子の為に死ねる母親、死ねない父親 | 何でもアル牢屋

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テレビの刑事ドラマを観ながら、母と一緒に昼飯を食べていた時の話。
子の犯罪を庇って母が罪を被ると言う展開を迎えた時、物は試しとばかりに聞いてみた。

「ねえ、俺の為に死ぬ事って出来る?」

母は答えた。

「うん、死んでやるよ」

そう答えた母の言い方には躊躇いや迷いが全く無かった。ついでに、もう一つ聞いてみた。

「じゃあ、親父の為に死ぬ事って出来る?」
「冗談じゃないよ。あんな奴の為に死ねないよ」


この二つの母への質問で判った事は、子に対する母親と父親の想いは全く別物であると言う事だった。同じ質問をすると多くの父親は、この質問に対し嫌悪し、そういう話は辞めろとか、その時になんなきゃ判らないよと言う答えが、かなりの高確率で返ってくる。しかも、その返答には迷いや躊躇があり、子からすれば父親の本音が見えてこない。
世の中には子を殺す親が居て、そう言う事件は報道機関が好き好んでワイドショーが取り上げる。ごく狭い局地的に起きている事件なので、この場合の親子の関係は、他人には理解出来ないサイコな世界である。母親が子を庇う典型的な物語の決定版が横溝正史の「犬神家の一族」であると私は思うが、映画も原作も、とても良く出来た内容だった。
この物語は子を持つ母親の視点から見ると、感情移入の仕方がまるで違うのではないか?菊人形の生首とか、天井裏の窓から覗く死体だったり、湖から飛び出た両足とか、お化け屋敷的な魅力もある作品だが、この物語の面白さはそこではなく、やはり<子に対する母の想い>こそが本質のテーマなのである。

非常に興味深い人物が居る。今話題の大谷翔平である。

先頃、10年1015億円の超大型契約を結んだ彼だが、その大金の管理者は彼ではなく父親なのだそうだ。この際、不思議なのは、何故、本人の金を父親が管理するのか?と言う点であり、色んな想像を膨らませてしまう。普通の感覚からして、自分で稼いだ金なんだから自分で好きに管理すれば良いじゃないかとなるのだが、そうなってない。
大谷翔平と父親には、親子と言うより主従の様な関係性を感じる。父親に頭が上がらない優秀な息子、その息子を徹底的に管理しようとする父親。これが健全な親子関係なのかどうかは意見が分かれそうだが、私的には異常さを感じざるを得ない。ポイントは、何故、息子を管理するのか?と言う一点であり、手綱を付けてないと何をしでかすか分からない息子と言う恐れを、父親は抱いているのだろうか?
それは父親としての直感なのか、それとも6億円を平然と世間にバラ撒く行為をしてしまう息子に対する危うさを察しての管理なのか。マスコミは怖がって敢えて言わないのだろうが、大谷翔平と移籍先のドジャースは、シーズン途中に水面下で明らかに密約を交わしている。移籍報道も終わってみれば茶番であり違反である。6億円のグローブ寄付も、それで腑に落ちる。なるほど、1015億もあると6億と言う数字も大袈裟ではなくなる。この際、1億、2億、遊び心で焚火に放り込んでも、それほどショックは無いのかもしれない。

親子関係は大概、父親が憎まれ役を演じ、母親が仏の様に君臨する。

以前、漫画家の本宮ひろ志の自伝に「ボス猿の本能」について書かれていた。つまり男と言うのは汚い言葉になってしまうが、メスとヤルだけの存在であり、オスにとって子と言うのは快楽の産物でしかないと言う理屈で、女性にとっては大変不愉快な理屈になってしまう。だが、そこには、どうしたって子を産むのは女と言う絶対的な現実があり、畑と種の関係性が浮き彫りになる。だからこそ男に怒りを感じる女達は、「試しにお前が産んでみろ!」という罵声になって男達の肝を抉るのである。
故に母親の子に対する「お前の為なら死ねる」と言う言葉が、子からすれば冗談に聞こえず、物凄いリアリティーを生み出す。不思議な事に父親が「お前の為に死ねる」と目を赤くし、血相を変えて言ったとしても、この場限りの凌ぎだろうなと子は疑う。子としての本音は、どっちも健康で長生きして欲しいと心から願っているんだけどね。