので。僕らは若い頃、音楽表現を貫徹することに関しては、わりと恵まれた環境でやってこられた。今の若い世代が自由にできているかというと、かなり疑問があってね。音楽表現をすることより、しばしば名声や金もうけが優先される。音楽でお金がもうかる時代が続いて、特に90年代の残滓がまだある。でも現実にはここ10年ぐらい、次第に苦しい時代になってきています」

音楽の聴かれ方は、半世紀の間に変化してきた。サブスクリプションでの配信を解禁しないのか尋ねると、今の時点で山下は「恐らく死ぬまでやらない」と答える。

「だって、表現に携わっていない人間が自由に曲をばらまいて、そのもうけを取ってるんだもの。それはマーケットとしての勝利で、音楽的な勝利と関係ない。本来、音楽はそういうことを考えないで作らなきゃいけないのに」

「売れりゃいいとか、客来ればいいとか、盛り上がってるかとか、それは集団騒擾。音楽は音楽でしかないのに。音楽として何を伝えるか。それがないと、誰のためにやるか、誰に何を伝えたいのかが、自分で分からなくなる。表現というのはあくまで人へと伝えるものなので」

「僕のビジネスパートナーは海外進出しようと何度も言ってましたけど、僕はずっと拒否し続けてきた。90年代の頭ぐらいには、ブライアン・ウィルソンとコラボやらないかとか、いろんな提案もあった。でも、興味がない。僕はドメスティックな人間なんで、ハワイとか香港とかマレーシアに行く暇があったら、山形とか秋田のほうがいい。そこで真面目に働いている人々のために、僕は音楽を作ってきたので」

「人類の歴史が変わるファクターは3つあるといわれているんですね。パンデミック、自然災害、戦争。今、同時に起こっている。20代、30代だったら、もうちょっと違うやり方をするけれども、47年間のポリシーみたいなものがある。リーマン・ショックの頃にはライブのお客さんに焦燥感のようなものが見えたし、東日本大震災の後も、とてつもない緊張感があった。今回、あんまりネガティブな作品は入れないようにしようと。ポップカルチャーは人の幸福に寄与するものなので。アジテーションとかアンチテーゼは世の中が平和じゃないとできないんですよ」

「大切なのは平常心でいること。僕、大きなパニックに強いんですよ。足つったとか、そういう小さいのには弱いけど(笑)。朝起きて、冗談言って、歌って……そういう人は生き残るって、アウシュビッツから帰還して『夜と霧』を書いたヴィクトール・フランクルが言っている。いろいろあっても、春が来て花は咲くしね。雨は降るし、空は変わらない。明るくやらないと、駄目でしょ」

読売新聞が、東京江戸川区で<引き籠り>の実態調査をしたらしい。

約18万世帯を対象とし、8000人が引き籠りである事が判明。年齢層は30代から50代が多く、その殆どが実家暮らしと言う内訳。だが、この調査。ハッキリ言って甘い。最新の引き籠り事情を理解していないなと思った。
引き籠りの定義を「仕事や学校に行かず、家族以外と交流しない人」とあるのだが、仕事してない、学校に行かないと言う部分は分かるんだけど、家族以外と交流している引き籠りだっている筈で、一概に定義で括れない。引き籠りの最新事情と言うのは、今時の引き籠りは、明るく元気でハツラツとしていて、陰湿なイメージって殆ど無い。むしろ、好き好んで引き籠ってる人の方が多いんじゃないの?と感じる位で、<引き籠り=陰湿>だった時代は、とっくに終わっている。

イケメンや美女の引き籠りなんてザラに居て、半年、1年引き籠ってて、どうなっちゃってるんだろう?と思って会ってみると、呆れる位、表情も明るくてテンションも高めで、よく喋る。引き籠って世間知らずなのかと思いきや、知識も豊富で社会情勢も把握している。引き籠りは読書家が多いので、その辺から知識や情報を得ているからだろう。
 

社会問題にされている<8050問題>って言うのは、80代の親と自立しない50代の子の生活事情を危ぶまれて使われている言葉なんだけど、これを言い出したら、7040だってそうだし、6030だってそう。8050だけの問題じゃない。

この問題も実の所、実態はそう暗くない。

そういう家庭に限って土地持ちの資産家だったり、アパートやマンションを経営してる中流階級の金持ちだったり、金に困ってない家庭が意外に多い。本当に支援しなければならないのは、孤立して、どうにも動きようの無い人達で、その人達をどうやって支援して社会の枠組に入って頂くかと言う事。判り易く言えば、強い奴は放置し、弱い奴を助けると言う事

引き籠り問題を一番熱心に、真面目に、長年研究してらっしゃるのは斎藤環さんで、斎藤さんが言うには、引き籠りに共通してるのは、活力の枯渇なのだそうだ。

最低限、動き出す為の僅かな活力が無くなっている状態。例えれば車がそうで、どんなスーパーカーもガス欠なら動き様が無い。活力の枯渇した人間は同じ毎日を繰り返す。食べて、寝て、トイレ行って、風呂に入って、歯を磨いて、テレビ観て、ラジオ聴いて、音楽聴いて、ゲームやって、映画観て・・・大体、こんなリズムで日々を繰り返す。確かに一連の動作は、エネルギーの消耗を抑え、最小限に留めている風に思える。引き籠る自分と向き合いながら生活を送る。賢いと言えば賢い訳だ。
 

最新の引き籠り事情を語る時に、昔のイメージを引きずるのは良くない。確かに変わった事は事実であり、風変わりで個性的な引き籠りが急増している。

引き籠りは人に会いたくないのではなく、実の所、人に飢えている。接触や会話もそうだし、キスやSEXだって人並みにしたい。それが思う様に出来ない<もどかしさ>に悩まされている。満タンじゃなくてもいい。枯渇したタンクに僅かながらでもガスを入れ、行動の切っ掛けを促してやる。

引き籠りを救う本当の支援って、そういう事なんじゃないのかなと思う。

YouTubeに<英雄星チャンネル>と言う動画があって、これが面白い。

懐かしいゲストを招いてのレトロ・トークと言う内容。司会進行するのが世界おもちゃコレクター・若藤昌男と、80年代に映画・ビーバップハイスクールで西を演じた永田博康の二人。この永田博康の繫がりで懐かしのビーバップ俳優達が芋づる式に登場し、撮影秘話や動画でしか聞けない裏話を披露してくれる。

観てて感心するのは永田博康の手慣れた司会進行ぶりで、違和感が全く無い。巷で秘かなビーバップハイスクール人気もあって、ビーバップ関連のイベントやVシネマ、ちょっとしたヤンキー映画に特別出演などに参加する事もあるそうなので、喋りの方も慣れてるのかもしれない。
この<英雄星チャンネル>の登録者数が最近、グングン伸びてきた。ついこの前まで270万だったのが、これを書いてる時点で300万を突破した。増えた理由の一つは新作映画の影響だろう。ビーバップハイスクールに関連した作品で、タイトルが「ビーバップのおっさん」

内容はと言うと、ビーバップ史上伝説のキャラになった城東のテルが主人公らしい。テル役には当時演じた白井光浩。ゲスト出演には清水宏次朗が演じた加藤浩志が登場。二人とも還暦近いジジイ。当時を知らないと何の話だか判らないので万人向け、大衆向けと言う内容ではない。大手番組で宣伝もしないだろうし、新規で観たいと言う人も中々居ないだろうから、カルト映画、マニア映画と言うしかない。7月24日に東京の渋谷ユーロライブにてプレミア上映されることが決定したらしい(以降、全国で順次上映&イベント開催予定)。

考えてみると「ビーバップハイスクール」と言うタイトルは不思議で、学園モノだからハイスクールと言うのは解かる。その学園を舞台にして不良を扱うんだから、タイトルは「ヤンキー・ハイスクール」でも良かった筈。反抗をテーマにするのであれば「ロックンロール・ハイスクール」でもシックリくる。

 

でも何故、ビーバップハイスクールなんだろう?
 

ビーバップって言葉を調べてみたら、音楽のジャズの一形態らしい。正しくはビバップで、仮名表記でビーバップ、ビ・バップと表記されるそうだ。

日本ではジャズと言えば喫茶店。ジャズ喫茶なんて言葉が流行った時代もあった。ジャズと喫茶店と不良。ビーバップハイスクールのタイトルの由来に関しては情報が見当たらない。原作者のきうちかずひろは、ジャズが好きで、そこから連想して喫茶店。喫茶店と言えば80年代の不良のたまり場。だからビーバップハイスクール。こう考えると腑に落ちる。

勿論、真相は知らないけどね。

 

第167回 BE-BOP HIGHSCHOOL 山田敏光【ビーバップ 土岐光明】 - YouTube