こんにちは

まーにゃですニコ



寒い日が続きますね

暖かいお風呂が嬉しい季節ですね♨️


江戸っ子たちも

お風呂好きだったそうです♫


江戸に銭湯(湯屋)が登場したのは

天正19年(1591年) 、家康が入府した翌年です。


構造的には

番台から入って脱衣所、洗い場まで仕切りはなく

一番奥が、浴槽でした。


▲歌川国芳画

猫が大好きだった国芳の絵。

擬人化した猫ちゃんが銭湯に入っています爆笑



初期は「蒸し風呂」が主流でしたが

やがて湯船が一般的になり

洗い場と湯船の間に

柘榴口という敷居が置かれるようになりました。


柘榴口(ざくろぐち)とは

壁の下の方が90センチほど開き

身をかがめて湯船に入るようにした出入り口です。

湯気を逃がさないようにするために

間口を小さくしていたようです。

同時に湯の汚れを見せない工夫なのだそうです。


銭湯の営業時間は

明け六つ(午前6時頃)〜夜五つ(午後6時)。


銭湯は身分に関係なく

下級武士や誘客、子供たち、商人や職人、

家事をこなす女性たちはしまい湯に。


2階には別料金の座敷もあり

身分に関係なく

囲碁や将棋をしたり情報交換をしたり

男性たちのサロンとして活躍していました。


初期は混浴だったのが

やがて男女別になりました。


料金は

初期で4〜5文

後期には、12〜16文で

だいたい掛けそば1杯くらいの

低料金だったそうです。


月に何度でも使える

定期券(羽着)もあり

貧しくても

身ぎれいなことが粋とする江戸っ子

日に何度も利用する者も多かったそうです✨


{emoji:ピンク薔薇}


洗い場

桶を使って体を洗う場所。


上がり湯

浴槽とは別に用意された湯。

洗い場でしっかり体の汚れを落としてから

上がり湯を使う人が多かったそうです。

▲この、左端のお湯をためているところですね


三助

お湯の準備や入浴客の背中を流す

男性労働者のことで

結構な肉体労働でした。

男湯も女湯も自由に行き来することができ

客に呼ばれればすぐに駆けつけて背中を洗います。イケメンの三助や手際のよい三助は

チップも貰っていたそうす。




{emoji:ピンク薔薇}


まだまだ寒い日が続きます。

お風呂にゆっくり入って

温まりましょうねウインク











こんにちは

まーにゃですニコ


前回は江戸の遊びについて載せました。

『江戸の遊びいろいろ』こんにちはまーにゃです江戸時代のお正月にはカルタや凧揚げ、羽根突き、双六貝合わせ、絵合わせ、花結び小鳥合せ、十種香、盤遊びなどといった遊びが盛んに行われていた…リンクameblo.jp



今日はその中から

「凧揚げ」について🪁


歌川芳盛 画『子供遊び凧の戯』

さまざまな凧で賑やかです♫


 平安時代に伝わった凧揚げは

当時「紙鳶」と呼ばれいました。


紙鳶は

魔物や病気などが風に乗って来るのを防ぐ

厄払い」の道具として使われていたそうです。


そののち戦国時代になると

武士が通信手段として

凧を活用したこともあったそうです。


江戸時代には

空中でバランスを取るために

数本の紙や糸が付けられたものが主流となり

ヒラヒラした足がイカのように見えたことから

「いか」「いかのぼり」と呼ばれるように。


 一勇斎國芳画江都勝景中洲より三つまた永代ばしを見る図

  正月の子ども遊びを描いたもので、場所は隅田川の中州


 貴族や武士だけでなく

庶民の間でも流行したようです。


しかし、あまりに流行り過ぎて

揚げている人同士でケンカになったり、

通行人の邪魔になったり

民家や大名行列に落ちたり

といった問題が多発したそうです爆笑あせる


そこでは

幕府により禁止されたのですが

庶民は足を8本にして

「イカではなくタコだ」と言い訳をしたことから、「タコ」と呼ばれるようになったそうです。

 


私は

凧揚げをしたことがないのですが

そんな、言い訳をしてまだ揚げたいほど

「凧揚げ」って面白いものだったんですねビックリマーク


たしかに

風に乗った凧が

悠々と青空を泳ぐ感じは

爽快で気持ち良さそうです🪁キラキラ


飛行機のなかった時代

凧揚げは

空を飛ぶことへの

あこがれの気持ちも乗せていたのかもおねがい



 



こんにちは

まーにゃですニコ


江戸時代のお正月には

カルタや凧揚げ、羽根突き、双六

貝合わせ、絵合わせ、花結び

小鳥合せ、十種香、盤遊び

などといった遊びが盛んに行われていたそうです。


今でも続いているものもありますね。


双六


鮮斎永濯画 子供遊び画帖

子供からおとなまで

一緒に遊ぶことが出来る双六は

人気があったそうです。


庶民が将軍や大店の主人や

人気役者や大奥女中になれたり


京都や富士山などの名所を

旅行したり出来ました爆笑


なので

コマを進めると出世できる「出世双六」

名所を巡る「名所双六」

歌舞伎役者が描かれた「役者双六」

が人気だったそうです。

夢のあるゲームだったんですね♫


子供にとっては

世の中の仕組みや身分についてや

日本の地理について学ぶ機会になっていました。


カルタ



楊洲周延画 千代田の大奥 かるた


16世紀後半に日本に伝わったそうです。


江戸時代のカルタは48枚1組で

現在のトランプに近かったそうです。


カルタはのちに賭博に使われて

たびたび禁止令が出されていたそうです。


凧揚げ


歌川芳虎画 子供遊 凧あげくらべ

これだけ上がっていると、糸がからまりそうですね!

外遊びの代表で

空を見るのは健康にも良いと

子供だけでなく大人も楽しんでいたそうです。


羽根突き



楊洲周延画 千代田之大奥 追ひ羽根


武家に女児が誕生した際に

羽子板を送る習慣があり

それが庶民にも伝わり

正月の女児の遊びとして

定着したそうです。


羽子板はコキイタ

羽根はコギノコと呼ばれていました。


元禄年間になると

羽子板や羽根に

錦絵や役者絵が描かれ

華美な装飾が施されるようになりました。


江戸時代の左義長羽子板。

葵の紋所から、徳川家ゆかりの品と言われています