蛇鶴八拳・物語 最終章 | 何でもアル牢屋

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「少林寺の長老達を殺したのは、アイツなんだ」
黒龍党との大乱戦を脱した英風は、頭を割られ絶命したコウジュを抱くコウ・シンチュウ達を見ながら言った。「皆に会わせたい人が居る」
飛虎党首領のコウ・シンチュウ、四川唐門派のシュンラン、牢屋で兄弟の盃を交わしたロ・ロウカイ達。英風の案内で連れられた場所は滝の流れる庵であった。そこに姿を現した一人の老師。視聴者は、この老師に見覚えがある。冒頭に登場した8人の長老の一人であった。この事件の真相は一体何だったのか?老師は事の次第を語り始めた。

「去年、中秋の事だ。少林寺の八流派は会合し、各派の鍛えられた技を結集して蛇鶴八歩の拳を完成させた。その後、長老達は皇帝廟の前に集まり、更に武芸について語り合った。しかし、泉の水を飲んだ後、一同は突然苦しみはじめた。泉の水に毒が盛られていたのだ。気付いた時には既に遅く、覆面の男が現れて我等に襲い掛かった」

此処で回想シーンが始まる。

拳法を極めた達人たちも毒にはどうしようもなかった。一人倒れ、二人倒れ、バタバタと絶命していく長老達。倒れずにフラ付く者は覆面の男に容赦無く斬られ、遂に一人だけとなる。斬りかかる覆面男の猛攻を見事に捌いていく長老。鶴の拳を駆使し劣勢から反撃に転じる。長老の一撃が肩に当たり、破けた個所から覗いたのは青い痣であった。怯みはしたものの、刀を持って向かってくる覆面男だったが、長老は刀を持つ腕を取り、遠心力を利用して逆に覆面男の足を斬りつけ負傷させる。動きが止まった隙をついて長老は場を脱し、上り坂の林を息を切らせながら落ち延びていく。そこに現れたのは一人の青年だった。

「ワシは徐英風に助けられ、殺人者を見つけ出して復讐する事を誓った。そこで徐英風を我が弟子とし、蛇鶴八歩の拳の極意を仕込んだのだ。暗殺者が覆面をしていたのは八流派のいずれかの門人である事を隠す為だとワシは睨んだ。よってワシは此処に身を隠し、徐英風に探索を委ねた。徐が極意書を持っている事を故意に見せつければ、暗殺者はそれを奪いに現れるだろうと思ったのだ」

そこまで長老が話すと、一行の一人が口を挟む。「老師、犯人は黒龍党の宣と知れました。我等は力を合わせ、奴と一派を叩き潰してやりましょう」

だが長老は言う「南無阿弥陀仏・・・それでは更に多くの血を流す事になろう。ワシは九龍の矛の権威を持って、少林寺八流派の同志を招集し、全てに決着を付けるべく、黒龍派の宣に対して果たし状を叩き付けるつもりでおる」

九龍の矛について、何度も作品は観てきたが、全編通じてよく分からない。それについて冒頭の部分でちょっとした説明があったのだが、そこから考察するしかない。それが以下の説明。

「長老達は、この拳法の極意を記録に留めた後、極意の書は権威の印として九龍の矛を添え、盟主たる民主の保管に委ねられた。これを持って、天下に平和をもたらす為であった」

この説明から判る事は、舞台の時代背景が平和ではなく乱れている事。余談だが、アクション俳優のジェット・リーの出世作となった「少林寺」と言う映画では国の官軍と圧政を強いる反乱軍の戦いが描かれていたが、もしかしたら同じ時間軸なのかもしれない。群雄割拠ほどでなくても、各地で細かい反乱が起きており、治安が悪い状態。

俗世から離れた少林寺の僧達が下界に出来る事は何か?と思案した末に辿り着いた天下平定の究極拳。それが蛇鶴八歩の拳なのかもしれない。とは言え、やはり九龍の矛の存在は、よく判らない。蛇鶴八歩の拳の完成を祝った記念物と考えた方が簡単なんであろうか。

 

ここから先はラストバトルに入ります。最終決戦の記事を作ってみたものの、結局、実況中継みたいになってしまうし、観た方が早いだろうと思うんで、最終決戦の徐英風VS宣大人の吹き替え版を貼って置きます。そちらを御覧下さいと言う事で、この企画、終わりにしたいと思います。

と言う事で後書きなんですが、動画流行の、この御時勢に、敢えて、こう言った文章で表現する事が挑戦だと思いました。映像作品を敢えて文章化させる。実の所、メリットがあって、映像を観ただけでは判らない不明な部分を考察する事が出来ます。この蛇鶴八拳は子供の頃から大好きなジャッキー作品で、リアルタイムで神奈川県・川崎市の映画館に観に行きました。当時の私は7歳か8歳だったと記憶してます。

衝撃的に印象に残ったのは敵役の宣大人の頭突きで、頭突きにこれほどの威力と殺傷力があるのか?と幼心に驚きました。頭突きを格闘として用いるのは、我が国・日本では<相撲>がそうで、立ち合いで<ぶちかまし>と言う正式な技があります。一方の中国の少林寺にも頭力と言う頭を鍛え武器として使う技があります。そもそも頭突きは、どちらが源流なのか?色んな諸説はあると思いますが、おそらく中国が先であろうと考えます。やっぱり歴史的背景を見ても、日本の今の相撲は精々、江戸時代辺りが始まりで、中国の少林寺ともなると、かなり古い時代だし、体術を駆使した格闘の源流は中国からと言う説もあるから、やっぱり頭突きは中国の少林寺が発祥じゃないかと思ってます。