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愚痴・・・・
というものが、あります。
愚痴・・・・ってものは私の理解では、
愚かで、知性が入院している状態!
だと私は思っております。
知性が入院!o(><;)(;><)o
ちゃんと治療をして、リハビリをして、正常な状態と申しますか、人生をちゃんと味わえる状態でないと、
病気を抱えたまま、人生をずっと生き辛くなります。
( ̄_ ̄ i)
言えね、この愚痴・・・・・
私自身、なんともまあコントロールの最も難しい事だと痛感しております。
まあ、体重のコントロールの様なものですな。
健康に気をつければ、毎日フォアグラ等を食べるわけにもいかず、
炭水化物が好きでも、お野菜やたんぱく質を出来るだけ取ったり。。。。
(ちなみに、私はヘルシー志向が徹底的に訓練されておりますが、でもでもおリッチなお食事も大好きです。)
話がずれた・・・・。
さて、何故ね、愚痴・・・・
ってものが現れるかと申しますと、大きな特徴として、
自分の人生においての 「判断」の後悔・・・・・・
ってなものがあります。
私もね、いつだったかな?昔話ですが、ある人の採用の時、ほんと、自分が軽く判断して、こんなのも入れてもいいんじゃないか???
だって、私以外は賛成しているんだもん。
って軽く入れたものが、全く機能せず、よ~~~~く考えたら、必要じゃないものを気安く取り入れた自分の決断を後から、ほとほと後悔して、それを取り除こうとやっきになった事があります。
で、また厄介なことに、これは本当に繰り返すんですよね。
とはいうものの、いくらそれを愚痴っても、自分の過去の決断って、自分に責任があるんですよね。
自分も賛成したって過去が。。。
相手ではない。
(-_\)(/_-)
相手がどう理不尽でも、相手がどんだけ最低でも、では何故それらと関わると私が決めた????
って所がポイントだったりします。
まあ、私は自分の判断で比重が重くない事は、どうでもいいと思って自分の気持ちを曲げて人に合わせる事があります。
それは比重というより、もっと大切な事があるから、スル―出来るんですね。
ただ、大きな事に将来直結する可能性がある事は、やはり慎重にならないと、後々、後悔に結び付く事になります。
ん、まあ後悔しても、その後悔とどの様に向き合うかで全く変わってきますが。
自分の甘さに関しては、多分今後の教訓として叩き込み、そのめんどっちいのとの関わり方は、自分で最善を決める・・・・
ッテ事が出来たらそれは愚痴ではなく、戦略・・・・となります。
戦略ってね、あまり良いイメージが無いかもしれませんが、私は、知性が入院中の状態より、数万倍ましだと思います。
何故なら、知性が少なくとも入院状態ではなく、リハビリ状態であり、自分の人生の改善を望む姿勢だからです。
戦略ってものを、どこかネガティブな印象を持っていらっしゃる方は、少し見方を変えるのも一つだと私は思います。
そしてね、リハビリって言ったって、楽なものじゃないです。
実は今までのパターンと同じ所にいる方が、楽なんですよ。
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アルプスの少女ハイジって話がありますね。
主人公の友人のクララが最終回近くで車いすから立てるようになったあと、その後、階段を使って歩く「練習」を繰り返す情景があるんですけど、
長年染み付いた思考の癖を変化させるってのは、努力なくしては無理だと思いますけどね。
さて、自分が愚痴を言っているのではなく、
愚痴を言っている人への対処法としては、
アドバイスをしない、ただ、聞いてあげる!
ってものがあります。
これはね、ホント、愚痴を聞く側としては、自分を守るためには本当に必需な技だと思います。
そして、距離を置ける人間であれば出来るだけ関わらないって事です。
私は、自分を可哀想な人として、位置付ける人とは、ビジネスでもプライベートでも関係は出来るだけ遠くに置きます。
何故なら、エネルギーと言うものを体感して知っていたら、可愛い自分のエネルギーを奪うような在り方の人とわざわざ近くにいる理由がないからです。
私はミクロとマクロを同じ視点で見る癖があります。
ミクロな一人の人間の在り方が、この世界を作っていると思っていますので、自分自身が「可哀想な人」となる在り方を創造する人は、世界を可哀想にするパワーを秘めているからです。
愚痴をまき散らす方々の目的は、自分の問題を解決したいのではなく、ただ、聞いてもらい、自分の正当性を他人に認めてもらう事により、自分が過去に犯した過ちの責任からなんとか逃げようとされます。
例え過去に良い事をしていても、その行為が報われなかった不平不満のエネルギーの方が大きくなっていて、事実すら捻じ曲げてしまう傾向があります。
つまり、過去すら変えようとするのです。
これらは、無駄な努力としか言いようがありません。
無駄な努力に対する対処法は、無く、出来るだけそれらを聞かないようにする位しかないと思います。
ではね、愚痴を言う側・・・・・
の方に私は質問をしたいです。
愚痴・・・・・・
それを100万回言って、何かいい事ありますか?
愚痴を言うと言う事はそれらは、もう既に起こってしまった事だったります。
過去に起こった出来事を、過去にさかのぼってやり直すことは出来ませんが、今、現在を変化させる事は本人次第で可能です。
ほんと、冷たい事を言うようですが、過去に起こった事を嘆きに嘆いても、その過去は全く変わりませんし、更に御自身の今の人生、及びこの後の人生において、何の利益もありません。
一つ、解りやすい例を言いましょう。
この世の中で、愚痴を聞くのが大好きな人って存在しますか?
他人の愚痴、過去に起こった事を後悔しながらくりかえし、くりかえしその人の正当性を訴えかけられる行為を聞くのが大好きな人・・・・
もしいるとしたら、それらを聞く事を御商売にされている方々以外にはありえないと私は思います。
つまり、もし我々が、つい自分に近い人だから、との理由で、この愚痴行為を繰り返したら、
自分に近ければ近いほど、自分はその愚痴をこぼす世界に居座る事となるでしょう。
自分に近ければ近いほど、実は危険だったりもします。
先日からね、他人の事は理解する事が不可能だって事を再三書いております。
過去に日記:可能な事と不可能な事を見極める(他人への理解)
http://ameblo.jp/marisuzuka/entry-11204201710.html
理解する事は不可能ですが、でもね、影響を与える事は出来るんですよ。
影響を与える事は可能。。。
つまり、自分の身近な人間に、愚痴をこぼし続ける行為っていうのは、
相手に呪いをかけているのと同じです。
自分の不愉快で、幸せでない世界に相手を引きずり込むようなものです。
私は、人はエゴだらけだとも再三書いております。
過去の日記:愛=エゴは薬=毒となりうる理屈と同じ
http://ameblo.jp/marisuzuka/entry-11168044519.html
過去の日記:諦める
http://ameblo.jp/marisuzuka/entry-11169475761.html
愚痴を言うという行為が一体何を生み出しているのかを正確にありのままに把握をして、愚痴と言う行為が、自分自身に対して何を生み出しているか、そしてその周りに対して何を生み出しているかを正確に把握をしていただく事が第一歩かと思います。
過去、後悔した事は、後悔する位嫌な事なんです。
好きな事を、人は後悔しますか?
しかし、その嫌な事を引きずるか引きずらないかを決める決定権は自分だけにあります。
そして自分の愚痴とう行為が、もし歓迎されるとしたら、優しげな抱擁でそれらを糧に生きている方々でしょう。
私はその優しい抱擁自体に関しては何も言う事はありませんが、一時的な抱擁という痛み止めが切れたあと、その方の知性が入院するようでしたら、それはその抱擁される人の為にその人に麻酔薬を差し上げているという事だと思いますが・・・・・?
私は「可哀想な人」で生きる事を選ぶ人は、それは善悪の区別すらつかない生き物の私ですが、一言申し上げたい。
人は一人では生きておらず、必ず繋がっています。
ユング的にいうと、人は無意識の集合体の中では一つなのです。
なので、個人個人が自分の「幸せ」の在り方にこだわるというのは、とても大切で、
そして、幸せ・・・・
というものは、個人個人でないと感じられません。
他人が貴方の人生を生きる事が出来ないからです。
だからこそ、安易に麻酔薬や痛み止めの処方箋を使う、方々は私は一線を引きたいのです。
世界を腐らせたって、何もいい事ありませんもの。
(-_\)(/_-)
まあ、それらを前提に、生きると言う事を受け止めて下さい。
幸せにこだわる生き方、
って、いかがですか?
では本日はこの辺で~~~~
ではでは!
(^-^)/
株式会社HBBコンサルティング
メンタルケア―サロン ラ・プラス

