第340話 ひび割れた鏡
出勤前に家のポストを開けると
心待ちにしていた郵便が届いていた。
中にはチケットが一枚だけ入っていた。
『アリーナ ○ブロック ○番』と書いてある。
座席番号は一桁台だった。
今まで誰のライブにも行ったことのない私でも
このチケットがとても価値のあるものだということは分かった。
『レン君、チケット届きました!
これって、もしかしてすごく良い席?
どうしよう、楽しみすぎだよ!!
最近Cubeの曲ばっかり聞いてるよ♪』
嬉しくてすぐにメールを送ると
しばらくしてレンから返信が来た。
『無事届いたみたいで。
席はアリーナ最前だよ。
ところで、こっち来たらホテル?』
『いえ、
久しぶりに東京戻るので
実家に帰る予定ですよ』
『そっか。
最終日だから、打ち上げあるし、会えないけど
ライブは期待してて、最高に楽しませてあげる』
最終日だから、打ち上げあるし、会えないけど
最終日だから、打ち上げあるし、会えないけど
その一文を何度も繰り返し読んだ。
レンはタイミング次第では
また会ってくれる気があるのだろうか。
私はそんな都合の良い解釈をして
「ドキドキするなぁ」と一人ごちた。
それからの私は
ますますCube熱に火がつき
まるで思春期の恋みたいに
寝ても覚めてもレンに夢中だった。
外出中はMDウォークマンを手放さなかったし
家に帰ればライブのビデオやPVをヘヴィローテーションで見た。
Cubeの掲載されている雑誌は、特集のものは当然
ほんの小さな記事が載っているだけのものも全て買い集めた。
店でも指名客に「今日はカラオケルームで飲もうよ」とお願いしては
自ら歌本を開き、Cubeの曲をリクエストした。
だいたいは下手糞でガッカリするハメになったけれど
デブで声量のある田中はそこそこ上手に歌い上げ
ヤツの株は私の中で急上昇した。
俊ちゃんは笑っちゃうくらい音痴だから
とてもCubeの歌を歌ってとは頼めなかったけれど
Moonのオーナーの晃君はプロ並みの歌唱力で
唯一といってもいいくらい私の満足するCubeを歌ってくれる。
晃君の歌が聞きたくてアフターでMoonを使うことが自然と増えた。
ある日の出勤前
雑誌の切り抜きをアルバムに整理していると
寝起きの俊ちゃんが後ろから覗き込んで言った。
「近頃随分Cubeに熱心だね」
何も知らない俊ちゃんは
私がただCubeの熱烈なファンだと思い込んでいる。
私はとぼけて
「レンと俊ちゃんってちょっと似てるよね」などと言って誤魔化しながら
「もう少しだけ髪伸ばせば」とか「眉毛の書き方少し変えてみない?」
と提案しては、俊ちゃんをレンに似せようと密かに努力していた。
『何してるの?忙しい?』
『今スタジオでプリプロ中だよ』
『プリプロって何?』
『音合わせとか、打ち合わせとか、
本番前の全般的なリハってかんじ』
『今日CM見たよ。超イケてるね!』
『あれ評判いいみたい』
いつしか私とレンは
週に2、3度そんなメールのやり取りもするようになった。
メールをするのはいつも私からだったけれど
時差があっても必ずレンは返信をくれた。
昔同じ事務所だったAV女優の瑠菜が
やっぱりヴィジュアル系バンドのボーカルと寝ていた。
Cubeほどではないけれど
かなり知名度のあるバンドのボーカル二人と寝たことを自慢げに話していて
「みっともないなぁ」と私は心の中で薄く呆れていた。
あの頃は
瑠菜のことをなんて尻軽な馬鹿女だろうと思った。
でも、今となっては私と瑠菜の違いなんて見当たらない。
レンともう一度逢ったら… 願わずにはいられない。
キスしたい。抱かれたい。どんな関係でもいい。継続させたい。
もしかしたらロックシンガーなんて
大抵が女たらしで見境ないものなのかもしれないけれど
レンだけはそんな人じゃないと私は何の根拠もなく信じていた。
レンには自由自在に
どんな幻想も重ねることが出来た。
俊ちゃんへの想いは何も変わっていなかったけれど
レンへのトキメキは加速度をつけて増大していく。
私はレンとのメールのやり取りが何よりも楽しみになり
片時も携帯を離さずに生活するようになった。
いつも自然とレンのことを思い浮かべていて
俊ちゃんと一緒にいても上の空の時が増えた。
それをどうすることも出来なかった。
そんな私の変化に
同棲している俊ちゃんが気が付かないはずがなかった。
だけど、俊ちゃんは何も言わなかった。
私も別に悪いことをしているわけではないと開き直っていた。
あの日から
二人の関係はあいかわらずギクシャクしていて
些細なことでも喧嘩に発展することが増えていた。
いつも原因は他愛のないことだったが
俊ちゃんの愛情を確かめたい私が怒ったり泣いたりして
ひとしきりヒステリーをおこすのが常だった。
俊ちゃんの心が見えない。
もう『打てば響く』私の大好きな俊ちゃんはどこにもいない。
そんな焦燥感から私は毎日この言葉を彼にぶつけた。
「ねぇ! 私のこと好き?!」
日に何度も「好き」という言葉を強要する私は
十代の頃のように情緒不安定で
数分おきに気分が変わる最悪の精神状態だった。
私が聞けば俊ちゃんは
「好きだよ」と口では言うけれど
その言葉には何の意味もないような気がした。
ある日、またいつものように喧嘩になり
私がヒステリックに俊ちゃんのことをなじっていると
いつもはじっと耐えている彼が覚悟を決めたように言った。
「まりも、携帯見せて」
「……なんでよ」
「見せれないの?」
「……なんで見たいのよ?」
私は動揺した。
レンとのメールのやり取りは全て保存してある。
「おまえ、ずっと何か隠してるでしょ」
「なっ… 別に何も隠してないわよ! バッカじゃないの!
私のこと疑うなんて、自分の方が浮気でもしてるんじゃないの? どうなのよ!」
傍にあったペットボトルを壁に投げつけた。
逆切れするしかなかった。
俊ちゃんは悲しげに笑った。
全てを諦めたようなそんな顔だった。
「何よ! こういう風になると、いつも黙って! もう私のこと好きじゃないんでしょ!
わかるよ! 俊ちゃん変わったよ!」
「何も変わってない、俺は…」
俊ちゃんの口調と視線には
「変わったのは俺か?」という意味が込められていた。
私はごくりと唾を飲んだ。
「もう! こんな気持ちのまま一緒にいられないよ! 離れようよ!」
私は激昂して言った。
そして、口をついて出た思いもよらない自分の言葉に
我を忘れて「うわーーん」と泣き崩れた。
「おまえが好きだ! 離れるなんて出来ない! なんでそんなことを言うんだ!」
なりふり構わずそう言ってもらいたかった。
昔の俊ちゃんならきっとそう言って、一緒に泣いてくれたはずだ。
感情的になって欲しかった。
俊ちゃんの心を自分のもののように感じたかった。
俊ちゃんは黙っている。
私は俊ちゃんのその無表情がせつなかった。
ひび割れた鏡は決して元には戻らない。
掛け違えたボタンはどこまでいっても掛け違えたままだ。
あの日から俊ちゃんは心を閉ざしてしまった。
騙し騙し二ヶ月以上一緒にいたけれど、やっぱりダメだった。
喧嘩をして
二人とも爆発して膿を出し切れれば良かったけれど
その誘導に私はいつも失敗した。
私があらゆる感情を爆発させる間
俊ちゃんはひたすらあらゆる感情に耐えていた。
私と俊ちゃんには修復不能な溝ができてしまった。
私たちは一緒にいても昔の二人には戻れない。
『もうダメなんだ』
孤独と絶望が胸を締め上げる。
俊ちゃんの気持ちが私から離れていくことを
受け入れられるはずがなかった。
「こんな私のこと嫌いになって当然だよね!
今までよく我慢できたよ! 俊ちゃんすごいよ! もう自由にしてあげる!」
私は泣きながら
狂ったようにプラスチックの衣装ケースに俊ちゃんの私物を詰め込んでいく。
私を止めて! 心の中で叫んでいた。
だけど俊ちゃんは黙って私のすることを見ていた。
俊ちゃんの荷物はプラスチックケース二つ分で納まった。
「いつでも出ていっていいから」
そう言い残して、私は家を飛び出した。
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