令和4年 | まりまにっき

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喪中のため新年のご挨拶は失礼させていただきます。

寒い日が続きますね。
お正月はのんびり過ごしました。

会社の方針(今流行のSDGsです)で、社内関係者同士の年賀状挨拶が廃止となり、
年末の年賀状作りの慌ただしさから解放されました。
と言っても年末に祖母が亡くなったので、恩恵を感じるのはまた今年の年末になると思いますが。
喪中葉書を出せなかったので、知らずにいただいてしまった年賀状は寒中見舞いでお返しする予定です。

さて
身バレしたくないので「某」多めで行きます。

昨年、地元主催の某ロゴマークコンペで最優秀賞をいただき、
某ロゴマークとして正式採用されました。

応募のきっかけは、子供が小学校から持ち帰ってきた募集チラシを見たことです。
地元と某外国X市とは姉妹都市関係にあり、某協会はその親交を深めるべく留学生を受け入れたり逆に派遣したりなど様々な活動しています。

チラシには、今年で姉妹都市関係になってXX年ということで
記念事業として協会のロゴを作成することになった。
応募資格は地元在住・在勤・在学の人。と書かれていました。

ここで私の話になりますが、私は小5〜中3まで地元の合唱団に入っており、実は某外国X市にも中2の時に歌を歌いに旅立ったことがあったのです(今思えばこの時もこの某協会が関わっていたのです)。
正直チラシを見た瞬間、これは私がやるべきコンペだ、とすぐに思いました。


応募してから3ヶ月。
採用されましたと連絡を受けた時はものすごく嬉しく、
やはり私がやるべきことだった、と腑に落ちるものがありました。
後から市役所の方に伺った話によると、私のデザインしたロゴには他案の票の3倍近く票が集まり圧勝だったとのことでした。

この地元に生まれ、歌うのが大好きで合唱を始め、某外国X市に飛び立ち歌を歌い、結婚して隣の市に引っ越し子供を設け、その後訳あって地元でまた暮らし始め、子供が学校からチラシを持ち帰ってくる。この中の何か一つでも私の人生から欠けていたら、私はこのコンペに応募していませんでした。

人生って面白いな、と思いました。

全然意識していなかったんだけど、去年は30代2回目の本厄でした。
祖母の認知症、入院、老人施設、病気、死のこと、母の統合失調症や発達障害のこと、
2021年は(も)悩んだし、泣いた一年でした。

祖母の葬儀から数日後に表彰式があり、市役所に行きデザインコンセプト説明と挨拶をしてきました。大勢の人の前で話すのは実はそこまで緊張しません。

合唱団で歌ったり、劇をやっていたこと
中学の文化発表会で、ホールでソロで歌ったこと
卒業式で代表で言葉を述べたこと
子供の保育園で父母会会長として、
運動会や卒園式で謝辞を述べたこと
読み聞かせボランティアで、大勢の子供の前で本を読んだこと
数日前、祖母の葬儀で弔辞を読んだこと

経験は人を強くするというのは誠だと思います。


大人になってから受け取る表彰状は、今まで頑張ってきた自分を認めてくれた証のようでした。


2022年は、心穏やかに過ごしたいと思います。
(周りがそうさせてはくれないかもしれませんが)

本年もよろしくお願いします。