第300話 東京
父の厳しい眼差しが私の姿を捉える。
その瞬間少しほっとしたような表情を見せる。
瞳いっぱいに涙をためた母が駆け寄り
私の身体を抱きしめる。
耳のすぐそばで
鼻を啜る音が聞こえる。
母のぬくもりの中で
両親の姿が幻ではないと分かり
ようやく窮地から脱したのだという実感がわいた。
「もう連れて帰ってもいいですね?」
父が警官に尋ねる。
「はい、手続きはすみましたので」
警官が言い終わるのが早いか
父は私の手を引き仙台中央警察署を後にした。
「ご迷惑をおかけしました」
後ろで母の小さな声が聞こえる。
外に出ると
すっかり日が暮れていて
人通りも疎らになっていた。
「お父さん、お母さん、ごめんなさい!
どうしよう! 何から話せばいいんだろう!
そうだ! どうして警察はうちに電話したのかな?
私ね、電話番号教えなかったんだよ? 警察から何て電話がきたの?」
混乱した頭を整理しようと
私は興奮気味に母に尋ねた。
「明子から電話があったのよ。
まりもが仙台で大変なことになってるって。
あんた警察から明子のところに電話したんでしょ?
お母さん、すぐにお父さんに知らせて、お父さんが警察に電話をかけたの。
それで、警察からまりもの様子を聞いて、こっちから保護をお願いしたのよ」
鉄道警察の詰め所で
明子おばさんの家にダイヤルしたことを思い出す。
「……そうか。
警察はリダイヤルでおばさんの家に電話したってことだね?
その後、いきなり中央署に連れてこられて牢屋に入れられたのは
お父さんが私の保護を頼んだからってことになってるのね?」
何が真実で
どこまでが敵の範疇なのだろうか。
「東京に帰ろう」
父が道路に向かって手を上げながら言った。
すぐにタクシーが止まる。
「でもっ! 俊ちゃんはどうしよう?
私が仙台から逃げたら俊ちゃんが殺されるかもしれないの!
ねぇ、俊ちゃんも東京に連れていっていいでしょ?
私、俊ちゃんを助けたいのよ!」
父の広い強靭そうな眉間に皺が寄る。
「まりも頼むよ! いったん東京に戻ろう。
今はお父さんのお願いを聞いてくれ」
「でもね! 私が助かっても
今度は俊ちゃんの身が危険なのよ! 一緒じゃなきゃ嫌!」
私は言い返す。
「おまえの要望に応えるためにも!
とにかく今は家に帰らないといけないんだ。
お父さんは首の皮一枚のところでおまえを助け出せたんだから!
必ずおまえの一番いいようにしてあげるからお父さんを信用しなさい。
いいね?」
父は自分の見解を強調する。
いつも私に無関心だった父が必死だった。
私は黙ってタクシーに乗った。
仙台駅につくと
日中の悪夢が蘇り
再び極度の不安状態に陥った。
両親と一緒でも警戒心が取り払えず
キョロキョロとあたりを見回し
何度も後ろを振り返りながら歩を進めた。
「やっぱりまだ敵がいる!
だいぶ人数が減って目立たないようにしてるけど。
このまま無事に東京に帰れるのかわからないよ! ほら、あそこ見て!」
私は方耳にイヤホンをしている男を睨みつけ
忌々しく爪を噛んだ。
「敵っていったい何のことなの?」
母が我慢できずに尋ねる。
「仙台は諜報員の町なんだよ!
私、大変なことを知ってしまったの。
世の中には隠蔽されてる真実がたくさんあるの!
みんなが知ってる現実なんてほんの一握りなんだよっ!
あぁ、俊ちゃんが殺されてしまったら私はどうすればいいの?
やっぱり私が殺されるべきだったのよっ!」
「まりも! 家に帰ったらちゃんと話は聞くから。 いいね?
今はお父さんが一緒にいるからもう大丈夫だ。 わかるね?
俊君のことも心配はない。 お父さんが責任を持つ!
おまえが望むなら俊君をうちに呼んでもいいんだよ」
父は興奮する私の肩に大きな両手を置いて
丁寧に説得を続けた。
私は口を噤んだ。
新幹線に乗ると
父は自分が着ていた麻のジャケットを
私に羽織ってくれた。
両親が代わる代わる
「もう大丈夫」と優しく声をかけてくる。
父のジャケットは
ハイライトの匂いがする。
目を閉じて
シートにもたれ
その懐かしい香りを嗅ぎながら
私はいつしか眠ってしまった。
東京駅に着き
新幹線から降りると
仙台よりもずっと暑く感じた。
人ごみに押されるようにして前に進む。
なつかしい東京駅。
俊ちゃんと手を繋いでこの場所を何度も通った。
急に俊ちゃんと離れた実感が沸き
このまま二度と逢えなかったらと
不安で堪らなくなる。
もうどうなってもいいから
やっぱり俊ちゃんの元に戻りたいとさえ思う。
俊ちゃん…
今頃どうしているんだろう…
お願い、無事でいて…
八重洲口からタクシーに乗った。
霞ヶ関から首都高速に入る。
私はまだ安心出来ず
サイドミラーで後続車両のナンバーを確認する。
敵に尾行されていないか確かめるためだ。
「お母さん、家に浩一と理沙はいるの?」
私は弟と妹の所在が気になって尋ねた。
「いるわよ。 二人に会うのは随分久しぶりでしょう?
理沙はもう中学に入ったし、浩一も専門学校に通ってるのよ」
「えっ! 理沙もう中学生なんだ? そっか、そうだよね。
私が家を出てから五年たつんだもんね。
そうか… 大丈夫かな…」
「大丈夫って?」
「うん、もしかしてさ…
敵がうちの一家を皆殺しにするつもりなら
帰ったところを狙うんじゃないかと思って…
理沙と浩一は巻き込みたくないよ!
ねぇ、明子おばさんの家に非難させて!」
「……」
母は困ったように父の助けを求める。
「運転手さん!
明日、ガス爆発とかのニュースが出たら警察に通報してください。
家が爆発するかもしれないんです。 犯人は仙台人です。
それと…運転手さん、くれぐれも帰り道、気をつけてくださいね」
「え?」
運転手の不穏な視線をバックミラーごしに受ける。
父が咳払いをして話を遮る。
「すいません…
娘はちょっといろいろあって、恐怖心を抱いているものですから」
高速を下りてからの家までの道のりは
私が住んでいたころのまま何も変わっていなかった。
この閑静な住宅街には
さすがに敵の気配はない。
いまのところは。
タクシーが家の前に停まり
母が会計をすませる。
鉄製の門を開け
玄関に続くタイル張りの道を進むと
和室の窓が開いているのか蚊取り線香の匂いが漂ってくる。
花壇には
色鮮やかなペチュニアが並んでいる。
隣の家の琵琶の木から
蝉の鳴き声がうるさいくらいに響いてくる。
ふと記憶がフラッシュバックする。
家を飛び出した17歳のあの日も
たしか今日のような夏日だった。
こんな風にして
この家に帰ってくることになるなんて。
あの時
私はどうしてあんなに
この家を出て行きたかったのだろう。
私は
何不自由なかった
この場所が憎くて堪らなかった。
この家から出ていきさえすれば
自由になれるのだと信じて疑わなかった。
どうして。
父が家のドアを開けて
私に入るように促す。
長い長い一日の末
ここに帰ってこれるとは本当に思ってもみなかった。
「お姉ちゃん、おかえりなさい」
浩一と理沙が揃って出迎えてくれた。
成長期の二人は
驚く程風貌が変わっていて目を見張った。
五年の歳月。
この五年間私がしてきたことは…。
「ただいま」
私は固い笑顔でこたえ
俊ちゃんのビーチサンダルを脱いで家にあがった。
この章おわりっ! 読む方もしんどかったと思うけどついてきてくれて本当にありがとぉ!
ボーリューム多い章だったぁ。 うん、挨拶文も気合いれて書きます!
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