Wind Walker

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ネイティブアメリカンフルート奏者、Mark Akixaの日常と非日常


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空白を満たしなさい(上) (講談社文庫)

 

『空白を満たしなさい』 平野啓一郎著 2012年

 

 

あらすじ:死者が生き返る事件が起こり始めた世界。ある晩、徹生は会社の会議室で目覚めた。帰宅すると妻から「あなたは3年前に自殺した」と言われる。子供も生まれ仕事も順調だった徹生には自殺する理由に覚えがなく、自分は殺されたのではないかと疑い始め・・・というお話。

 

 

平野啓一郎さんは「分人主義」という独自の思想で小説を書いている作家ですが、本作は分人主義とはなんぞやというのを他の作品よりもストレートに解説する作品でした。

 

心理学では核となる「本当の自分」がいて、その時々の相手に合わせた仮面(ペルソナ)を使い分けているとされていましたが、分人主義は相手に合わせて自然に変化する分人のすべてが本当の自分としています。

 

この程度の理解であった時は「ペルソナと大して違わないのでは?」と正直思っていましたけど、例えば誰かを好きになった時に相手への好意はもちろんあるとして、その人と一緒にいるときの自分が好きなのだということ。

 

そして好きな人が亡くなった時に悲しいのは、もうその人と会えないということと同時に、その人と一緒にいるときの分人をもう生きることができないからということ。

 

平野さんは分人主義を説明するサイトもたちあげていますけど、物語に沿って説明される方が概念として説明されるよりもずっと理解が簡単でした。

 

 

本作の大きなテーマは「自殺」。

 

人が自殺するメカニズムを「この自分が嫌だ」と思う分人を他の分人たちが消そうとすることとし、それを阻止するには自分が好きだと思える分人をたくさん作ること、つまり自分に良い影響を与えてくれる知人・友人をたくさん持つことと言います。

 

本作の文庫版は表紙が上下巻ともゴッホで読む前はその意味がわかりませんでしたが、自殺したとされるゴッホの「どのゴッホがどのゴッホを殺したのか?」という話が出てきて、今まで考えたこともないそのアイデアに感心しました。

 

 

読んでいる途中では「これは小説というよりも分人主義の解説ではないか」と思わないでもなかったのですが、終盤にまた思わぬ展開があり、ラストはなんとも切ない終わり方。

 

平野啓一郎さんの小説を読むのはこれで5冊目ですけど、そのすべてが傑作とは・・・!

 

たぶん同年代の平野さんと私は性格や思考回路や影響されたものなどが似ているからなのでしょうけど、本当に彼の作品が大好きなのです。これは彼の小説を読んでいる時の自分が好きということなのでしょうか(笑)

 

 

 

アメリカインディアンの世界ではよく「メディスン」という言葉を耳にします。

 

英語で「medicine」は「薬」という意味ですけど、彼らは「偉大なもの」や「不思議なもの」に対してメディスンという言葉を用いるのです。

 

例えば、スペイン人が連れてくるまで北米大陸に馬はいなかったので(原種はいたがとうの昔に絶滅した)、初めて馬を見たインディアンたちは驚いて「メディスン・ドッグ」と呼んだのです。

 

また呪術医のことも「メディスンマン」と呼びますが、彼らの仕事は病気を治すことだけではなく、逆に呪いをかけたりもします。医師というよりはやはり呪術師であり、霊能力者ですね。

 

 

ではなぜそのように不思議なもの全般をメディスンと呼ぶのか、その理由をずっと疑問に思っていたのですけど、先日読んだ本にその答えが載っていました。

 

それは、自分たちの共同体を良くするものはすべて「メディスン」だということです。

 

納得!!

 

 

・・・納得はしたのですが、それが書いてあったというのが例の真偽不明な『ミュータント・メッセージ』なのですよ。

 

書評の時のブログでは「その手の本の中ではトップクラスに面白かった」と言いつつ、「作り話の可能性が大」とも書いていたので、褒めているのか貶しているのか分からなかったかもしれませんが、本当にその両方なのですよ。

 

本を売るため・自分が有名になるために書かれた作り話だということは間違いないと思うのですが、だからと言って一から十まで嘘とも思えず、きっとなにかしら体験されたことを盛って書いたのではないかと思っています。願望込みで。

 

 

なんの役にも立たないものを「毒にも薬にもならない」という言い回しがありますけど、『ミュータント・メッセージ』に関しては毒にもメディスンにもなる一冊でしょう。

 

アボリジニの人たちが怒っていることを思うと安易に他人にオススメしてはいけない気もしますが、個人的にはフィクションであることを理解した上で読めばわりと面白い本だとは思っています。

 

 

 

本心

 

『本心』 平野啓一郎著 2021年

 

 

あらすじ:舞台は、「自由死」が合法化された近未来の日本。AIやVRの最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子は、自由死を望んだ母の本心を探ろうとする・・・という物語。

 

 

あらすじを見て「つまらなそう」と思ってしまい、正直読みたいという気持ちが湧かなかったのですが、『ある男』『マチネの終わりに』『決壊』と三冊読んでそのすべてが傑作だった平野啓一郎さんの現状での最新作がつまらないわけがなかろうと思い直して読んでみました。

 

結論から言えば、本作が平野さんの最高傑作でした。氏の著作のすべてを読んだわけではないですけど。

 

 

私はそもそもSFがあまり得意ではなくて、というのも「この作品内ではこういう状態が常識となっている」という設定を飲み込むのにいつも苦労するからで、本作の主人公の「リアル・アバター」という職業であったり、母親のVF(ヴァーチャルフィギュア)を作るという設定がある段階で抵抗があったのですよ。

 

しかしそれらの設定は決して突飛なものではなく現在すでにあるテクノロジーの延長線上にあるもので、2040年代の世界では普通に普及しているかもしれないと思える程度のものでした。

 

というか平野啓一郎さんの何がすごいかといえば、どの作品でも本当にこんなことがあったのではないかというほどリアルさを感じるところです。

 

私が思うにこの作品のキモは、VFなどの設定よりも社会の格差。

 

近未来の世界では今よりもっと貧富の世界が広がっていて、「自由死」が認められている理由も、経済的に自立できない人は社会に迷惑をかける前に自ら死を選んでほしいというのが政府の「本心」であるからのように読み取れました。

 

主人公の母が自由死を望む理由を「もう十分、生きたから」としか主人公に語らず、そのせいで主人公が母の本心を知りたくてVFを制作するところから物語が始まるわけですが、読み進めると母親は私と同じロストジェネレーション世代であり、不必要な人間はいなくなってほしいという社会からの無言の圧力を受けていたのではないかというくだりも。

 

私は「もう十分生きた」という気持ちも理解できますし、そういう制度があるなら自分も自由死を望むのではないかと共感しながら読んでいましたけど、そう思うように誘導されていたとは考えたことがなかったので慄然とさせられました。

 

 

このように社会背景がリアルというだけではなくて、さまざまな出来事が並列して発生することで事態が複雑化するというところが平野作品のリアルさなのでしょうね。

 

あと登場人物がみな複雑な内面を持っているのもリアルさの理由でもあり、大きな魅力でもあるのですが・・・これ以上の予備知識を入れずに読んでいただきたいので、この辺にしておきます。

 

 

 

 

正直ここ数年、本を読んで大きく心を動かされることがほとんどなかったのですが、平野啓一郎さんの作品に出会えてからまた本を読むのが楽しくて仕方がないです。

 

皆様も読む本に迷ったら、ぜひ。