『陰翳礼讃』 文:谷崎潤一郎 写真:大河裕弘 (2018年)
『陰翳礼讃』は1933〜34年に谷崎潤一郎によって書かれた随筆。西洋のように部屋の隅々まで明るくするのではなく、薄暗さの中にこそ美を見出す日本人の美学や美意識について。
日本文化が西洋化していく中で失われていくものの巨大さに黙っていられずに書かれたものなのでしょう。
さて、この本も過去に読んだことがありましたが、正直言ってその時はあまりピンときませんでした。
今回はこの本の写真が素晴らしいという評判を聞いたので、また久しぶりに読んでみました。
そうしたら噂にたがわず写真とのコラボが素晴らしく、まるで最初からこの文章と写真があったかのような錯覚を覚えたというか、大川氏の写真がついてはじめてこの作品が完成したかのような印象でした。実に素晴らしいです。
ところでググったら『陰翳礼讃』のあらましがWikipediaに載っていて、内容はこれだけ読めば十分な気もしました(笑)。
昔この本を読んでピンとこなかったのは、年寄りが昔を懐かしんでいる話を延々と聞かされている気分になってしまったからなのですが、それは読んだ時点で既にここで語られている日本の美の多くが姿を消してしまっていたからなのでしょう。
現代の写真家とコラボした本作では、「まだ無くなったわけじゃないよ。今でも探せばあるんだよ」と教えてくれているようで、『陰翳礼讃』に再び生命を与えるのに大成功した試みなのではないでしょうか。
活字中毒の私ですけど、写真の力を思い知らされた一冊でした。おすすめです。
「今回はなにか寂しいぞ」とお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、本の紹介をする際に表示していた表紙の画像を掲載することを止めました。
「本の表紙にも著作権が認められているから」というのがその理由ですけど、「権利者から訴えられない限りは罰せられず、販売促進につながるものを権利者が訴えるはずがない」という意見もあって、実は私もそっち派でした。
しかし、「マークさんがやってるから大丈夫だと思った」という人が出てくる可能性に思い当たったのです。他人の行動の結果にまではとても責任が持てません。
他人の著作物をネットに上げる際には権利者の許諾を得ないと違法になります。自分で撮った写真であっても、購入した所有物であっても、法律的にはアウト。
例外的に「引用」という形であればセーフです。ただしその画像を引用する必然性があるとか、出典を明らかにするとか、いくつかの要件を満たさなくてはなりません。
この本の場合は表紙だけでなく、中の写真もいくつか見せた方が圧倒的に良さが伝わると思うのですが、単に私が「見せたい」というだけは引用が許される要件を満たせないので諦めました。
この法律の存在がかえって権利者(著者や出版社)の利益を損ねるんじゃないかと思わなくもないですが、「悪法も法なり」と獄中で毒杯を仰いだ古の賢人の言葉に従うことにします。
ちなみに私のCDや本のジャケット・表紙はSNSやブログに載せてもらって構わないというか、むしろウェルカムなので、いちいちご確認いただかなくて結構です。(ただしその作品を紹介する目的に限ります。私が関わっていないイベントで私の写真が勝手に使われたことが過去にあったので、そういうのは発見次第、激おこプンプン丸で対処させていただきます。)
○追記1:ググったら、「悪法も法なり」という言葉は "Dura lex, sed lex"(法は過酷であるが、それも法である)というラテン語の法諺を意訳したもので、実際はソクラテスの言葉ではないようでした。
○追記2:版元ドットコムさんに登録されている書影は、必要最低限のルールさえ守れば誰でも自由に使って良いことが判明しました。ルールはこちら。やっぱり宣伝してくれる人に画像も使わせないなんてことがあるとは思っていませんでしたよ。過去にあげた本の画像もすべて差し替えました。
○追記3:Amazonのリンクを利用して画像を大きく表示できることもわかりました。この方法も著作権法に抵触しませんし、版元ドットコムにすべての本の画像が揃っているわけでもないので一番便利かも。