『いい子のあくび』 高瀬隼子著 2023年
先日読んだ芥川賞作品の中でどれが特に面白かったかなと思い返してみると、最初に読んだ『おいしいごはんが食べられますように』が真っ先に頭に浮かんだので、高瀬隼子さんの次作も読んでみました。
ながらスマホの人がこっちに向かってきたら、避けずにぶつかりに行く女性・直子が主人公。
何でも人よりも早く気がつく直子は、「前を見ないで歩いている人のために、なぜ気づいた側が避けなければいけないのか?」と考えるようになります。
彼女は普段、表面的には「いい子」を演じていて周囲の人間から優しい人という評価を得ていますが、その分だけ本音を言葉にできずにモヤモヤを胸の奥に溜めこんでいます。
「自分の中には心が二つあるのだと思う。裏と表、という単純なものではなくて。悪く言う方が裏で、裏が本当というのは違うだろう、という確信。」(P.59)
直子は人と笑顔で接しながら内心で悪態をつきますが、性格が悪いというよりは社会の不文律のルールを遵守する人ほどルール違反する人を許せないということでしょう。そういったところは『シャーデンフロイデ』を思い出します。
公の場で本音を言うことが許されない社会になってしまっている昨今、彼女に共感できる人も多いのでは?
以前私も人混みを歩いている時、ガタイのいい男からすれ違いざまに突然タックルされて吹っ飛ばされたことがあり、「なんで?」と思って振り返ったらその人が女性やスマホ歩きしている人に次々タックルしていくのを目撃しました。被害者はどの人も体重の軽そうな人ばかり。
直子もいつも男にぶつかられる側の人間でありながら、その鬱屈から自分がぶつかりにいく側に回るところが共感できるところでもあり、ぶつかったことで事態が深刻化する展開は「やっぱりそういうことをしたらいけないよね」という教訓にもなるという皮肉なドラマでした。
本作には他に短編が2つ収録されていて、どれも違う名前の別人でありながら同じような生きづらさを抱えている女性が主人公。
「お供え」の主人公が同僚の話を笑顔で聞きながら「この人死なないかなあ」と思うシーンは酷すぎて笑いました。
著者は、人が普通は見ないようにして過ごしている心の澱を言語化するのがとっても上手。『おいしいごはんが食べられますように』にも「まるでホラー」という感想がネットに書かれていたのを見かけましたが、本作も「人間の二面性が怖い」という意味ではゾワっとさせられます。
普段「いい子」を演じている人にほど、おすすめ。