『コシャマイン記 』 | Wind Walker

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コシャマイン記・ベロニカ物語 鶴田知也作品集 (講談社文芸文庫)

 

『コシャマイン記 ・ベロニカ物語』 鶴田智也著 2009年(『コシャマイン記』の発表は1936年)

 

 

この前『熱源』を紹介した時に「アイヌを題材にした作品で賞を取るなんて珍しいこともあるもんだ」と思っていたら、1936年の第3回芥川賞でアイヌを主人公にした「コシャマイン記」という作品が選ばれていることを知りました。

 

 

コシャマインは日本人に騙し討ちされた酋長の血筋を引く少年。敵の大将が酋長の縁者を探し出して殺す中、勇者キロロアンに守られながら少年は母と共に他の部落の酋長の庇護を求めて逃避行を続け、再起を図るのだが・・・という話。

 

 

コシャマインといえば、1456年に和人に対して蜂起したアイヌの長。その人物の話なのかと思いましたけど、名前を借りただけの創作物語でした。

 

アイヌの英雄叙事詩のような形式で書かれ、アイヌ語の名称や地名もたくさん出てくるのですが、不思議とアイヌや先住民の話を読んでいるような気がしません。

 

巻末の解説では義経記と重なると指摘され、コシャマインとキロロアンのまるで義経と弁慶のような封建的な主従関係は「アイヌ社会にはなかったと思われる。」と書かれていて納得。アイヌの価値観というよりは時代劇のそれなのですよ。

 

義経といえば「判官贔屓」なんて言葉もあるように、ずっと雌伏の時を強いられる主人公の弱い立場には思わず同情を寄せてしまうものの、他の部族と団結したりそのための根回しをする政治力が主人公には絶望的に欠けている点がなんとももどかしく感じてしまいます。

 

昔は悲劇の主人公は好きだったんですけど、この年齢になると「状況を打開できるのは個人の力量よりも周りの人間を動かす力」ということを身を持って感じるからなのでしょうね。

 

あと貴種流離譚も昔は好きだったはずですが、今読むと「酋長の息子だからっていうだけでなんでこんな待遇を受けられるの?」と思ってしまうこともあり・・・まあ古い物語を現在の価値観だけで判断するべきではないのでしょうけれども。

 

著者はプロレタリア文学作家だったようで、この短編集では「コシャマイン記」以外のほとんどは名もない人々の苦難と悲哀を描いた話。

 

アイヌの話だからこそ手に取った本でしたけど、アイヌではなく初期の北海道開拓民を描いた話のほうが素直に楽しめましたし著者の本分でもあるように感じました。なぜ「コシャマイン記」で賞を取れたのかと疑問に思いましたが、解説でも「当時でも意外感をもって受けとめられたと思われる」とあったので、今となっては誰にも理由はわからないのでしょう(笑)。

 

なんにせよ、アイヌを題材にした作品が過去に芥川賞を受賞したことがあるという事実は忘れられるべきではないですし、読んで良かったです。万人にはオススメしませんが。