無責任なヤツの言い放った言葉② | びぃびの暇つぶし

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バツ一同士のアラ還再婚夫婦の日常と旅ログ、認知症の母親を巡るエピソードを不定期に綴ります。


↑こちらの続きです。



母が膀胱癌と診断された時、余命はどれくらいか聞いた。

医師は、顕著な症状(血尿が毎日出るとか)が現れ出したらそこから一年未満、大出血なら半年以内!

その顕著な症状は、このまま治療を行わなかったら数ヶ月〜1年ぐらいで現れるだろうと言われていた。


なので、あの時治療をしていなかったら母は長くて2年の寿命だったと思われる。

手術以外にもBCG注入療法(弱毒化した結核菌を膀胱内に注入して癌の増殖を抑える)を行ったから、5年間も生きることができた。

その間、幼少期を過ごした佐賀へ連れて行く事もできたし、孫やひ孫との思い出も増えたのだ。


確かに認知症にはなってしまったけれど

今から思えば手術の前からおかしな言動はあった訳だし、手術によって進行が早まった可能性は否めないが、

何もしない兄から『手術を受けさせたから認知症になった』と言われる筋合いはない。


私はあのまま放っておいた方が良かったなどとは思わない。

何も知らない兄に伸びた寿命の3年間を否定してもらいたくない。

確かに介護をしていた当時は、母に振り回されて自分を見失いかけたり、精神的に追い込まれた時期もあったけれど、母にとっても私にとってもとても濃い時間だったのだ。


最後は施設へ入ってもらったけれど、母が認知症にならなければ私は母を嫌いなまま見送っていたかもしれない。

認知症が進行していくにつれ、母は子供の様に甘えてくる様になり、そうなると私もいつまでも意地を張り続ける訳にもいかなくなって親のごとく接する様になった。

そうする事でそれまでのイビツな親子関係に変化が顕われ、普通の母娘に近づくことができた。

認知症があったからなのだ。



認知症になったのはお前が手術を受けさせたからだ!

それなのに介護をしたなどと大きな口をたたくな!

大した介護でもなかったのに。



恐らく兄の腹の中はこんな感じだろう。

施設へ入れたのだから大した介護じゃないと言いたいのだろうが



母と私の親子関係も…

精神的な葛藤も…

何も知らない、何もやっていない人に

介護云々を語る資格はない。



決して許せることではないが

かと言って相手にするのも惜しい。



なのでこのまま…

縁が切れたままでいい。