こんにちは

まーにゃですニコ


九州地方は梅雨入りしましたね。

これから雨の日が増えて

様々な傘が花開く季節ですねあめ



江戸時代の傘

江戸がまだ関東の片田舎だった頃

雨具といえば合羽(かっぱ)や蓑笠でした。


竹の細い骨に紙を貼って

油をひいて柄をつけた「唐傘」を

庶民が使うようになるのは

江戸時代も半ばすぎだったそうです。

東都 御厩川岸之図(部分)/歌川国芳 


唐傘は、雨や雪の日だけでなく

夏の炎天下にも使われたそうです。

日傘としても重宝したんですね


享保年間(1716~36)、

唐傘はまだ大坂からのものが多く 

江戸では粗悪品が出回っていて

これに困った青山の唐傘職人たちが

組合結成の願いを出しました。


これがのちに

青山の下級武士たちの

傘張り内職となったそうです。

時代劇で武士の内職といえば

傘張りというイメージですが

ここから来ているそうです。


1800年頃から幕末近くなると

唐傘は江戸中に広まり

江戸の庶民の雨具となっていきます。


唐傘は「番傘(ばんがさ)」とも呼ばれ

商店などの広告を兼ねて

店の名前や屋号や番号が書かれてたものを

客に貸し出していました。

番傘は

雨の日には動く広告塔にもなっていたのです。

合理的な広告ですね爆笑


葛飾北斎/隅田川両岸一覧

こんなふうに、雨の日には

番傘の広告の花が開く風景が見られたそうです☔️


無限ループな傘の再生


破損した番傘の修繕をする傘職人を撮影した古写真


傘が破れて使い物にならなくなる

古傘買いが買い取る

浪人が内職で傘張り

再生された傘を売る

傘を買った人が破れるまで使う

破れたら古傘買いが買取

こうして繰り返し使いますウインク


エコと経済活動が両立した無駄のない循環💫

素晴らしいエコ社会ですよね✨


ビニール傘を使い捨ててる現代の私たちが

見習いたい江戸の文化ですね✨✨



ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)




こんにちは
まーにゃですニコ

今日5月21日〜6月4日は二十四節気のひとつ
小満しょうまん」です。


「万物盈満すれば草木枝葉繁る(ばんぶつえいまんすればくさきえだはしげる)」
という言葉が
江戸時代に発行された暦便覧にあります。
盈満(えいまん)とは、
物事が満ちる、という意味だそうです

柔らかな新芽は力強く天に向かって伸びる
梅の実も膨らみ
万物が勢いよく成長して
天地に生気が満ちるという
明るく活力がわく季節ですね✨



「小満」には
秋に撒いた麦の穂が付き始めることで
少し安心する(小さな満足を感じる)
という意味もあるそうです。

2023年は
5月21日から6月4日まで続きます。
田植えが始まる時期でもあり
各地で「御田植祭」など
豊作を祈って田植えをする神事が催されます。

「御田植祭」や「御田植神事」などでは
「紺絣(こんがすり)の単(ひとえ)」
「赤色のたすき」
「白手ぬぐい」
「菅笠(すげがさ)」
という衣装の女性が並んで苗を植えていきます。


この女性たちは、
田の神に仕える巫女と考えられていて
早乙女(さおとめ)」と呼ばれています。

衣装は地域によって差がありますが
すべて新品で揃えられることが多く
田植えの時には
田んぼの神様が降りてきていて
近くで見ておられるので「ハレ」の姿で迎える
ということのようで
豊作を祈る大事な大事な神事です。

各地に本当にいろんな衣装がありますね!

神聖な中にも可愛らしさもあり
これなら田んぼの神様も
喜んで下さることと思いますラブ

今年が
豊作で豊かな一年になりますように🌱✨






乙女のトキメキ国産小麦もいろんなメーカーのものがありますね

こんにちは
まーにゃですニコ

今年は4年ぶりに神田祭りが開催されるそうです。
日本三代祭り、江戸三代祭りのひとつで
江戸時代も盛大に盛り上がっていたようです♫
東京都千代田区にある「神田明神」と
氏子108町会で
5月11日(木)~17日(水)に開催されています。

朝日新聞


「天下祭」として知られる神田祭は
元和年中までは船渡御だったそうです。
延宝年中までは毎年斎行されていましたが
山王祭(赤坂・日枝神社)と
隔年で斎行することになったそうです。

江戸幕府の庇護を受けて
なんと、江戸城内にも祭礼行列が練りこみ
将軍・御台所の上覧もあり
「天下祭」と称されるようになりました。



明治時代半ばには廃れてしまいましたが

江戸時代の各町は山車で行列をしていました。


祭礼行列はまず、神主、神馬、榊など

次に各町の山車行列が行き

神社の神輿渡御行列、当番町が行う附祭

諸侯の武具行列、町奉行所の警固と

賑やかに続きます。


山王祭と神田祭が幕府の御用祭として

隔年で行われていて

山王で50、神田で40ほどの山車が出たそうです。


山車のテーマは雉子町なら白雉子

大工町なら棟上人形など

その町のシンボルであることも多く

町の特徴が出ていたそうです。


大伝馬町の諫鼓鶏(かんこどり)の山車。

山車は牛を伴い曳いていたそうです。

「神田祭礼出シ尽」(一長斎芳久)

現代の私たちは
これは娯楽、これは信仰などと
はっきり分けてしまうけれど
江戸時代の人達は
仕事も娯楽も敬虔なる信仰も
全てがないまぜになっていたのではないか
と言われていて
その、全てを「ないまぜ」にして楽しむところに
江戸っ子のパワーと教養と両方感じられて
独自の文化が花開いた愛すべき時代だなぁと
知れば知るほど興味が湧きますラブ



呉服屋の商品が買われ祭礼衣装に仕立てられて
ファッションショーとして宣伝も兼ねていたそう。
そういう発想も江戸庶民を巻き込む
成功の鍵だったのでしょうねチュー