バイク界の「ロールスロイス」と言われるブラフ・シューペリア。
アラビアのロレンスがこよなく愛したブラフ・シューペリアーー
今も、事故の傷跡が残ったまま展示されるロレンスの愛車
ブラフ・シューペリア(Brough Superior motorcycles)はかつてイギリスに存在したオートバイメーカー。日本では表記のぶれが激しく、ブラフ・シュペーリア、ブラウ・シューペリア、ブラウ・シュペーリア、ブロウスペリアなどとも。単にブラフと呼ばれる場合も多い。
1919年、ジョージ・ブラフ(George Brough 、1890年4月21日 - 1970年1月12日)がやはりオートバイ製造を行っていた父親ウィリアム・E・ブラフ(William E. Brough )の会社から独立する形で興した。
顧客の要望に合わせたカスタムメイドを行ったため、同じ構成のバイクは2つもないと言われた。初めに全ての部品を組立て、そして分解した後に全ての部品の塗装を行い、必要に応じてメッキ加工も施し、再組み立てをして完成した全てのバイクは、ジョージ・ブラフによりテストが行われ仕様に応じた認定がなされた。任意のバイクが仕様を満たしていない場合は仕様を満たすまで再度作り直され、その性能の高さと品質から「オートバイのロールスロイス」とも例えられたが、1940年を最後にオートバイ生産から撤退した。その後は自社マシンのレストアで事業を継続し、第二次大戦中はロールス・ロイスの製造した航空機エンジンのパーツ生産を行うなどもしていたが、戦後イギリスの経済復興が遅れた事もあって、50年代半ばに会社を閉鎖した。21年間で19モデル・3,048台を製造。
ある日、オフィスでの休憩時間のこと。バイク趣味とは接点もなければ、特に興味もないと思っていた後輩のタブレットの壁紙に目が止まりました。
こりゃまたえらくマニアックなバイクだな……と思って聞いてみると、ライトノベルを原作として、コミックやアニメなど幅広くメディアミックス展開されている「キノの旅」という作品の、準主人公「エルメス」だとのことでした。
そう、そのモデルともいえるのが今回の主役であり、世界的な名車として知られているブラフ・シューペリアSS100です。当時の標準を大きく凌駕した品質や性能はどのように生まれ、またどのような歴史的人物と関わりがあったのか紐解いていきます。
ブラフ・シューペリアモーターサイクルズ社は、1919〜1940年の21年間で19モデル、3000台ほどを生産したイギリスの会社です。
生産台数もラインアップも当時のこととしても少なく感じますが、そのいずれもが手作り。しかも二つとして同じものがないといわれるほど顧客の要望を取り入れ、細部にわたってカスタマイズされていたことを考えれば、むしろ多いくらいでしょう。
さらに要求性能や美観を満たせない場合は、何度でも作りなおして顧客の期待に応えたともいわれており、その性能と品質は随一。ブラフ・シューペリアのバイクが「バイク界のロールス・ロイス」と評される所以であり、驚くことにロールス・ロイスからもそう名乗ることを許諾されていたという逸話も残っています。
なお、1920年代には公道で行われることも多かった世界最速を競う競技にも参戦しており、1924年に1929年、そして1937年と3度の世界最速車の栄冠に輝いています。1937年の記録は273km/hと現代のスポーツバイク顔負けの速さです。
ブラフ・シューペリアの中でも特に名高いモデルがSS100です。そのスペックはというと……実は「これだ」といえるものはあまりありません。なにせ前述した通り顧客次第のところが大きいですから。それでも、ごく基本的なところを上げると次のようなものになります。
空冷Vツイン OHV 998cc(サイドバルブのものもあり)
クレードルフレーム
リア・カンチレバー式モノサス
フロント・ダンパー付きスプリンガーフォーク
前後リーディングトレーリングドラムブレーキ(放熱ディスク付き)
現代の常識から鑑みると「なぁんだ」という感じにもなりますが、およそ100年前のバイクであることを忘れてはいけません。
ところで筆者の世代では、SS100で思い浮かぶといえば、やはり「キノの旅」よりも映画「アラビアのロレンス」かもしれません。
そのモデルとなった実在の軍人、トーマス・エドワード・ロレンス氏(※)はブラフ・シューペリアのバイクを何台も愛用していました。うち4台目としてSS100を1925年に入手して以降は同モデルを7台目まで乗り継いでいき、8台目を注文するのですが・・・・・・
7台目のSS100で走行中、自転車の少年を避けようとした転倒事故で脳挫傷を負い、そのまま急逝。8台目を手にすることはついぞありませんでした。
そんなSS100の現代における価値ともなればいわずもがな……とにかくとんでもない!1924年から1940年にかけて400台に満たない数しか作られていないわけですから、オークションでみることもほとんどありません。出品されることがあれば、落札価格は数千万円に達するのも当たり前なくらいです。
庶民には「欲しい」と思うことでさえ恐れ多いのかもしれません(笑)。
そのかわり、現役時代にはお金持ちのガレージに仕舞い込まれていたものが、今では博物館で目にすることはできるようになったというのは事実。そういう意味では少しだけ身近になってくれたといえそうです。