昨夜、「前から話したいけど、なかなか話せなかった話しがある。」
と家族に言われ、話を聞くと、
「ここがずっと痛い。」
とわき腹を押さえていたから、すぐに、
「今週、検査へ行ける?早期発見・早期治療だよ」
とたずねると、とても忙しい時期で今週は無理だと言われた。
「一日でも早い方がいいから、
来週、午前中だけでいいから検査の為にのお休み、職場に頼んでみて…」
とお願いし、来週には私の腫瘍を見つけてくれたかかりつけ医で検査をしてもらうことに、自分の中で決めた。
もし、痛みのある臓器が、仮に癌だったとしたら、
私の主治医は消化器外科の先生なので、
同じ主治医に診てもらえるかもしれない…と安心した。
一年前の昨年3月末、突然、自分の腫瘍が見つかり、
何一つ分からない中で、戸惑い、迷い、落ち込み、手探りでやって来たことが、
私の腫瘍発覚一年を経て、家族の病気に役立つかもしれない…と思うと、
この一年の悩みや苦しみや涙は、無駄ではなかったのかな…と思った。
一番最初の検査から、その後の経過観察までの流れがパッと頭に浮かぶのが良かった…自分がこの一年やってきたことだから。
「一日でも早く、一緒に検査へ行こう。
昨年、全て私がやったことだから、動きがだいたい分かるから大丈夫。
ずっと付き添うから心配ない。
ずっと隣にいるからね。」
と言葉をかけた。
昨年、私がどの場面においても、一人で不安で心配でたまらなかったから、
家族も「よく分からない臓器の痛み」は不安で心配だろうと思う。
普段は会話が少なく、多忙で疎遠だったとしても、
家族はこんな時の為にいるのかもしれない…と昨夜、思った。
昨年一年間の闘病生活で経験したことを、
今度は家族の為に発揮しないといけないのかもしれない…ね。
私もこの先、4月に地元の病院で造影CT、
6月に東京の病院でPET-CTの検査があるから、
家族の気になる身体のことは、3月前半までに痛みの原因を特定し、その後のことを一つ一つ考えたい。
(何もなければ、それに越したことはないけど…)
私の平滑筋肉腫の腫瘍が見つかったのが、昨年の3月末で、
その後は、4月、5月、6月と、次から次に流れるように検査や手術、告知、セカンドオピニオン、経過観察…と、病院通いの日々になったから、
「家族の痛みのある部分が何なのか?」さへ分かれば、
その後は、次から次に流れるように進んで行くと思う。
だから、まずは、何はともあれ検査へ行かないと…。
仕事は続けながらも、長年ヘビースモーカーでいつも調子が悪かったから、
その度に「検査へ行って」と、何度も何度もお願いした。
病院や検査が心底苦手な人は、倒れでもしない限り、頑なに、絶対に行こうとしないのだと知り、
口喧嘩の末、病院へ行かせることを諦めたことが何度かあった。
「病院へ行くくらいなら、もう別に死んでもいい」くらいの頑なさで拒否するから、呆れるというか驚く。
「煙草を止めるくらいなら、煙草を吸い続けて死んでいい」と言ったことのある家族が、
死ぬまで煙草をやめられない感覚と似てるのかなぁ…
(厳しいね、今日の私…m(_ _)m)
昨夜も家族は、
「(いよいよ末期まで放置して)突然、倒れて救急車で運ばれて、連絡があるかもしれない」
と言っていた。
自分の身体の不調に関しては、昔から、
「検査しよう、治そう、何とかしよう」
という意気込みが無く、「仕方ない」と諦める傾向がある。
今回も、そこまで放置しておくつもり?
まだ、そんなことを言うの?
と驚いた。
自覚症状がある。
徒歩でも行ける距離に、私の腫瘍を見つけてくれた
早期発見・早期診断をしてくれるかかりつけ医の病院がある。
家族が自覚症状がある臓器は、私の命を助けてくれた私の主治医の専門分野。
私の平滑筋肉腫は今のところ落ち着いている。
今なら、全力で付き添いやサポート出来る。
本人さへ、勇気を出して、速やかに検査へ行けば、まだ助かる道を残されている…っていうくらい周囲の環境は整っている。
なのに、なぜ、自覚症状があるにも関わらず、
かたくなに検査へ行こうとしないのか…?
信頼する知人の方にも助言されました。
「本当に癌を強く疑うのであれば、忙しいなどとは言っていられない筈。
仕事は1日のことだけど、癌は人生を左右するから。
一刻も早く検査をすることをお勧めします。」
と…。
なぜ、分かってくれないのだろう…。
そして、もう一度、今朝も説得を試みた。
「勇気なくて、伸ばし伸ばしにすると、
身体が、取り返しがつかないことになるよ。
何より検査を優先して下さい。
ずっと側にいて助けるから、
悪性腫瘍の私の最後のお願いを聞いて下さい。
お願いします。
今日、検査の休みのことを職場に話してくれないなら、
明日、職場に電話して、私から話します。
いつ再発転移するか分からない肉腫の病気、
以前の私とは違う。
肝がすわってるから、
明日、本当に職場に電話して、こちらから検査の休みをお願いします。
低姿勢で伝えるので、安心してください。」
と、脅かすようなことを言ってしまった。
(もちろん、本当に職場に電話したりはしない)
「検査へ行って」と何度も頼んで、訴えても、頑なに拒否されて来た。
これくらいの強い気持ちで伝えないと、検査へ行ってくれない…と、今回は強くお願いした。
そして、家族からの返事は、
職場に検査の為の休みの相談をしてくれるとのことだった。
検査へ行ってほしい。
命をあきらめないでほしい。
化学治療や放射線治療や重粒子線、免疫療法…など、
多分、今のところ手術以外、効く治療法はないであろう下大静脈平滑筋肉腫。
いつかは、命をあきらめなければいけない日が来るだろう。
だけどそれは、やるだけのことをやり尽くしてからだと思う。
(肉腫の病、やれるだけのことは、少ないのかもしれないけど。)
検査へ行く前から、
「これだけの年数を生きてきたし、別にもう終わりでもいいから」
と、命をあきらめるのは、家族としては納得いかないし、見逃すことは出来ない。
これからは、どれだけ生きれるか分からない私の命をかけて、家族の病気とも向き合って行かないといけないね。
そう思った昨夜から今日でした。
最後に…
約一年前から、脇腹に痛みが少しあったけど、
私が平滑筋肉腫になり大変な状況になったから、言い出せなかったらしい。
もし、早期発見や早期治療に間に合わなかったとしたら、本人が検査へ行かないことだけでなく、
私も原因だと思う。
家族が不調を言い出せる闘病中の私では無かった…と、この一年を振り返り反省します。
この一年、自分の生と死に飜弄される合間に、
もう少し、家族の体調を気に留めてあげてたら…と後悔します。
だからこそ、これからは、一日でも早く…
「ねぇ、お願い。検査へ行こうよ。」
2019年3月3日(日) カトリック 主日ミサ
【入祭唱】
神はわたしを支えてくださる。
わたしを心に留めて救い出し、
自由の地に導いてくださる。
【第二朗読】
(皆さん、)
この死ぬべきものが死なないものを着るとき、
次のように書かれている言葉が実現するのです。
「死は勝利にのみ込まれた。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、
主の業に常に励みなさい。
主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、
あなたがたは知っているはずです。
(コリントの信徒への手紙 一 15:54-58)
【福音朗読】
あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、
なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、
『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』
と、どうして言えるだろうか。
偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。
そうすれば、はっきり見えるようになって、
兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」
(ルカによる福音書 6:39-45)
【拝領唱】
主は仰せになる。
「わたしは世の終わりまで、
いつもあなたがたとともにいる。」
クリプタ聖堂(納骨堂)の入り口。
想いを天へ向けることの出来る、心静まる場所です。
夜は、本当に心細い…
私たち一人一人を支えて下さい。
3月5日(火)
弱くて、ずるくて、みにくい私が、
日々、様々なことに耐え、乗り越えて行く力を、
どうか与えて下さい。
堪え切れない涙を隠し、
笑顔で…微笑みで…私の全てを纏って下さい。
(追記)
自分へ…メソメソしない。
みんなが居るから、
みんな堪えてふんばってるから、
わたしもがんばる。
繋がってるこの大空の下で。
今日一日。
今日一日。
死んだら、悩みや思い煩いの、全ての全てから解放されるのに…
楽になるだろうなぁ…やっとって…
神様、私はいつまでですか?
あなたは、知ってるんでしょう?私の寿命を。
私が全ての全てから解放されると同時に、
遺された人が背負う苦痛や寂しさや孤独や自責や叫びを…自分なりに体験したから、
寿命尽きるまで、ちゃんと生きていかないと…ね。
私たちにどうか安眠を…おやすみなさい。