こんにちは
まーにゃです![]()
江戸時代の中期から後期にかけて
多様な町文化が栄えました
それらを支えて発展させたのは
粋でいなせな職人たちですね
歌川国芳/十二支見立職人づくし
十二支の動物をさまざまな職業に見立てています。
全てが手作りの時代
手工業者を総じて「職人」と呼んでいました。
約140種類ほどの職種があったそうです❗️
すごいですね♫
職人は
自宅以外の作業場のある「出職」と
自宅や自宅そばに仕事場のある「居職」と
大きく2パターンありました。
当時は
親方に弟子入りする師弟関係が基本で
弟子をもつ親方は技術だけでなく
衣食住も面倒を見ることが多かったそうです。
一人前だけど
弟子を取らない職人は
平職人と呼ばれたそうです。
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数多ある職人のなかでも
伝統と気概で江戸の花形だったのが
大工、左官、鳶(とび)の三職でした。
彼らは
大江戸を築いた建設者として
「華の三職」ともてはやされたそうです。
誇り高く、粋で威勢がいいという
かっこいい一人前の職人になるまでは
過酷な修行時代があり
それを乗り越えたということが
自他ともにみとめる自信と信頼に
なっていたようです。
大工
大工の一例ですが
まず、12から13歳で親方に弟子入り
1〜2年は下働きとして
朝早くから掃除、飯炊きなど。
その後、親方の許しを得て
弁当持ちで仕事場に出かけますが
道具の名前を教わる程度で
仕事としては木屑集めか雑用。
夕方になれば、風呂焚き飯炊きと使われ
ちょっとでも動作が鈍いと
親方に怒鳴りまくられ
失敗したら往復びんたや飯ぬきの罰。
現代だったら
警察沙汰になりかねないですね![]()


八年目、二十歳位でやっと半人前となり
祭りの時期には小遣い銭がもらえたそうです。
さらに数年の修業を経て
やっとやっと独立できるようになります!
士農工商之内 画:歌川豊国
この試練を乗り越えて
晴れて独立出来たわけですから、
誇りと自信に溢れた
「華の三職」 となるわけです👍✨
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大工の賃金は一日あたり540文
普通町民の賃金が300文ですから
倍近い賃金だったようです。
実労働時間は四時間程度で
早朝・残業には時間外手当がつき
実労十時間なら、賃金は二日分!
また、江戸では頻繁に火事が起こったので
仕事が無くなることはなく
ひっぱりだこ❣️
当然、収入も多かったようですが、
当然、遊びも派手で、そこもまた
粋でカッコいい!となったようです![]()
大工道具
奈良県の民家から見つかった
江戸時代の大工道具一色です。
のこぎりや錐(きり)、かんななど194点あり
標準的な道具編成の大半がそろっていたそうです!
のこぎりの歯の向きを調整する「メハジケ」など
近世の使用が初めて実物で確認された道具もあったとのこと![]()
かんなが57点で最も多く
細かい仕上げが必要な作業がうかがえ
質、量ともに恵まれた一括資料で
大工道具の歴史を解明する上で
極めて重要なものだそうです✨✨
とても良い状態での発見は
この道具を使っていた大工さんが
いかに道具を大切していたのかが
伝わってきますね![]()
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