溺れる人にとって、つかまれる人は藁だと言う事を認識する重要性 (愚痴) | Liber Novus 真理の書

Liber Novus 真理の書

問題がひとりで解決する事は絶対にない
誰もあなたに代わって闘ってはくれない
貴方だけの幸せの公式を見つけましょう。

今の方法で上手くいかないならせめて他のやり方を検討しましょう。
楽観主義でも、悲観主義でもなく、「現実主義者」になる為の真理の書

ご機嫌いかがですか?
(^-^)/


昨日、愚痴について書きました。

過去の日記:知性が入院したら、治療に専念して下さい!(愚痴
http://ameblo.jp/marisuzuka/entry-11206896535.html#cbox


愚痴というものは、仏教において三毒にあげられるものの、一つです。
愚痴と言うものは、どうしたって、毒にしかならない現実が御座います。


とはいうものの、人は他人に自分の問題を聞いてもらいたいという習性が御座います。

20代の頃、心理学を学んだ時、その当時の心理学の先生もおっしゃっていました。


人の話を聞く事の重要性を・・・・。

何故なら、答えはその人しか持っていないので、話を聞く事により、
その人本人が「答え」を見つけるからです。

しかし、これは本人が「相談」している時の事であり、「愚痴」とは似ていて非なる状況です。

愚痴というものは、「解決」を求めていません。

ただ、失われた過去を嘆き、そして自分の正当性を主張する行為でしかありません。


昨日の日記で私は過去は変えられない、

と書きました。



過去は変えられませんが、「認識」は変えることは可能です。
子供の頃に起こった、不合理な思い込み等のカウンセリングもこの手法ですし、前世療法なども同じだと思います。


私は前世療法はいたしませんが、
(私、メインはビジネスコンサルタントですし)

クライアントさんが過去の出来事をさかのぼってお話になられる時、何故か勝手に前世に行かれる事が何度か御座いました。
∑(;)


過去の出来事、起こった事には全く変化はないのですが、過去での出来事での御本人の「認識」が変わる事により、御本人の現在の生き苦しさが変化するのです。


例えばですが、自分は孤独だ・・・・と思われていた方のその原因が、過去世で一人家を出て家の為に一生働いて、一人で死なれたとします。

昔は携帯どころか、手紙すらやり取りが出来なかったのです。


その方は故郷の方々から捨てられた・・・・

と思っていたのに、実は故郷の方々は一生その方の犠牲に対して感謝をし、心からその方の行方をあんじておられた事を知り、観えない人の想いや心を感じられるようになられた時、


その方の、「認識」は変わりました。

勿論、過去に起こった事は変わらないのですが・・・。


余談ですが、良くね、自分が変われば相手も変わると申しますが、
正確に申しますと、


自分の認識が変われば、相手が変わったように観える!
というのが、妥当だと私は思いますね。
自分が変わったり、相手が変わったように見えるだけではないかと。



さて、本日の本題です。(今までが前置き)

さて、愚痴・・・・・というものを、まあある程度離れた人間からの対処法は昨日記載いたしました。


では、それが親や配偶者、兄弟、等の身近な人から、まるで愚痴のはけ口の様な立場になった時・・・・・


この様に考えるのはいかがでしょう?


愚痴を言っている人は、何とかこの息苦しさを誰かに聞いてもらいたいだけ。

そして、その愚痴を聞いている身内はその人を救えるか?


答えは無理です。

私はね、こう考えるのです。


私は溺れる相手にとって藁位の事しか出来ない。
何がいいたいかと言いますと、別に自分には藁位の価値しかないとおもっているわけではありません。


本人の認識は本人しか変えられない事実の元、愚痴はそもそも「相談」ではありませんし、自分の認識を変えるのだって大変なのに、他人の認識は他人が望まない限り変わらない。


つまり、溺れる人にとって実質、自分の出来る事は藁位のものだ・・・


と「認識」する事です。



親であっても、配偶者であっても、兄弟であっても、私には「解決」は不可能である。

ほんのちょっとの助力は出来ても、助けるなんて事は出来ない。


その助力ですら、多分藁位の意味なしな事だと言う事。

自分が助けられる、とか、何とか出来るのではと悩んでも、その対象が「相談」ではなく、「愚痴」であったら、何も出来ないということ。



これをとことん腑に落とす事。

しかしながら、このポイントを大切にしてください。


貴方は何故相手の愚痴を無視出来ないのか、何故相手を捨てる事が出来ないのか・・・・


それはね、貴方も心の底で相手が好きなんですよ。

そして、相手も貴方には解りえない所で貴方のことが好きなんです。


チンパンジーと違い、我々は2足歩行を始めた時から、産道が狭くなって、産むほうも生まれる方も大変。
(どっかの日記でこの記事書いたのですが、どこで書いたか思いだせない)


ましてやDNAまで受けついている。



自分に近ければ近いほど、自分と他人の境界線があやふやになります。

DNAって馬鹿にならないんです。

過去の日記:キイロタマホコリカビか神風特攻隊か!
http://ameblo.jp/marisuzuka/entry-11176119361.html


だから、なんですけど、

自分に可能な事、不可能な事をちゃんと一つ一つ「理解」をする事はとても重要です。

過去の日記:可能な事と不可能な事を見極める1(他人への理解)
http://ameblo.jp/marisuzuka/entry-11204201710.html

ここの見極めが出来ないと、自分がなんとか出来ないかと、無理な事に挑みます。(ドンキホーテが風車に特攻してゆくようなもの)


でもね、出来る事もあるし、身内への愛情を無理やり断ち切る事も時と場合によっては必要な時もあるとは思いますが、


相手を全部否定する事は、自分のDNA上実はかなり難しい事かも知れません。


私は、なんですけど、出来るだけ自分に可能な事と不可能な事を把握して、相手を愛する事は止めずに、不可能な事は相手の問題として受け止めています。

これらはとてもデリケートな事ですけど、相手は変わりません。

相手が変わろうと、自分で思わない限り変わりません。


そして、人は老いてゆきます。

死という誰もが避けられない事に近づけば近づくほど、過去の後悔を残したままだときっと生き辛いのでしょう。


自分の出来る事は、自分が幸せになって、笑顔の時間が少しでも多くなる事かな・・・・と。


では、本日はこの辺で~~~~!
ではでは!
(^-^)/

株式会社HBBコンサルティング
メンタルケア―サロン ラ・プラス
読者登録してねペタしてね