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markikoのブログ

思ったままをつれづれに綴ります

あっという間に少し前の話になってしまったけれど、

両親のタイ訪問について書きとめておこう。



父は仕事の関係であっちこっちに行ったことのある人だけど、

母にとっては初海外。パスポートもこのために取得。



9月の目標を「両親にタイを楽しんでもらうこと」に掲げて

二人を迎えた。



たた2泊3日の滞在だったので、もりもりになってしまった。

昼間はいつも冷房がキンキンのオフィスにいるか教室にいるもんだから、

昼間の炎天下を感じることは少ない私。

自分自身もほんとぐったりでした。



一日目。



ホテルで合流。チャオプラヤー川を見ながらシーフードタイ料理を堪能。

いろんな料理を頼んだ中で、母が一番気に入ったのは、「パッタイ」

めちゃくちゃ庶民の味ですぞ。



父は「うむ。このパクチーはタイの味!って感じでいいなぁ。」と大喜び。

さすがTHEアジア人。適応能力の高いお人です。




その後ホテルで爆睡。




二日目。




「ココナッツファーム&水上マーケット&アユタヤ一日ツアー」


本当は自分でアレンジしたかったんだけど、

学期中は無理。そして私のタイ語力では、いちいち交渉していたら

大変なことに・・・ということで餅は餅屋に。



これ、すごく良かった。

自分じゃぁアレンジしきれなかったくらいもりもりの内容が

とってもスムーズにすすみ、非常に良かった。



夜はバンコクの絶景が見られる秘密のスポットへ。

私は行くのが4回目だけれど、何度いっても圧巻。

説明が難しいんだけど、階段の場所の関係で、

一瞬柵がないように見えるようになっている。

だから、ポーンとバンコクの夜景に放り出されるような

そんな圧倒的な夜景が見える場所。



超高層ビルの上にある超ハイソなレストラン&バー。

そこにいるのは、日本人や欧米人たち、そしてお金持ちのタイ人。


その下に広がる夜景の中には、ぼこぼこの道や貧しい家も含まれている。

含まれているどころか、そういう場所のほうが本当は多いんだろう。

特に初海外だった母親は、その夜景を見ながら、

複雑な思いになっていたようだ。




三日目。


エメラルド寺院、ワットポーの後は、私の生活圏を紹介。

ついでに日曜出勤していた同僚とも顔を合わせ、

最後はホテルでお見送り。

ものすごい距離を何度もタクシーで往復したこの3日間。




両親が来る前は、


(あぁこの風景の中に両親がいるって

すっごい不思議。いったいどんな感じかなぁ。

特にお母さんはどんなリアクションをするんだろう!)

といろいろ想像をめぐらしていた。



でも、来てみるとなんてことはなく、



そして帰ってみるとすごく寂しかった。




一緒にいると、あまりにも普通すぎて、

一緒にいる時間をできるだけ楽しくにこにこと

というより、「暑い暑いなんて暑いんだ!」と

言ってただけだった。




そういえば、私が1年ほどの海外生活から帰ったときに、

両親があまりにもあっさりしていたことに

驚かれたことがあったけれど、

私たちは(あえて日本人はとはいわない)あっさりしているのかな?


一緒にいるときはもうすぐにあっという間に当たり前にもどる。

でも、それがぽっとなくなると、とても寂しい。

で、当たり前に戻ってないで、当たり前じゃないように

ひと時をもっと大切にしときゃぁ良かったなんて

思ったりするんだ。



でも、当たり前のひと時こそ、

思いだしたときに愛おしい。

うまく説明できないけれど。



当たり前すぎる時間をあっさりすごした私は、

二人を送って帰るタクシーの中では涙が止まらなくて、

タクシーの運転手が悪いことをしようと企んでいたとしても

良心の呵責により、その気持ちがすっかり冷めてしまうくらい

ぽろぽろと涙をこぼしていた。



ホームシックになったりはもうしないけど、

家族と離れるときはいつもいつもさみしい。




そんなこと言いながら、

日本からかかってきた電話口の声は

いつもどおりなんだけど。














非常に個人的なことだが、

脱力したことを書き留めておこう。



昨年度の授業で私が一番時間をかけ、

大きなチャレンジをし、まさに寝る間も惜しんで

作り上げた授業「3年聴解・会話」クラス。



取り上げたのは「ディスカッション・ディベート」

学生のレベルからしたら難しいという要素も

もちろんたくさんあった。



自らの思考を深めつつ、

かつ根拠を示しながら相手に反論していく。

これを第2言語でするのだから、

もちろん大変だ。



ディスカッションでは、自分の意見を

述べるだけにとどまり、

相手の意見を受けて自分の意見を言うということが

できずにいた学生が、ディベートという役割が

はっきりした活動の中で自分の意見を

関連付けられるようになっていく姿に

彼らの成長を見ることができたと思っている。



そして、今年。




なんとこの授業開講されないことに。




理由は、おそらく「いい成績がとれないだろうから」




難しいことにチャレンジして、

自らの能力を高めていきたいというハングリー精神

のようなものはないのだろうか。




中級になり、書き言葉やフォーマルな言葉を

学ぶようになる頃に合わせ、

各科目間の連携を考え、

3年後期の授業にスムーズに移行できるよう

始めた今年度だったのに・・・。



私は、言葉は単に自分の思いや

考えを伝えるためのツールだと思っている。

いくらスムーズに素敵に言語を操ったところで、

その人の中身がなければ、人は耳を傾けないだろう。



そして、論理的に自分の考えを伝えるという作業は、

言語いかんを問わず、必要になる能力だと思っている。




日本語を主専攻で勉強し、

日本への留学についても考えている彼らにとって

一つの貴重な機会を一緒に作りたかった。




本当に残念だ。






来年はこの大学を去り、中級をがっつり教えられるような

環境とは無縁の生活が待っている。


最後の最後がこれか。。。




こんなことなら、もう去年でやめても良かった。

去年の3年生と完全燃焼して気持ち良くやめておけばよかったな。





虚しい。





もちろん後期の授業も頑張るつもりだが、

裁量の余地が少ない文法クラスだけだから、

アイディアマンの(自分でいっちゃうけど)私にとっては

物足りなくてたまらない。


いろいろチャレンジするにも限度があるから。

文法クラス。




最後の学期、のんびりやれってことかな。。。

溜息の木曜日なのであった。