母の誕生日 | スケッチブックと旅をして

スケッチブックと旅をして

シンガポール、フィンランド、ドイツ、スペインのマヨルカ島などに住み、現在ギリシャのロドス島に住んでいます。スケッチブック、色鉛筆、水彩絵の具を持って、日々目に留まったものや旅先で心に残った風景を書き留めています。

母の誕生日、などというかなり個人的な内容になりそうなタイトルだが…


ここ数年は、日本にいる母の誕生日に花を贈っている。ギリシャにいようが、フィンランドにいようが、ネットで注文すれば、ちゃんと母に花が届く。なんとありがたい時代なんだろう。


私が2歳半、妹が産まれて半年の時、ひと足先にニューヨークに行っていた父を追いかけて、母は飛行機で羽田空港を飛び立った。当時はまだ成田空港がなかったのだ。そこからアンカレッジ経由でニューヨークへ。小さな子ども2人を抱えて、生まれて初めて飛行機に乗った母は、まだ30歳になっていなかった。


憧れていた海外生活、留学したくても親に反対され、大学で英米文学を専攻することで満足しようとしていた母。お見合いで父に出会い、「数年以内にアメリカ勤務が決まっています。」と父から聞いた時、この人だ!と即決めたという…まぁ、結婚の決めどころは、人それぞれよね。。


NYで始まった生活。当時はインターネットはもちろんなく、国際電話も高い時代。日本から送ってもらいたいものを紙に書いて、電話が祖母につながったら「海苔、味噌、米!」と紙に書いた欲しいものリストを読み上げたら即電話を切ったのだそう。一時帰国は3年半の赴任期間中、一度だけ会社から許された。憧れていたアメリカに住めたのに、ホームシックで泣くこともあったという。


だから、4年前にコロナでなかなか一時帰国できなかった時、人に同情されても私は何も思わなかった。母の時代の海外生活に比べたら、無料でオンライン通話もでき、物資も簡単に送れるのだ。



今回は青山フラワーマーケットで選んだ、こんなブーケを。



海外に憧れた10代を過ごしたという母だが、旅は嫌いだそうで、ギリシャには私の結婚式のために来てくれたことがあるきりだ。約10年いたフィンランドに来てくれたのも2度。それも、しぶしぶ、という感じだった。自分の娘がこれだけ旅好きであることが、不思議でならないらしい。



一月半ばのロドスにはレモンの実がたわわになり、野生のカラーが咲いている。気温も18度前後と温暖だ。私が花好きになったのは、ガーデニングが大好きな母の影響が大きい。





とある日は、日本から買ってきた白玉粉、茹で小豆と抹茶、アテネから買ってきた抹茶ポッキーで和風スイーツを作ってみた。


子どもの頃、母が白玉を作ってくれたのだが、当時は好きでなく、海外に来てから好きになってしまったのだ。海外で手に入りにくいので、いっそのこと好きにならない方がよかったのだが。



そんなことを描き留めた絵日記のページ。