こんにちは
まーにゃです![]()
新蕎麦の時期ですね^ ^
蕎麦は、夏と秋の年2回、収穫され、
大体6月から8月頃に収穫されるものが「夏新」
秋に収穫される蕎麦は「秋新」と呼ばれています。
http://www.tsurukisoba.com/info/
なぜ、夏にも秋にも「新」が付くのか。
それは、秋新は夏新に比べて、
味も香りも芳醇で色艶やかだからなのだそう。
秋新を好む風潮は江戸時代からあり、
昔から「新蕎麦」と言えば秋新のことでした。
そばは小麦と比べて収穫までの日数が短く、
あまり土壌が豊かでない土地でも育ちやすいため、
江戸では広くそばが浸透したと言われています。
脚気予防
江戸では
少しのおかずで、
白米をたくさん食べる習慣だったため、
多くの人がビタミン不足の状態となり脚気が流行!
江戸で流行したことから、
「江戸患(わずら)い」と呼ばれ、
江戸幕府の3代将軍家光、13代家定、14代家茂も
脚気または脚気に起因する病で亡くなったのではないかと言われています![]()
そばにはビタミンがたくさん含まれていて、
脚気予防に効果があったと考えられます。
ビタミンB1や食物繊維が豊富に含まれていて
カロリーも控えめな蕎麦、ヘルシーですね![]()
蕎麦の歴史
蕎麦の栽培は縄文時代から行われていたと言われてていて、その歴史は長いです。
もともとはそば粉を練ったものをお餅のように焼いて食べていましたが、
次第にお湯と混ぜて作る「そばがき」へ変化、
そばがき
そして江戸時代の初期に、
細く切った現代で食べられているような、
麺状のそばが誕生したと言われています。
江戸には、
単身で移住してきた男性が多く住んでいたため、
外食産業が盛んになり、
そんな江戸で人気を博していた
そば、天ぷら、寿司は三大ファストフードとして
人気だったそうです。
浮世絵の中に描かれたお蕎麦屋さん
夜蕎麦売り
歌川国貞の「今世斗計十二時 寅ノ刻」。
深夜3時から5時ごろのことで、
岡場所の遊女が描かれています。
左上に描かれているのは、
深夜まで蕎麦を売り歩いている夜蕎麦売りの様子です。
屋台に風鈴が2つぶら下げられていて、
風鈴蕎麦と呼ばれていました。
かけそばに具を載せており、
値段もやや高かったそうです
『神無月 はつ雪のそうか』歌川国貞
店舗型の蕎麦屋さ
幕末の江戸の町には、
700軒以上の蕎麦屋さんがあったそうで、
かなりの店舗数がありました。
この歌川国芳の作品、
「木曽街道六十九次之内 守山 達磨大師」は、
現在の滋賀県守山市に位置する、
守山宿の蕎麦屋を描いています。
当時の蕎麦屋では、
畳の上に座り、
床にお盆や蒸籠(せいろ)を置いて食べていました。
この浮世絵で
蕎麦をたらふく食べているのは、達磨大師です。
20人前くらいは食べていますね!![]()
出前
料理を配達して客前に届け運ぶ人を、
「かつぎ(出前持ち)」といいます。
天秤で蕎麦を担ぎ、
町を駆け抜ける威勢のいい粋な姿は、
江戸の華でもあったと伝えられる。
そば屋の「かつぎ」は、
茹でた蕎麦・つゆ・薬味などを入れた「慳貪箱」に、
天秤棒の格好(出前)で運んだそうです。
当時の神田橋のあたりの蕎麦屋では、
饂飩を入れる桶へ蕎麦を入れて運んだそうです。
歌川国貞/そばや乃かつぎ 関花助
緑がかった色、芳醇な香り、
爽快な喉越しは、新蕎麦ならではの味わい。
ツルッと喉越しを楽しむのも粋ですし、
新蕎麦はゆっくり味わうのいいですね![]()

























