或ルカフェノ思ヒ出 | さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

酒場であったあんなこと、こんなこと。そんなことを書いてます。ほとんど、妄想、作話ですが。

店に入るとカレーの良い匂いがした。
世間的には平日のまだお昼前だったいうこともあるのか、客の姿は少なく、店員の女性三人の一人が、入口に佇む妻と俺のほうに近付いてくると「いらっしゃいませ」とにこやかな笑顔をみせた。
同じように笑い返し、店内を改めて見渡したが、客は我々の他、テーブル席で向かいあって座り炒飯を食べる作業服姿の男性二人だけだった。
おそらくこの近所で働く方々で、ちょいと早めの昼食を取りに来たんだろうな、と、俺は踏んだ。
我々のような年に一度来られるかどうかと言う観光客なら、たいていここで注文するものは一つだから。

「御注文お決まりですか?」
窓際の海の見わたせる眺めの良いカウンター席に座った我々に、先程の女性店員が、グラスに入った水を運んでくると、またにっこりとそう訊ねてきた。
それはそれで嬉しかったが、俺はちょいと期待外れな感を隠せない戸惑った笑顔で店内を見渡した。
だけど、入ってきた時同様、彼の姿は見当たらなかった。
出来れば彼にオーダーしたいんだけどなあ・・・
しかし、改めて見渡してみても、店の様子は同じだった。
俺は、フッと息を吐くと、彼女に店に入る前から決まっていたオーダーをお願いした。

「ゴッチュウモン ナニナサイマスカ」
恐らく彼は震える声でそう言いながら、まるで我々を抱擁するかのように大きく両腕をひろげ我々に近付いて来ただろう。
そして我々の顔を確認すると、嬉しそうに微笑み
「おおーおぼえてますよ。去年もいらしましたね?!」
そんな内容のことを英語で語りながら、右手を差しだして来ただろう。
そして我々はしっかりとした握手を交わす。
「ヤキカレー?」
そう訊ねる彼に俺はYesと肯き、それから、ビールもお願いする。
彼はまた嬉しそうに手をひろげると
「オーケー。ビア!ヤキカレー、ビアにとてもあいます!」
という様なことを震える声で語り、うんうんと肯きながら、厨房で働く女性の店員さん達に大きな声を奮わせたであろう。
「生ビールワン、焼きカレーワン、カウンターのジェントルマンさん、プリーズ。」


それが彼の癖だったのか、それとも何らかの持病によるものだったのかはわからない。
いずれにせよ、彼は話す時、まるでビブラートでもかけてるかのように声を震わせた。
はじめてお会いした時もほとんどが英語、所々日本語が混じる言葉で、彼は店のメニューを声を震わせながら説明してくれた。英語に明るくない俺としては、話の半分も理解してなかったのだが、焼きカレーとビールが飲みたいということは伝わったようだった。そんな俺に、こちらのほうが安くてお得と、焼きカレーとビールのセットメニューを薦めてくれた。
俺はつい嬉しくて無言で右手を差しだした。
彼はニコニコ笑いながら俺の右手を握り返してくれた。

もう4年も前の記憶だ。
あれから毎年夏になると俺は門司港を訪れ、この店に寄った。
焼きカレーが美味しかったと言うこともあったが、店のオーナーにまた会いたいというのが理由のほとんどだった。
いつごろ日本にいらしたのかは分からないが、店のオーナーはイギリス出身の初老の紳士だった。四年前から毎年お会いしていたが、日本語はさっぱり上達していなかった。俺の英語がまったく上達しないのに比べたらマシだったかも知れないけれど・・・
会話も巧くままならないというのに、年に一度彼に会って話したいと俺が欲したのは自分でもどうしてなのかわからない。

記憶と変わらない焼きカレーと生ビールが届く。
しかし、それを食べ終え、新たに追加した缶ビールを飲み終えても、彼は店に姿を現さなかった。
ふと手に取った、目の前のブックスタンドの立て掛けられていたこの店が紹介されている雑誌のこの店の紹介ページを見て、俺はやっとその理由が分かった気がした。
そこには店の定休日が火曜と記されていた。
まさにこの日が火曜だった。
おそらく夏休み期間ということもあって、夏の間は火曜も営業することにしたのだろう。
ただし、オーナーは火曜はお休み。
そういうことだったのか。
それじゃ、いつまで待っても彼は姿を現さないわけだ。
今頃、自宅で大好きなシガーを薫らせ、ウイスキーでも飲みくつろいでいるのかも知れなかった。
残念だが、そういうことなら俺にはそれを邪魔する権利はない。
俺は諦めて、席をたつ。
「ごちそうさまでした。美味しかったです。」
と言って千円札を数枚差しだした俺に、レジの向こうで先程注文を取ってくれたのとは違う、調理担当の別の女性の店員さんが「いえいえ、また今年もいらして頂き、ありがとうございます。」と笑みをみせた。
それから、俺にお釣りを手渡しながら、
「でも、今年はいつもよりちょっと遅くありません?」
と、首を傾げた。
自分の事を覚えていて貰えただけで感激なのに、以前に伺った日まで覚えておいて貰えていて、俺はとても嬉しくなった。
どちらかというと無口で引っ込み思案な俺だが、嬉しさでつい口が軽くなった。
俺は自ら話しだしていた。
「いや、妻の実家が博多で、通常山笠のあたりにお休みをとって帰省することにしているのですが、今年はどうしても休み取ることができなくて、やっと今頃になって来ることが出来ました。いやあ、今年も来られてよかった。
今日は、オーナーは?お休みですか?
折角の機会だし、できたら一目お会いできたらなあ・・・」
そういってニコニコと彼女を見つめる俺を見返す彼女の目は意外にもどこか寂しげにみえた。
俺としては、彼女が
「あら、それじゃあ、今二階にいますから、ちょっと呼んできますね。」
みたいな展開になるとばかり思っていたのだ。
だから、次に彼女の口から語られた言葉に、俺は言葉を失った。


彼はすでに亡くなっていた。



「実は・・・オーナー、去年亡くなったんですよ。11月でした。なんだったかしら。なにか心臓の病気で。突然でした。」
彼女はそう神妙な面持ちで俺に教えてくれた。
それから、彼女は店の入り口近くに置かれた台を差し示した。
入ってきた時には気付かなかったが、台の上には、額に納められた彼の写真が一輪の白い菊とともに飾られていた。
先客の多くが御線香かわりに残していったのか、彼の好きだった煙草が多数、火を点けられることない真っ新な状態で供えられていた。

あの時、彼はたしかフレッドペリーのシャツを着ていた。
そんなシャツのロゴを指し、彼は嬉しそうにはじめて店を訪れた俺に自己紹介してきたのだ。
「私は、これと同じ所から来たのだ。ウインブルドン、知ってますか?」
俺は肯くと、それに応えて言ったものだ。
目の前の生ビールのジョッキを掴むと、そこに描かれた恵比寿様を指差し、
「私はこれと同じ所から来たのだ。」、と。
若干正確さに欠いたが、同じ区だし、嘘ではないと思う。正確に表現するには、俺の英語はあまりにも拙すぎた。

写真の中から、彼があの時と同じ笑顔でこちらを見つめていた。
「ヤキカレーワン、生ビアワン。サンキュー。ヤキカレー、ビアとよくあいます。」
今にもそんなことをあのどこか震えた声で語り出しそうだった。
「焼きカレーとビール、あいますね。美味しかったですよ。」
俺は、そう心で言うと、袂から煙草を取りだした。
銘柄は彼の好みと違ったかもしれないが、一本ひき抜くと、先客達がそうしたように俺も写真の前にそれを置いた。
写真の中の彼に一礼すると黙ったままで店を出た。

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

なにか言葉を口に出すと、俺まで声が震えそうな気がしたのだ。

さてと、今夜はどこ行く?