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Wind Walker

ネイティブアメリカンフルート奏者、Mark Akixaの日常と非日常

崇(たかし)さんというお名前をたまに見かけますけど、なんで「祟り」(たたり)なんて物騒な文字を使うのだろう?

 

と思っていたら、全然違う文字だったのですね。

 

 

山+宗

意味:高い、尊ぶ

 

 

祟り

 

出+示

意味:神仏・怨霊による災い

 

 

半世紀近く生きてきて、ようやく違いに気づきました・・・。

 

全国の崇さん、申し訳ございません。

 

 

ちなみに私はよく「マイクさん」と間違われるのですが、マイクは「マイケル」の愛称、マークは「マルコ」の英語バージョンなのです。

 

 

マイケル

 

大天使ミカエルに由来

意味:神の如き者

 

 

マルコ

 

ローマの軍神マルスに由来

ラテン語のマルクスから、イタリア・ドイツ語のマルコ、フランス語のマルク、英語のマークなどのバリエーションが派生

 

 

・・・「マルコ」もキリスト教由来の名前だと思っていたら、違ったんですね。

 

世の中は知らないことだらけですけど、知っていると思い込んでいるものの中にも知らないことが潜んでいるから面白いですよね。

 

長く生きていれば生きているほど「そんなこと知ってるよ」と思いがちですけど、好奇心を失わない限り、この世界はまだまだ面白いことに満ち溢れています。

狼王ロボ シートン動物記 (集英社文庫)

 

『狼王ロボ』 シートン著 2008年(集英社文庫)

 

 

先月の原村でのライブでは宮沢賢治の「なめとこ山の熊」を小林節子さんに朗読していただいたのですが、シートン動物記の熊の話が読みたくなって本作を選びました。

 

本作には「狼王ロボ」、「灰色グマの伝記」、「カンガルーネズミ」、「サンドヒルの雄ジカ」の4編が収録。

 

狼王ロボの話は2018年にも読みましたけど、あちらは文字も大きく漢字も少なめ。本作は大人向けのシートン動物記でした。表紙はこっち方のが可愛いですけどね。

 

「狼王ロボ」はオオカミの被害を受けた牧場主の依頼でやって来たシートンがロボとの知恵比べの末に退治する話。

 

初めて読んだ時はロボの賢さにただただ驚嘆したものですけど、今回改めて読むと「もともと狼が先に住んでいた土地なのだから、人間が牛を連れて引っ越せばよかっただけでは?」と思ってしまいました。人間の都合でオオカミを駆除しただけに思えてしまって。

 

そのことをチャットGPTさんに伝えたところ、動物との共存は現在の考え方としては主流だが当時は害獣を退治するのは一般的だったこと。そして19世紀の米国西部はすでに土地が分配されており自由に新しい牧場に移る余地は限られていて、特に水のある場所(牧畜に不可欠)は希少で、そう簡単に別の土地へ移れなかったこと、シートンでさえロボの愛するものを想う態度に触れて初めて動物との共存を考えるようになったこと、などの点を挙げて嗜められてしまいました(笑)

 

 

「灰色グマの伝記」は母親グマと兄弟4人で暮らしていたワーブが人間に親と兄弟を殺されて、一匹で生きていく姿を描いた物語。

 

子熊にとって森の中は敵だらけですが、最大の敵はやはり人間。

 

何度も罠にかかりその度に怪我をして人間への憎悪を募らせますが、ある日出会った人間はじっと動かずにいたためにワーブも静かにその場を立ち去ったという場面がリアルで印象的でした。

 

日本では近年、人間が熊に襲われる事件が多発しているので、「どのように熊を駆除するか」という思考ばかりが今後ますます世間で広がっていくことになるだろうとは思いますけど、熊は熊で必死に生きているという視点も同じ国に住む同胞として忘れずにありたいものです。

 

どの話もシートンが動物たちに向ける観察眼と愛情をたっぷりと感じます。おすすめです!

 

 

 

 

ついでにチャットGPTさんに「『狼王ロボ』以外のシートン動物記の名作はどれ?」と聞いてみたところ、と「銀ギツネの伝記」という答えが返ってきたので、「銀ギツネの伝記」が収録された同シリーズの『愛犬ビンゴ』も読んでみました。

 

「銀ギツネ」もシートン動物記では珍しいハッピーエンドで終わるお話で良かったですが、「愛犬ビンゴ」がアホなのか賢いのか分からなくて好きでした(笑)

 

 

 

 

9月初頭に足を痛めてしまい、ほぼ毎日欠かさず続けていたウォーキングをまるまる1ヶ月間できないでいましたが、痛みがおさまったので久しぶりに歩きました。

 

ただの日課として無感動に歩いていたものですけれど、歩けない状況になってみて普通に歩けていたことがどれほど幸せだったのかを痛感いたしました。

 

歩きながら、よくライブで紹介しているラコタ族の祈りの言葉の、「美の中を歩ませてください、そして赤と紫に燃える夕陽をいつも目にすることができますように」(Let me walk in beauty and make my eyes ever behold the red and purple sunset.)という一節を思い出します。

 

それにしても、なぜ人は大事ななにかを失ったときにようやくその価値に気がつくのでしょう。

 

毎日を健康に過ごすことができてさえいれば、それ以上の幸せはないのかもしれませんね。

 

 

 

ところで小林節子さんのYouTube「小林節子のおしゃべりラジオ」に出演しました。

 

「ちょっとYouTube録らせてね」となんの打ち合わせもなく始まったので、原村時代のことばかり喋ってしまい、ネイティブアメリカンフルートの話をまったくしないで終わってしまいましたが、よろしければお聞きください(笑)