昨日、家出から帰ってきた。
6日半の家出だった。
薬を再び飲み始めて、体調が落ち着くとともに心も落ち着いてきて、
元気がチャージできたと感じられたし、
息子の学校や通院のあれこれが、もう両親に頼める限界を超えていたので、
この日に帰ると決めていた。
とはいえ、これから高齢の父のふるまいが変わることは期待できず、
私の体調も良くなるとは限らず、
一緒に暮らしていればまた、痛みで心が不安定になったところに父の攻撃が当たってしまう可能性もあるわけで、
帰宅することへの不安はもちろんあった。
その影響か、昨日はあまり体調が良くなくてだるさがひどく、
でも決心が鈍ると再び勇気が出るまでまた何日もかかると思ったので、
目の前の体調不良や未来の心配は考えず、
家まで付き添ってもらえる安心感もあって、
ただ帰ることだけを考えて足を踏み出した。
駅までの道のりが500メートルほどあって、
半分ほどで疲れ切ってしまい、
今思えばタクシーを使えば良かったんだけど頭が朦朧としていてその時はとにかく駅まで歩かなきゃと、
体を支えられながら、ビルの壁に手をつきながら、歩いた。
地下鉄の駅のホームのベンチに倒れこんで休んで、
しばらくして来た電車は座席が埋まっていてパラパラと人が立っている。
「どうしよう座れない」と泣きそうになって次の電車を待ちたかったが、
「これを見せて優先席に座ってる元気な人に代わってもらおう」と言われて乗り込む。
ヘルプマーク。
まだそんなに普及してない頃に、目眩の持病がある先輩が私のためにもらって来てくれたもの。
当時は誰も知らなくて、電車でつけていてもなんの反応も無かったけど、
昨日はこのマークを見てか、私の具合悪そうなのを察してくれたのか、
女性が席を譲ってくれた。
でも、
座っていても体を保持することができなくて、
電車の揺れで左右や前に倒れそうになる。
膝から下をハの字にして脚が倒れないようにして、
前かがみになり膝に肘をついて上半身を支えて頑張った。
これまでに経験のない最悪の疲労感に涙が出てくる。四肢の痛みもどんどん増して、倒れそうになる身体を限界の筋肉で支えて泣きながら耐えていたが、
ついに耐えきれなくなって「ベンチで横になりたい」と途中下車した。
しかし、あいにくその駅のベンチは手すりが1人分のスペースごとについていて横になれないものだった。
それを見た途端もう歩けなくなって、
泣き崩れてしまった。
付き添ってくれていた彼に抱えられてベンチまでたどり着いて座ったが、とても休めるようなものではなく、
私はつらくてつらくて、悲しくて情けなくて、彼に寄りかかって声を上げて泣いた。
地下鉄の駅はうるさくて、声をかき消してくれて助かった。
ここに座っていても休めないと、彼が駅の救護室を探して駅員さんに車椅子を頼んで来てくれた。
抱えられてベンチから車椅子に移り、救護室まで運んでもらい、白い簡易ベッドに寝かせてもらった。
脚が激しく痛むが、姿勢を変えることもできない。
声もかすかにしか出せない。
救護室の蛍光灯の光が刺さるように痛くて、わずかに動く手で、カバンから出してもらったハンカチを顔にかける。
呼吸が浅く間隔が長くなって、このまま止まってしまえばいいのにとちょっと思った。
横になっていても体が痛くて眠れず、
身体を動かせないのに、たまに脚や腕がビクッと勝手に動く。
頭は朦朧としていて時間の感覚がなく、何時間経ったか分からないが、しばらくしたらギギギ…と錆びたロボットが動き出すように姿勢を変えることができた。
立てるかな、と体を起こしてみたが、まだ上半身を支えることができず、そのまま倒れこんで横向きで寝た。
1時間くらいかな、経ったところでまた起き上がる気になって、
彼が買って来てくれていたゼリー飲料を半分くらい飲んでしばらくベッドに座って、
立ち上がってみたら歩ける気がしたので駅員さんにお礼を言って救護室を後にした。
次の電車は、優先席が1つだけ空いていたのですぐに座れた。本当は端っこだと寄りかかれて少し楽なのだが、真ん中で耐える。
横になって休めたのでさっきよりだいぶラクだ。
乗り換え駅ではベンチに座れ、来た電車はまた席は埋まっていたが、やはり女性が席を譲って下さった。端の席だったので寄りかかって休むことができた。
ようやく最寄り駅までたどり着き、あとはバスで一本。
目の前でバスが行ってしまい、10分ほど暗いベンチで待つ。
長い病歴の中でも1番つらい出来事となってしまった、ホームで声を出して泣いたことと救護室で動けずにいた時間を思い出す。
ひどい姿をたくさん見せてしまったな、と思う。
でも、今までは元気な時しか会えてなくて(疲れて彼の家で寝込むことはあっても半日も寝れば回復していた)、
本当に体調が悪いときの姿を全く見せていないことに、彼を騙しているような、マイナス面を隠しているような気がしていたので、
家出した日から今日までたくさん迷惑をかけてしまったけれど、私の「もう半分」を見てもらえて良かったのかもしれないと思う。
彼は家までわたしを送ってくれて、玄関で母に挨拶して帰った。
帰宅後、母はとても機嫌よくいつもの倍くらいおしゃべりで、
父とは全く話さず、
息子は普段と全然変わらず、
愛猫はしばらくわたしにべったりだった。