外国俳優のクリス・クリストファーソン、往年の名女優・マギー・スミス、日本ではイラストレーターの山藤章二。連日、有名人の死去報道がネットを賑わせている最中、目に留まった記事があった。
唐沢俊一、2024年9月24日死去。享年66歳。
この名前と記事の写真を見たのは実に何年ぶりだろうか。私が20代の頃に、よくテレビで見掛けた顔だった。いつも黒っぽい服を着て、頭には金田一耕助みたいなカマ帽を被っている。独特な嫌味を醸し出す声と喋り方。私の印象は、何か判らないが<いつも怒っている人>。そんな感じだった。
今も昔も、テレビには素人とプロの境界線が曖昧な人達が存在している。
当時、唐沢俊一をテレビで観ていた時、何をやっている人なのか判らなかった。ウィキペディアによると、日本のカルト物件評論家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ、劇作家、演出家。元朝日新聞書評委員・・・これでは肩書と言うより、取り合えず無理やりこじつけたとしか思えないし、そのどれもが中途半端である。
オタク評論にしろB級評論にしろ、この評論家と名乗る人は勝手に名乗っているだけの人達な訳で、当然ながら、そんな肩書で飯は食っていけないし、小銭稼ぎをした所で埒が明かない。不思議な事にテレビと言うメディアは、そう言った人達を何処からともなく連れて来ると言う習性を持っている。
80年代から90年代初期に至っては、超常現象、心霊、未確認飛行物体、UMA、こう言ったオカルトが流行った時期で、謎の霊能者がタレント化し、テレビは大いに彼等を活用した。冝保愛子や織田無道、矢追純一が代表的な人達だろう。こう言った流行にテレビは、もう一工夫する。彼等に反抗する人達を仕向け、口論バトルを展開させる。つまり視聴者に喧嘩を見せる。視聴者は、その喧嘩を面白がる。すると視聴率は上がる。その悪乗りでスポンサーが増える。こう言う仕組みだった。
今現在、テレビ業界は<一般の素人>の起用を辞めている。辞めた原因の最大の理由は、一般の素人は怒りを抑えきれず、すぐに怒り出すからだった。
テレビタレントは、他者からの悪口、誹謗中傷に慣れている。それは彼等が訓練されているからで、一般の素人はそうはいかない。番組中、タレントが冗談半分でからかったりすると、血相を変えて怒り出す。タレントの方は、まさかこの程度で怒り出すとは思わないからビックリする。すると番組は異界と化し、スタジオに居る共演者も唖然とし、視聴者も、その妙な雰囲気に気付く。
「これって、ヤラセとかドッキリじゃないよね?」
それどころじゃなく、番組の進行が完全に止まった状態。この流れを作ったのは、明かに素人の出演者であった。
プロのタレントではない唐沢俊一には、そう言う所があった。業界用語では、進行を妨げる<壊し屋>とか、生放送中に危ない発言をする輩を<ボンバーマン>とか言うらしいw
今は違うが、売れる以前のマツコ・デラックスにも、そう言う危なさがあった。彼はワイドショーのコメンテーターをしていた時期があって、司会者がネタを振る度に危ない発言が返ってきた。そんな緊張感が嫌で、番組は彼を卒業と言うオブラートな表現で辞めさせてしまった。そんな危なさが今でもあるのか、彼が生放送をやってるのは東京MXのマイナー番組「五時に夢中」だけで、他は全部、編集の出来る収録だけである。
会った事も話した事も無いが、唐沢俊一と言う人は、世間とソリが合わない人だった気がする。自分には没頭するモノがある。それは楽しい事だ。何故、他の連中は判ってくれないんだと言う戸惑いと怒り。今時のネット住民と言われる人達が正にそうだろう。怒り易く、人の迷惑を考えない。自分が楽しいと思う事だけを優先する。自分と何の関係もない事に怒り出し、ネット記事を見つけてはコメント欄に書き込み、聖戦の如く代理戦争を始める。
今にして思えば、唐沢俊一って言う人は、その先駆けの様でもあった。更に言えば、唐沢俊一みたいな人達が、日本に一杯出てきた。そういう意味では、唐沢俊一と言う人は決して過去の人ではない。むしろ、早く出過ぎた<時の人>なのかもしれない。
みうらじゅんと言う人が居る。御存知、サブカルの帝王である。
みうらじゅんと唐沢俊一は同じタイプの様な気がする。趣味を愛し、探求心を持って分析や考察をし、モノを集めたりする。だが、みうらじゅんは愛され、唐沢は嫌われた。それは何故か?何故違うのか?誰か説明できる人が居るのか?こっちは愛され、あっちは嫌われる。何故、そうなってしまうのか?
みうらじゅんに聞けば、きっとこう答える。
「運がイイだけですよ。他に何の意味もありません」
この言葉一発で終わらせるだろう。
みうらじゅんを愛する人達は、彼の趣味に恐れ入ってる訳ではなく、その人柄に惚れ込んでいるのである。何か凄い事が出来る訳でもない。凄い才能で唸らせる訳でもない。にも拘らず、彼の元には人が集まる。まるで漢の劉邦か、三国志の劉備玄徳か、その類としか思えない。
劉邦と劉備の共通点は、大した事は出来ない、これと言った特技が無い、むしろ弱いと言う点だった。その弱さ故に、何かしてやりたくなる、放っておけなくなる、助けてやりたい、何も無くてもイイから一緒に居たいと思わせてしまう奇妙で不可解な天才達であった。唐沢と、みうらじゅんの違いはソコにあった。弱さを見せられるみうらじゅん、自分は強いんだぞと強がってしまう唐沢俊一。この点で二人の個性は分かれた。
唐沢俊一は度々、文章盗用をしていたらしい。簡単に言えば、他の著書から文章を引用し、自分が考えた文章の様に細工して、自分の著書として商品化してしまう。この事に関して彼は「引用のミス」と言う発言をしたそうだが、引用のミスと言うよりは、デリカシーの無さと言った方が判り易いのかもしれない。
引用が悪いのではなく、引用するならするで、本の中に参考文献として明記すれば良いだけの事だったのだが、それをしなかった。本が商品として流通した時点で、そこには礼儀と筋と言う概念が出る。唐沢俊一は、その筋を通さなかった事によって身を滅ぼした。当然、世間に明るみになる。信用を失う。テレビの仕事も来なくなる。出版業界からも総スカンを喰らう。そうして唐沢俊一は忘れ去られていった。
彼の唯一の慰みは動画配信だった。私は思う。盗用の一件が在ったにせよ無かったにせよ、唐沢俊一の居場所は無くなっていたと思う。ネットの普及で、彼の需要が無くなってしまった。その居場所を奪ったネットにすがるしか手が無くなった。何という皮肉だろうか。
唐沢俊一の最期は孤独死だったらしい。誰かに見取られた訳ではなく、自分以外、誰も居ない場所で、暫くの間、遺体は放置されていた。記事によれば9月24日に死亡し、漫画家の弟の元に連絡が言ったのはいつだったのかは公表されていない。心臓から来る体調不良だったとの事なので、見つけたのは担当の介護ヘルパーだったかもしれない。
唐沢俊一の名誉の為に書いておくけど、間違いなく彼には才能があった。書籍があり、世間様に出て来れた時期があったと言う事は、運と才能が無ければ出来ない事で、そう言う天運が一時彼にはあった。
何となく想像してしまう。唐沢が全盛だった時代から時が流れ、日本は大きく変わった。人も社会の仕組みも変わった。多様性なんて便利な言葉も出てきた。表舞台に出る事が無くなった唐沢は、日陰からどう見えていたんだろう。弟によれば、晩年の彼は恨み節であったと言う。社会を憎み、人を恨み、浮世を離れて隠遁生活を送っていた。
唐沢に欠けていたのは、人徳と他人への思いやりだった。もしも彼に筋を通す潔さと、他者に対する愛情があったら、別の運命が待っていただろう。今となってはタラレバと、もしもの世界である。

