必殺仕事人の梅沢冨美男が異常にカッコいい件について | 何でもアル牢屋

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全33話で、もうすぐ終わってしまうのだが、現在午後4時に東京MXテレビで放送中の「必殺仕事人・激闘編」が、かなり面白い。これ、シリーズの中でも上位に入るのではないかと思うくらい見所がある。
今更、必殺シリーズとは何か?とか、ああだこうだと語る気は無く、私がここで語りたいのは梅沢冨美男である。このシリーズで仕事人の一人として登場するのだが、素晴らしい演技を披露してくれている。梅沢冨美男と言えば女形の大御所。だけども今は酒のCMやワイドショーのコメンテーターとして、ひょうきんで辛口の面白いオジサンって感じのイメージなのだが、この作品を観てると、やっぱり超一流の役者なのだと圧倒されるのである。

必殺と言えば中村主水の藤田まことであり、組紐屋の竜の京本政樹であり、鍛冶屋の政の村上弘明なのだが、梅沢冨美男が、このメンツの中に入るだけで作品に重みが増す。その存在感は異質であり特殊だ。毎回、その姿を見たいと願うのだが、残念ながら毎回出てくれない。かなり長期に出てくれないと言っても過言ではない。制作された85年と言う時期からすると、梅沢冨美男は舞台公演で相当忙しかったと思う。舞台には絶対と言っていいほど穴を空けないと言う舞台主義もあって、舞台俳優として映像よりも舞台を優先するプロ意識を感じさせる。
梅沢の演技には特徴がある。それは目と口の動きである。暗殺を生業とする女形の仕事人を演じる梅沢が、殺しで見せる目と口元の使い方は絶品で観ててゾクッとする。その姿がどうしても現在の梅沢の姿とリンクしないのである。あのひょうきんなオジサンが、こんな凄い演技をするのかと言うギャップに良い意味での驚きを覚える。梅沢の過去作を今時の若い視聴者に見せてやりたいなと個人的に思ってしまう訳であり、流行りのドラマ俳優ばっかり見て育ってきてしまった気の毒な世代に、いわゆる<本物の役者の演技>を味わって貰いたいとさえ思うのである。
 

必殺仕事人・激闘編で、殺しの前に流れる導入歌を梅沢冨美男が歌っている。「恋曼荼羅(こい まんだら)」と言う歌。

 

これがイイ!

 

サビの部分から痺れる歌声で歌ってくれる。作詞が阿木燿子、作曲が宇崎竜童で、宇崎夫妻が担当している。正直、彼の歌は、もっとも有名な「夢芝居」しか知らなかった世代として「恋曼荼羅」は刺激的で魅力を感じる。歌の上手さにも改めて驚かされる訳で、演技も歌も両方出来る二刀流で、私としては、もっともっと梅沢の演技を映像で観たいと願う視聴者の一人である。
不思議に感じるのは、現在の梅沢冨美男と過去の梅沢冨美男は、かつての藤田まことの中村主水と被る所がある。昼行燈(ひるあんどん)と言う役立たずみたいな悪口を言われる中村主水だが、中村主水の本当の姿は柳生新陰流さえ破るほどの剣豪であり、その姿を家族にも見せないキャラとして成立し、能ある鷹は爪隠すの生き方を自ら選んでいる。
梅沢はどうか?今現在の彼はバラエティーと言う隠れ蓑を被っているが、その真の姿は大俳優である。むやみやたらに映像に出て、その姿を見せる事を拒否している風にも思える。舞台に生きる俳優と、映像で生きる俳優は、同じ演技者であっても志が根本から違うのかもしれない。私の様な凡人には知る由もない。

日本の映像業界は不景気の真っただ中で、真面目に凄いモノを作る気概が欠けている。代わりに何を作ってるかと言えば<笑い><ふざけ>であり、何故そうなのか?を考えてみると、業界はモノ作りから逃げてるのかな?とも感じられる。つまり作品に自信が持てず、貶されても失敗しても言い訳が出来る様な作品にする事で<やり逃げ>して終わらせる事が出来る。自分達で自信の無いモノを作るだけ作ってサヨナラって作品が多過ぎるのである。