テレビドラマ「コンバット!」でヘンリー少尉役にて日本のお茶の間では有名になったリック・ジェイスン。

度々主演となり、オープニングでは主演の作品ではビック・モローとクレジットが逆になっている。

 

 

名作では第25話「静かなる闘志」。

 

 

自分の知り合いの教授を救出するのにレジスタンスとして活躍する。

第9話「脱出の道なし」

自分を捉えたドイツ軍将校。実はその将校が少尉を利用して亡命を計画する。

 

 

 

 

 

リック・ジェイソン(Rick Jason,1926年5月21日 - 2000年10月16日、本名:リチャード・ジェイコブソン)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市出身の俳優。

マンハッタンの高校を卒業するまでに幾度かの退学を経験。卒業後は銀行家の父の影響でウォール街の証券会社に勤務するが、第2次世界大戦中の1943年から1945年まではアメリカの陸軍に入隊し、陸軍航空隊(現在の空軍)の士官候補生となった。復員後、再び証券会社に勤務する傍ら、GI法(復員兵援護法)の適用でアメリカ演劇アカデミーに入る。2年の研修の後、ブロードウェイの「Now I Lay me Down to Sleep」というミュージカルに配役され、ここでシアター・ワールド賞を獲得したことがきっかけで映画俳優への道を歩み始める。

1953年『君知るや南の国』(原題「Sombrero」)で映画デビュー。その後、何本かの映画に出演する一方、テレビドラマの世界にも進出。1960年に『危険を買う男ロビン・スコット』(原題「The Case of the Dangerous Robin」)でドラマ初主演を務めた。

そして、2年後の1962年に2作目のドラマ主演となる『コンバット!』(原題「Combat!」)のギル・ヘンリー少尉役に起用され、サンダース軍曹役のヴィック・モローと共にドラマの中心を担った。『コンバット!』が第2次世界大戦を扱ったテレビドラマとしては最も長く人気を保ったこともあり、ジェイソンの代表作となっている。

『コンバット!』が日本でも放映されたことから日本でもジェイソンの名は認知された。人気の面では泥臭いキャラクターが共感を呼んだモローに一歩譲った感はあるが、それでもモローとは対照的なスマートなキャラクターで高い人気を誇った。1968年に『鉄砲伝来記』(主演)、1977年には邦画『人間の証明』1983年『小説吉田学校』に出演している。

また、1970年にはイスラエルで製作された『特攻決戦隊』(原題「Eagles Attack at Dawn」)にも出演している。

『コンバット!』の終了後は舞台やテレビドラマを中心に活躍。ナレーターもこなした。

日本のトヨタ・セリカのコマーシャルに出演したことがある。

私生活では結婚・離婚を繰り返し長く独身だったが、5人目の妻シンディと結婚後はようやく家庭も安定した。

2000年にラスヴェガスで行われた『コンバット!』の再会の集いに他のキャストと共に姿を見せたが、すでに末期癌に蝕まれていたジェイソンが公の場に出たのはそれが最後だった。

2000年10月16日、拳銃自殺した。74歳。遺体は荼毘に付され、ハリウッド・フォーエヴァー墓地に埋葬された。

 

ウィキペディアより

 

面白いのは日本映画に何本か出演している点。

1968年の『鉄砲伝来記』。

 

 

天文十二年八月二十五日の朝、種子島近海を烈しく襲った台風のために一隻の大船が種子島西之浦に漂着。種子島時尭は早速異国人を館に招き、日本語の分る明の五峰を介しポルトガル船船長ピントオと語り合った。その時、彼が披露した鉄の捧が、轟然と火を吐き、遠くの石燈籠を撃ち砕いたのには、武勇で鳴る時尭も唖然とするのみだった。金百両で時尭はこれを買うとすぐ、刀工の八坂金兵衛に模造を命じた。金兵衛は弟子の作次と共に鉄砲造りに邁進しだが、二度三度失敗し、筒元が破裂して重傷を負った。加えて大切な預りもの鉄砲まで盗まれてしまった。絶望に暮れる金兵衛は切腹をはかったが、娘若狭の発見が早く一命を取り止めた。父おもいの若狭はピントオを訪ねた。堺の貿易商橘屋又三郎から彼がもう一挺持っていると聞いたからだ。ピントオは若狭の熱意にほだされて、護身用の鉄砲を貸し与え、金兵衛の怪我の手術までした。若狭はこの南蛮人の優しいおもいやりに感動し、二人の心は急速に近づいていった。全快した金兵衛はピントオ、若狭の厚意に見守られ、幾多の困難を克服した。やがて、御前試射の日がきたが、その日はピントオ帰国の日でもあった。いまは、彼の子を身籠もっている若狭もポルトガルへ渡ろうとしたが金兵衛の頑固な反対に彼女は全てを諦めた。金兵衛はさらに若狭の友だちお種に因果を含ませ、胎児をも始末しようと薬をもったが、若狭のピントオを想う心情にうたれ、それだけは認めざるを得なかった。やがて金兵衛は、織田信長に招かれ堺に出、又三郎の世話で刀工たちに鉄砲造りの技術を伝えた。そんなある日、工場が爆発し焼跡から昔盗まれた鉄砲がでてきた。又三郎の正体を知った金兵衛は故郷に帰った。翌年春、若狭を迎えるために再びピントオがやってきた。だが、彼を待っていたのは息子若海をかばい崖へ落ちて死んだ若狭の遺骸だった。ピントオは悲しみに泣きぬれ、この上は若海をと申し出た。身を刻まれる思いでその言葉を聞いた金兵衛は静かに頷いた。それから数日後、はるか水平線の彼方に船影が没したあとも動こうとしない老人の姿があった。

 

このポルトガル船船長ピントオ役。

1983年の『小説吉田学校』ではマッカーサー役。

 

 

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