第261話 道徳律
お父さんが選んでくれた本。
私は「ソフィーの世界」から読み始めた。
かなりの厚みがある。
これを読み切るのには
相当根気がいりそうだと思った。
正直、自信はなかった。
だけど
読み始めてすぐに
ストーリーに引き込まれた。
14歳の少女ソフィーが
あるとき、奇妙な手紙をもらうところから
物語ははじまっていた。
「あなたはだれ?」
「世界はどこからきた?」
本の中では
離れている父親が
手紙とトリックを使いながら
娘に哲学の問いを投げかけてゆく。
「ソフィーの世界」を選んで送ってきたお父さんは
この本を通して何かを伝えようとしているのかもしれない。
そんなふうに
自分とソフィーの姿を重ね合わせ
世界の謎を解き明かすことに一緒に夢中になった。
分厚い哲学書が
ズラっと並んだお父さんの部屋。
お父さんに近づきたい。
お父さんの世界を知りたい。
ページを送る私の手は止まらなかった。
楽屋は個室だったから
心置きなく布団に寝そべって
出番の時間以外はずっと活字を目で追った。
舞台で裸で踊っていたかと思うと
楽屋に戻って哲学の問いと向かい合う。
そんな自分が少し可笑しかった。
「ソフィーの世界」は
ファンタジーでありミステリーでもある。
難しい哲学書とは全然違う。
入り箱細工のように
幾重にも仕掛けがなされていて
ワクワクしながら展開を追っていけた。
「私って一体なんなんだろう」
物語を読み進めながら
その答えに近づけても
自分の影を追い越すことが出来ないように
必ずまた新たな問いが立ちふさがった。
明日の生活には必要のないこと
だけど生きていくためには知っておきたいこと。
私とソフィーは
いくつもの「何故」に
一つづつ向かい合っていった。
とくに印象深かったのはカントの章だった。
カントは
人間には道徳律というものが存在していると明言していた。
道徳律にしたがっている時だけ
人は自由意志で行動することが出来ると。
「考える機会が多ければ多いほど、また考えることが長ければ長いほど
ますます新たに増大してくる感嘆と崇敬とをもって心を満たすものが二つある。
それは『わたしの頭上の星空とわたしのうちにある道徳律』だ」
自分なりの良心や道徳といったものと出会ったばかりの私は
カントの墓石碑に刻まれたこの言葉を知り
なんとも言いがたい深い感銘を受けた。
大昔カントが感じたことと
あの時、私の感じたこととは
同種類のものだったのではないだろうか。
時を超えた真理を
この本の中に見つけられたことは
偶然とは思えなかった。
このタイミングで
こういう形で手にした本の中に
私はまた神様の姿を見た気がした。
ヘーゲルやサルトルの章は
少し難しくてあいまいな理解のまま
ページを送っていった。
数日かかって
どうにか一冊の本を読み上げた。
両手を上げ
思い切り背筋を伸ばした。
楽屋の小さな窓から外の通りを眺め
大きく息を吐いた。
男の子は感じさせてくれたことのない満足感をかみ締めていた。
それから私は
自分でも変わったと思えるくらい
何にでも前向きに取り組めるようになっていった。
仕事にしても
ただお金だけ稼げればいいという考えではなくなった。
一日、4度のステージに
きちんと集中して身を入れて踊った。
柔軟体操を毎日しっかりするようになったし
先輩の姐さんの舞台を見てお勉強させてもらう機会も増えた。
舞台で踊ることは
ストリップといえど自己表現の一形態だ。
そういう発想になったことで
ストリップはとてもやりがいのある仕事になっていった。
私の姿勢がお客さんにも伝わるのか
急激に熱心なファンが増えていった。
その手応えが
また一段と私をやる気にさせた。
好循環になっている。
いい流れにのっている。
恋愛にだけ向かっていたベクトルが
向上心にシフトされたことが自分でもよくわかっていた。
本の影響もあってか
世間や自分自身のことを
肯定的に捕らえられることが出来るようになり
いつも胸を圧迫していた慢性的な不安が薄れていった。
私は一人だったけれど
もう孤独を感じていなかった。
少しづつ
本物の自信が身についていく。
それは今までのような
根拠のないカラ自信ではなくて
きちんと自分の頑張りによって裏づけされたものだった。
少し前までの私は
なまけてズルをして
おいしいところだけをもっていく。
そんな要領のよい人生を目論んでいた。
真面目な人間は損をすると思い込んでいたから。
だけどそれは大きな誤りだった。
一生懸命頑張ることで
自信がつき、何よりも自分自身を好きでいられる。
そのことが
どれほど安定した心でいさせてくれるのか
私は今まで知らなかったのだ。
自分を認めてあげることは
生きていくうえで一番必要なことだ。
その考えは私の中で宝物になった。
私は
自分なりの道徳律に沿った生き方を心がけた。
たしかに
かなり極端に人格が変わってしまったような気もするけれど
何も無理はしていなかった。
人はキッカケさえあれば
あっというまに自分を変えることが出来るのだと思う。
私にとってのキッカケは
ユウからの電話や
お父さんから送られてきた本だったかもしれない。
だけど本当は
ユウとの別れを決意した時
良心や道徳を自分の内に発見したあの時が
充分な準備が整ったという合図だったのだと思う。
ちょうど5月に差し掛かったばかりの
ある晴れた日曜日。
京都の劇場にいた私に
ジイヤから驚きの一報が入った。
更新遅くなってごめんなさぃ。忙しいーーー!
てか、今日のエントリーはなかなかまとまらなかった。書くの時間かかっちゃった。
とりあえず更新するけど手直しいれます; 次くらいから物語は加速! カオス化する予感。
携帯らぶどろっぱーはこちら![]()
