9月23日 10:04
2022年の秋分点
天河の大弁財天のもとで
お水の波動を採らせていただきました。
天河では終始雨でした。
弁財天=水の神、龍神にふさわしく
夜半から降り出していたのか、
秋分の朝は
樹も アスファルトも 屋根瓦も 畑のかぼちゃも
眼に映るすべてが
すでにしっとり 冷たい雫を垂らし
水量が増した天の川は
川底の石がひとつひとつ透けて見える、前日のエメラルドグリーンの神秘の淵から
泥水が怒号を上げて走る姿に、一晩で様相を変えていました。
岸辺の野花は首元まで泥水に漬かって、打ち寄せる波に、揺さぶられています。
美しい天女の、もうひとつの面。
この水のちからを
太陽が陰陽のバランスをとった、秋分点に。
波動取りのあと、天河の本殿に向かうと太鼓の音。
秋分の祈り
ここで大弁財天の氣に包まれたと思ったら、すぐ天川を離れることに・・・今回は、なぜかそのあと
吉野の丹生川上神社下社、上社を巡ることに。
(三社回れなかったのは時間切れ。なぜ抜かしたのが中社かは謎)
(上社、下社はご神紋が同じ=十六八重菊と三つ巴。これは天河大弁財天社の紋、公式のご神紋は不明だが幕や灯籠みられるご紋で皇室と龍、古代海人族のしるし)
これらは 高龗・闇龗
もとは 水の神・罔象女の社といわれた
丹生川上は 丹生川の上。
八咫烏に導かれてこの地に入った神武天皇
ネイティブ達との戦いに勝つために 天香山の土から天平瓮(あめのひらか)八十枚(やそひら)と厳瓮(いつへ)を造作り、丹生川(にうかは)の上(かみ)に陟(のぼ)って、天神(あまつかみ)地祇(くにつかみ)の祭(いはひ)、厳呪詛(いつのかしり)を為した。
時代かわって、天武天皇の白鳳四年(六七六)、
「人声聞えざる深山に宮柱を立て祭祀せば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めむ」との御神誨に因り、丹生川上神社が創建。(天河弁財天も天武天皇創建)
天平宝字七年(七六三)以降、丹生川上神社は、祈雨のために黒馬を奉ることとなる。
弘仁一○年(八一九)以後は、貴布禰社とともに祈雨、止雨の祭が行われるようにもなった。
都の南(午)に位置する、絵馬の発祥の地
しかしその後ながく所在不明となり、明治期に紆余曲折を経て、上、中、下の三社が丹生川上神社と認定された。
丹生という水銀(みずがね)の地で
雨を 水を 司る龍
下社由緒にいう、
その御神徳は
大気を浄化し、万物生成化育の根源たる水を主宰遊ばされ、地球上のありとあらゆる物質の上に、はかり知れない恩恵を垂れ給い、守護あらせられるいのちの神様である
下社の、この龍なんですが・・・・
秋分点から その日のあいだ、
雨の吉野で いくつもの龍氣に触れ続けたのが
今回のエッセンスになります。
リーディング結果は、
のちほど。
おまけ)
帰途、雨は完全にあがって
畝傍山に秋分の太陽が落ちていくところだった
山頂をみよ(笑)
下社、上社で八咫烏=龍宮の龍王(ミズハノメの夫)とつながったけど
この道程は神武天皇つながりでもあったのですね
そういえば、天河は神武天皇が「ひのもと」という言霊を降ろしたところという
2022年 秋分は
この日本(ひのもと)を造ったエネルギー、国の元のエネルギーとの邂逅ともなって
うれしく 思いがけない体験となりました。
ひのもと
火と水が調和
陰陽がバランスする秋分点に
七色の魔術師まーりん
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