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新潟合宿(中)

「ブルベ戦記」 第263
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11月初旬の連休中、所属しているR(ランドヌ)東京スタッフのうち有志ら6人で、「新潟合宿」と称して2泊3日の輪行&ツーリングの旅に出ました。
(上)のつづき


11/2 旅の2日目です。
新潟駅前のホテルにそれぞれ宿泊した我々6人は、早朝に再び駅前に集合しました。
今日はこれから、越後の商都・新潟から、小さな城下町・新発田方面へと走ります。

この日の新潟・下越地方は午前中は曇、寒冷前線の通過に伴い、午後から雨の予報でした。
予報に引きずられるようにいったんは雨具を着込みましたが、明け方に強く降った雨は朝になってやんでいます。雨具はとりあえず脱ぎました。


新潟駅前。私は15年ほど前に転勤で一時、住んでいたことがあり、土地勘はばっちりです。


さあ、出発、と思いきや、約1名(Yさん)が前夜に飲みすぎた?ためか、ホテルの床から起きられないようですw
置いてゆくわけにもいかないので、とりあえず朝食で寄る予定だった市中心部の古町にあるラーメン店に向かい、そこで待つことにします。



駅前通りでもある国道7号「柾谷小路」を新潟島へ。


新潟市中心部の信濃川河口近くにかかる萬代橋を渡ります。


整然とした街並みの新潟市。
新潟平野に流れ出た信濃川が日本海に達する場所でもあり、橋が多い街です。
歴史的には城下町ではありませんが、商都として栄えてきました。
最近、周辺市町村を合併し、いつの間にか本州の日本海側では唯一の政令指定都市にもなっています。


中心部の古町に到達。シンボルの高層タワー・NEXT21が正面に見えます。


早朝なのに営業しているラーメン店があるということで、さっそく。


麺が讃岐うどんのような形をしていて柔らかい。スープの味はもちろんラーメンです。


Yさんがまだ支度中のようなので、私はひとりで付近の散策に。


旧県議会。新潟は古今、政争の土地柄でもあります(近年はちょっと落ち着いているのかもしれませんが)。

新潟時代に勤務した職場の建物前にも立ち寄ります。
いろいろ思い出されて懐かしいですね。


また古町に戻ってきますと、Yさんはまだ、とのことなので、みんなでNEXT21に移動します。
こんなエスカレーターありましたね。早朝なのでまだ動いていませんが。


ここにもひとり、やはり飲みすぎたのか、まだ身体が動かない人(T編集長)が寝ていますw
この後、すぐにYさんが合流し、ようやく出発。市中心部を離れます。


と思いきや、コンビニがあったらすぐに寄ったりするのが、この合宿のいいところ。
時間はどんどん過ぎていきますw

今回の旅の幹事のWさん、2日目は午後1時に五頭温泉郷で釜飯を予約してくれていて、それが事実上のタイムリミットになっています。


ですが、、、、
まだ身体が思うように動かない人(T編集長)がいるようです。
彼は復活するでしょうか?


コースディレクターのWさんを先頭に、一行はいよいよ、中州状の新潟島を市中心部から信濃川河口へと向かいます。
午前中は曇り予報のはずが、空がすっきりと晴れてきました。気分も乗ってきます。


まずは信濃川河口をくぐる「新潟みなとトンネル」です。トンネルの長さは約1.4kmもあります。



自動車と自転車・歩行者でトンネルが分けられています。
通行無料で、ランニング姿の市民もちらほらいます。
出口(つまり向こう岸)の登りの最後は激坂状だったので、無理せず押して地上に出ます。


トンネルを抜けてもまだ新潟市です。
日本海に面した新潟空港の近くを通ります。



阿賀野川を渡ります。


新潟競馬場近くを通り、新発田へ。


道路の中央に雪国・新潟ならではの融雪スプリンクラーがあります。
長年の地下水のくみ上げで、路面は赤茶けて変色しているのがわかります。
ということは、地下水に鉄分が含まれている、ということかもしれません。


新発田市中心部に入りました。
静かな城下町です。


お城めぐり隊の残兵、新発田城跡に到着です。


赤穂浪士の堀部安兵衛の出身地ですね。まさに侍の町です。


そういう侍の聖地で、みたび例の「歌姫」=新潟合宿(上)参照=を踊らせようwというT編集長。
新発田城まで来て、やっと二日酔いだった身体が復活してきた、と溌剌としています。
よかった、よかった。


どこの地方都市もそうですが、新発田駅前も、商店街は「シャッター街」化しています。
その代りに、周辺の環状線などの大規模スーパーなどがにぎわっていたり。
こういうドーナツ化現象、なんとかしたいですよね。

現代のクルマ社会の功罪ともいえるでしょうが、
本来、列車で駅を降り立ったところにも、人のにぎわいがあってほしいですよね。


といったところで、鉄道の衰退を象徴するような場所へ。

旧国鉄の赤谷線跡です。
新発田と赤谷の里を結んでいましたが、1984年に廃線になりました。
そこになぜ我々が今回、訪れたかというと、その廃線跡がいまや立派なサイクリングロードになっているからです。


ここのサイクリングロードは完全な舗装ではなくて、パヴェ(石畳)区間のように路面がごつごつとしています。
赤谷線は、羽越本線の新発田駅から山間部に向けてゆっくりカーブを描いて分岐していたそうですが、その名残が、住宅地の中にこうして細長い公園となっていてよく分かります。

(廃線跡なんて趣きがあって、そこをサイクリングロードにしているなんて粋だし、いいかもしれない。来てよかった)。
走り出してすぐ、そう思いました。

新潟合宿(下)につづく


<markun 走行記録集>

  
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「ブルベはフランス語で『認定』を意味します。ブルベには様々なものがありますが、オダックス・ジャパン(AJ)が統括する日本でのブルベはBRMといいます。BRMは規定の距離を規定の条件で完走すると認定される長距離サイクリングです」

「同じ年に200km、300km、400km、600kmを認定された人はシューペル・ランドヌール (SR。英語ではスーパーランドナー)として讃えられます」

「BRMの最高峰として位置づけられているのが4年に1度、ACP(オダックス・クラブ・パリジャン) が開催するパリ~ブレスト~パリ ランドヌール(PBP)=1200km」

いずれもAudaxJapan(オダックスジャパン)HPより