ヨーガの修練は障害物競争の
ようなもので、たくさんの障害物が途中に置かれて
いるのも、ちゃんと故あってのことと、
経験するべく置かれているのだ。
人生がまるで障害物競争です。
ですから
私にとってヨーガ=人生なのです
それらは、われわれに理解させ、
我々自身の力を表現させるために、そこにある。
我々にはその力がある~ところが、それがあることに
気づかない。
ようなもので、たくさんの障害物が途中に置かれて
いるのも、ちゃんと故あってのことと、
経験するべく置かれているのだ。
人生がまるで障害物競争です。
ですから
私にとってヨーガ=人生なのです
それらは、われわれに理解させ、
我々自身の力を表現させるために、そこにある。
我々にはその力がある~ところが、それがあることに
気づかない。
30 病気、無気力、猜疑、散漫、怠惰、好色、妄見、不動の境地に至り得ない状態、
獲得した地歩からの滑落~これらの心の散動がその障害である。
獲得した地歩からの滑落~これらの心の散動がその障害である。
これらは鎖のようなもので
まず第一の障害が身体的な病気である。
病気は人を無気力にする。
無気力な心は、理解するための洞察を物事に向けていこうとしない。
疑いのあるところには、注意の散漫、ある種の昏睡、怠惰がある。
より高い目標への関心や注意を欠いてると
その心は何かソレ以外の事柄に携わらずにはいられないから、
だんだんと感覚的享楽の方へ傾いていく。
これらは、すべて事実上「タマス」
すなわち、「惰性、沈滞」として
一括することが出来るだろう。
もう一つの障害は獲得した地歩からの滑落である。
初心者は非常に強い関心をもって修練を行うがある日
突然やる気をなくす。
心というものは常に同じレベルで機能することが出来ない。
高い時も低い時もある。
進歩がいつも着実になされているのだったら
そこにはチャレンジもないし、面白味も何もない。
まさに、仰っしゃる通りです。
人生は面白く無いとイケマセン
パタンジャリのヨーガ・スートラを
シュリー.スワミ.サッチーダナンダが弟子への講話として
書かれた「ヨーガ・スートラ」からの引用です。
200からある内容の30番を記載しました。
私の教科書~「ヨーガ・スートラ」
一話ずつ紐解きます。
まず第一の障害が身体的な病気である。
病気は人を無気力にする。
無気力な心は、理解するための洞察を物事に向けていこうとしない。
疑いのあるところには、注意の散漫、ある種の昏睡、怠惰がある。
より高い目標への関心や注意を欠いてると
その心は何かソレ以外の事柄に携わらずにはいられないから、
だんだんと感覚的享楽の方へ傾いていく。
これらは、すべて事実上「タマス」
すなわち、「惰性、沈滞」として
一括することが出来るだろう。
もう一つの障害は獲得した地歩からの滑落である。
初心者は非常に強い関心をもって修練を行うがある日
突然やる気をなくす。
心というものは常に同じレベルで機能することが出来ない。
高い時も低い時もある。
進歩がいつも着実になされているのだったら
そこにはチャレンジもないし、面白味も何もない。
まさに、仰っしゃる通りです。
人生は面白く無いとイケマセン
パタンジャリのヨーガ・スートラを
シュリー.スワミ.サッチーダナンダが弟子への講話として
書かれた「ヨーガ・スートラ」からの引用です。
200からある内容の30番を記載しました。
私の教科書~「ヨーガ・スートラ」
一話ずつ紐解きます。