蛇鶴八拳・物語 その三 | 何でもアル牢屋

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第三章 飛虎党のコウ シンチュウとコウジュ親子

此処でちょっと我々視聴者が実際にした会話を想い出してみた。

「蛇鶴八拳って言うジャッキー映画覚えてる?」

「ああ、あのロシア帽の子が出て来るやつだろう?」


過去何度、このパターンの会話をしたか判らないのだが、不思議とロシア帽のコウジュと言うキャラは印象に残るらしい。象徴的存在と言っても過言ではないのだろう。饅頭を盗むシーンで初登場し、万引きがバレて店主にボコられる間際に英風に助けられ、それ以降、英風を「英風兄さん」と親しんで納豆の様に粘々と纏わり付く存在として立ち回る。漫画・北斗の拳で言う所のバットに近いキャラだろうか。
男なのか女なのか判らないキャラとして登場し、英風の持つ極意書見たさに女装して部屋で待ち伏せた辺りから、どうやら只の遊び人ではないらしい事が判明してくる。コウジュの正体は飛虎派(読みはヒコ派ではなく、びゃっこ派と読む)党首の一人娘だった。飛虎派は簡単に言えばヤクザである。巨大な組織ではなく、地方豪族の様な感じで、要塞を築いて睨みを利かしている。首領はコウ・シンチュウと言い、コウジュの父である。ヤクザの親分と言うよりは武芸者であり、片手には、いつも二個の鉄球を持ちゴリゴリと鳴らしている。座右の眼は<欲しい物は手に入れる>と言う事らしい。
ある日、何処ぞの寺を訪れた英風。何をする訳でもなく英風を後ろから付け回すコウジュに英風は言う。

「何故、付けて来るんだ」

「悪いか。来たいから来るんじゃないか。お前ひとりの寺じゃないだろう?」

「飛虎派の人間って皆、お前みたいに捻くれてるのか?」

「ど、どうして私が飛虎派の人間だって・・・」

「それだけじゃない。お前が総帥の一人娘だって事も知ってるよ」

「いつ、判ったのよ」

「あんたが女の子と判った晩からさ、コウジュ。あの時、髪に刺していた飾りは飛虎派の人間しか身に着けない物さ」

「本当にズルいんだから・・・」

「ズルいんじゃない。頭がイイの。悪くちゃ長生きできないぜ」


コウジュが、どの段階から父のコウ シンチュウから密命を授かっていたのか見当が付かないのだが、思い付くのは食堂で極意書を落とした辺りからだろう。それを帰ってから父に報告した訳だ。
思うにコウジュと言うキャラは、この物語に置いて、どんな立ち位置だったんだろうと考える。正体がバレてからのコウジュは英風に対して明らかに接する態度が違ってきている。今まで「お前」呼ばわりしていたのが、「英風兄さん」と呼び方を変えている。この呼び方から英風に対する叶わぬ淡い恋心が現れている。我々視聴者は、徐英風、シュンラン、コウジュの、ちょっとした三角関係が出来たと認識する訳だ。
だが、この物語は、コウジュを最後まで生かす事を許さなかった。最終決戦の前哨戦で、徐英風一派と黒龍党が正面から激突。両軍入り乱れての大乱闘の最中、運悪くコウジュは宣大人と遭遇してしまう。いつもの調子で向かっていくが常識外の宣大人はビクともしない。宣の一撃で倒れ込むが、苦し紛れのコウジュの蹴りが宣の逆鱗に触れる。宣は軽々とコウジュを地面から引き抜くように起こすと「喰らえ!ウラッ!」と言って頭突きを二回食らわす。
思うに宣はコウジュを殺すつもりはなかっただろう。言い換えれば殺す価値もなかったと言った方が合うか。ちょいと痛い目に合わせて御仕置をする感覚に近かったのだろう。俗に言う「ちょっと捻ったら死んでしまった」とか「撫でたと思ったら首の骨が折れて死んだ」とか、その類だったろう。
コウジュは頭突き二発で頭を割られ瀕死に陥り、コウジュは父・コウ シンチュウの副官に抱き抱えられて、その副官は戦線離脱をコウ首領に促して、追ってくる宣の猛攻を自らが盾になって戦死。
コウジュの死は初見の視聴者には予想出来なかったに違いない。

第一、今更死ぬ意味が何処にあるのか?

徐英風一派はコウジュの死よりも相変わらず長老達の敵討ちの方が比重が大きいらしく、悲壮感よりも宣大人に天罰を喰らわす事の方に御執心なのである。
では、父・コウ シンチュウはどうであったのか?そもそもコウジュを戦いの世界に投じてしまった張本人は彼である。極意書に執心すればするほど危険度は増していく事は判って居た筈だ。その最終ゴール地点は皮肉な事に娘のコウジュの惨死だった。一人娘ゆえに息子の様に育ててしまう困った父親と言うのは珍しくない時代なのだろう。日本の戦国時代にも、そんな光景はあった。娘を息子の様に育て、本人が幸せになったか不幸だったかは、死ぬまで判らないのである。

 

次回に続く