奢れるもの久しからず | さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

酒場であったあんなこと、こんなこと。そんなことを書いてます。ほとんど、妄想、作話ですが。

それ迄は我々を見向きもせず、老若男女入り混じる隣グループで会話を楽しんでいた、俺の席一つあけた隣に座る定年間近くらいの初老の男だったが、遅れてやって来た彼女が俺と男との間の席に腰掛けると、今まで話していた向こうの仲間との会話をやめ、馴れ馴れしく彼女に話しかけてきた。そして彼女が我々の仲間内だと知ると、我々に瓶ビール5本を奢ると言った。
単純に考えれば、彼女が我々のグループに加わったとたん、こちらに接近し奢ると言いだしたわけだから、彼が気があったのは我々ではなくて彼女だったのだろう。
複雑に考えるのならば、実はずっと彼は我々のグループが気になっていて、「彼等になんとかしてビール奢りたい!」と思っていたのだが、生憎、彼から一番近いところに座る奴が無愛想で冷たそうで、性格も悪そうな目つきの悪い男で、話しかけるのも躊躇され、困惑していたところに、優しそうな美しい女性がその間に入ってくれ、やっと話しかけることができ、ついに念願のビールを奢ることが出来たっていう次第だったのかも知れない。
まあ、物事っていうのは、けっこう単純なことが多いのだが。
いずれにせよ、ビールをタダで呑めるようになったのは、ありがたかった。
我々は、彼のグループに御礼を言った。
しかし、てっきり向こうグループの一員かと思っていたが、男は一人客だった。
勝手に向こうグループに混ざって呑んでいただけだった。
そんな男が今度は我々に混ざってこようとしていた。
その時我々は男3名、女性は遅れて入ってきた彼女を含め4名だった。
確かに男女の比率から考えれば、男に我々のグループに加わって貰った方が良かったのかも知れなかった。
それにビールを奢って貰った手前、無視も出来ない。
我々は会話に入り込んでくる彼を拒まなかった。
しかし、それから暫くしてわかったことだが、奢って貰っておいて申し訳ないが、彼は俺が苦手とするタイプの人間だった。
訊いてもいないのに自分の詳細を語り出す。彼が昼間どこで何をしていようが知ったこっちゃ無い。
この店の店長と幼馴染みだとか、出身中学の話なんてされても、だからなに?だ。
まあ、話しかけてくる相手は俺ではなくて、グループの中の女性達なわけだが、俺の耳にもその話し声は入ってくる。話を聞いてくれる女性達に気をよくしたのか、財布を取りだすと、クオカードを抜きだした。彼の会社の名前やら住所やら写真が印刷されている500円分のクオカードだ。クオカードに印刷されたものの説明を自慢気に話すと、それを渡した。そんなものをもらっても少なくともこの店じゃ使えない。もちろんもらったのは俺の目の前に座る若き頃の大場久美子にそっくりな女性で、俺には配られなかったわけだが。
もしかしたら俺は僻んでいただけなのかも知れない。
クオカードを貰えなかったことではなくて、自分の周りに座っている女性達が、いつしかその男とばかり話していることに。特に今日初めて会った隣に座る優しい目をした美しい彼女が、俺ではなく向こう側に座る男とばかり話していることに。
俺は、表現しがたいなんとも言えぬ感情が沸くのを抑えられなかった。
こういうのを嫉妬というのだろう。
なにか話しかけなきゃ、と、思いはするものの、頭は混乱し、思うように口も動かない。
すでに周知の事実で、今更説明することも無いと思うが、俺は美人、それも良く知らないはじめて会うような美人と隣りあうと、石のようにカチカチになってしまうのだ。
俺は気を落ちつけよう、緊張を和らげようと、男が奢ってくれたという瓶ビールの一本を手に取ると、手酌でグラスにそそぎ、一気に呑んだ。と同時に、グフッと咽せた。どうやら、カチカチに強張っていたのは、喉頭蓋も例外じゃなかったらしい。
しかし、咽せたところで、彼女がこちらを振り返ることは素振りすら無かった。
認めたくないが認めざるを得なかった。
彼女は、俺より、あっちの男に興味があるのだ。
街中を歩く女性百人に、俺と彼の写真をみせて、どうしても付き合わなきゃいけないっていうならどっち?と訊いたら、百人が百人とも俺を指差すだろうって思われた男だったが、やはりそれは俺の自意識過剰な判断にすぎなかったのだ。
彼には俺にはわからない雄としての魅力があるのだろう。
わかったよ。仕方ない。俺の負けだ。
俺に出来ることといったら、肉を網にのせ、焼けた順番に、黙々と食べる事だけだった。

暫くすると、まだ男から貰った瓶ビールが3本半ほど残っていたが、「もうそろそろ出ようか。」という話になった。
ホルモンなんて、そう何時間も時間をかけて食べるものじゃないし、サイドメニューも置いている酒の種類もホルモンのそれに比べると少なかった。煙がモクモクと充満し、蒸し暑い店内も長居には不適だった。
なにより、俺に関して言わせて貰えば、会話に乱入してくる男がうざかった。
建前上、男にビールの御礼を言って、店を出る。
男が、「次どっかいくの?俺も一緒に行こうかなあ?!」なんて言いだしはしないか不安もあったが、杞憂だった。

次の店に移動し、席に着き飲物を待っていると、
「こんなの貰っちゃった。」
と、例の男の隣に座っていた美人の彼女が、名刺を目前でヒラヒラと振った。
どうやら、さっきの店で帰り際、男が彼女にくれたらしい。
「へえ、やっぱりあのオッサン、君に気があったんや。」
彼女とつきあいの長い仲間が、そういって彼女を冷やかす。
しかし、そう冷やかされても彼女は、照れも、苦笑さえしなかった。
相変わらず、つれない顔で、指に挟んだ一枚の名刺を、まるで街角でつい受けとってしまったビラの置き場所を探すように、ヒラヒラ困ったように振りつづけていた。
「こんなの渡されたって困るわよ。」
そうため息まじりに言いながら何かを見つけたのか、
「ねえ、ちょっとコレ見て!」
と、名刺を差しだしてきた。
見ると裏には、御丁寧に男の携帯電話の番号まで手書きで書かれていた。
「こんなことして、かかってくるとでも思ってるのかしら?」
そういって眉をひそめると、彼女はテーブルにそれを置いた。それから、「とんでけー」と可愛い声で小さく叫ぶと、その名刺の端を、まるでオハジキを弾くかのように指でコンと弾いた。
名刺はスルッとテーブルの上をすべり、偶然か、テーブル脇に置かれた醤油やら胡椒やらの置かれたプレートの下に潜り込んで見えなくなった。
その様子が可笑しくて、声をだして笑いながらも、俺は出しかけていた名刺入れをポケットの奧にそっと戻した。


※事実に基づいているけれど、作り話です。