「諦める」という言葉を聞くと、
なんだかマイナスなイメージに聞こえますよね
国語辞典で「諦める」を調べると、「もう希望や見込みがないと思ってやめる。断念する。」というようなことが書かれています。
「諦める」という言葉は、もともとは仏教からきた言葉で、「諦観(たいかん または ていかん)」が語源だそうです。
「諦」という字は、サンスクリット語のsatyaからきており、真理や道理を意味するようです。
「諦観」は、真理を観る つまり、真理をあきらかにするという意味だそうです。
本来の意味である「真理をあきらかにする」とはどういうことだったのでしょうか。
仏教では、「因果の道理」という「すべての結果には原因がある」という教えがあります。
だから、物事がうまくいかない結果には、原因があるのです。
例えば、
大好きな人にアタックしてるんだけど、全然振り向いてくれない…
就職先をずっと探し続けた結果、働きたいところは雇ってもらえず、嫌だと思っていたところが雇ってくれてイヤイヤ働いている…
お金(スマホ)を落とした…
など
うまくいかない…ということがあるでしょう。
多くの人は、うまくいかないと、不安になったり、愚痴を言ったり、人のせいにしたりします。
うまくいかない現実に文句を言ったところで、より一層その現象を悪化さるだけです。
時間とエネルギーの無駄ですよね。
うまくいかなかった原因はすべて自分にあると思って、どうしてそうなってしまったのかを見極めましょう。
真理と道理を考えてみましょう。
もともと、仏教は、すべての人が幸せになれる道を教えています。
ですから、
「真理をあきらかにする」とは
① 現実を受け入れて
② 原因を突き止めて
③ 道理に合っているかを見極めて
④ 次に失敗しないように対策を考えて
⑤ いさぎよく前進
ということですね。
先ほどの例えで「真理をあきらかにする」と、
大好きな人が振り向いてくれないなら、その現実を受け入れ、自分が何をしてきたか、どうしてそうなったのかを考えてみる。
その大好きな人は、容姿だけ大好きで、その人の本当の性格は重視していないのかもしれません。価値観が合わないのかもしれません。相手はあなたにふさわしくないのかもしれません。
追うことを辞めた時に、自分に振り向いてくれない不安や悲しさはなくなります。
嫌な就職先に勤めていて、楽しいですか
どうしてイヤイヤ働いているのでしょうか
何のために働いているのですか
自分で選んで働いているところです。
給料を頂けてありがたい場所、実力を身に着ける場所として前向きになって働き続けるか、
辞めて、自分が楽しく働ける仕事を見つけるかの選択。どちらにせよ、前進あるのみ。
お金やスマホをうっかり落としてしまった!という時も、
まず、現実を受け止め、お金を落としたのなら、「今、お金が必要な人に拾われてください」と前に進む。
スマホを落としたなら、今時のスマホはGPS機能が付いていたりするので、前もって設定してあれば探すこともできるし、ロックがかかるようになっていたり、契約会社に連絡したりできます。常に前に進むことです。
執着することが良くないのです。
私は、「諦める」という言葉は、「手放す」という意味合いもあるのではないか と思います。
私は、物事がうまくいかない時、全く空回りして前に進まない時は、その状況を認め、神が、私には合っていないことをやっているのだ と教えてくれていると思っている。