学ぶ姿勢ってさ
机とイスと紙とえんぴつがあれば完成
って、思っていたところがあった。
でも
「未学習」という単語を知って
それは違うという
絶望に似たなにかを感じた。
恐怖が具現化したような
アキの療育の目標を知ったような
そんな気持ちになった
ねぇ、どこに向かっているの?
私の中で長らく、「療育」は目的だった。
そこ(療育)に行くことそのものが目的
通ったら通ったで
こじらせて、鬱記事を書いたこともあった
(いい黒歴史だ)
挙句
療育とは、親に現実をみせるための場と穿った。
経過を検証してみたら
「未学習」状態を防ぐという観点でみたら
なるほど
アキのこれまでの道のりは、悪くないんじゃないかと思えた
2歳当時
「安心」という土台がなく、療育の場そのものを怖がった。
(世間ではたのしいとされるものが、不安の対象になる)←「そんなことある?おおげさ」って思うでしょ?でも、あるのよーここに。
時を経て
アキが療育中に職員さんに甘えるようになった
私はそれを惰性と評したけど、職員さんは決して怒ったりはしなかった。
むしろ
「あのアキくんが・・・」
「慣れたねぇ」
と、温かく対応してくれていた
「療育」は手段だったらしい
アキの通う療育事業所からは
と、最初に説明されていた。
そりゃあ
週1回1時間というのは、「訓練」としては成り立ちにくいよね
発達のサポートって??と、疑問に思ったが
当時は発語の少なさに問題を感じていたので、なんだかんだとプロの促しは発達にはいいんだろう(具体的にどういいかは分からないけど)と考えていた
この
「具体的に療育のどこが役に立っているのか分からないところ」
それが、地味にモヤモヤポイントではあった
とはいえ、もし療育開始時に
「本人の不安が多くて経験が入っていかない状況だから
まずは保育士マンツーマンで手厚く安心の土壌を築きましょう」
と、療育職員さんから直球で言われていたら、それはそれでかなりしんどかっただろう
私、子どもに安心を与えられてなかったんですか?!親なのにー
って、きっと鬱になってたと思う。
今だからこそ
私の子どもが「安心を得にくいタイプ」(工夫と理解が必要)だと納得できる。
(アキだけじゃなく、うちのASDハルもパニックナツも同様)
その得難い安心を得るために、ある意味原始的でシンプルな方法が
少人数
マンツーマン保育士
の、この療育環境なのかなって思った。
とすると「療育」は
安心の領土を広げ、経験や学習を受け入れる姿勢を作っていこうとする活動なのかもしれない。
たしかに。
訓練じゃなくて発達のサポートだわ。それは。
私は療育関係者じゃないけど
利用する立場としてそう感じた。
あー
だからアキが部外者にダメだしされたとき、療育職員さんは泣いてくれたんだね
私はホント、ニブイな