3.11 あれから9年 | そうなる前の健康指導!九州から西日本を健康で元気に!健康運動指導士|健康経営アドバイザー|フィットネスインストラクター柴田真梨子

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3.11


忘れてはいけないというか
忘れられない日。



数日前、大分県で震度3の地震が
すごく久しぶりに朝方あった時は
本当にびっくりしました。

地震が来るたびに蘇る記憶、それが3.11。






9年前は東京のフィットネスクラブで働いており
東京の震度は震度5強。


その時私は地下にいて
先輩社員といて
すごく冷静に

「先輩、これヤバいですね」
と言い、あ、潰れて死ぬのか。
と思うほど地下がメシメシいってたので
ダッシュで駆け上がり外へ。


外は電信柱が全部異常な揺れをしてたのは
すごくハッキリ覚えてます。




そして同年の8月。
宮城県の女川町へボランティアへ行きました。

以下写真は当時私が撮ったもの。








これどこから流れてきたの?
って思うものもたくさん。




そして自分の背丈以上の津波の跡もあり
ものすごい恐怖感を感じ
鳥肌が止まらなかったのも鮮明に覚えてます。


人の儚さを感じました。




夏場というのもあってか
独特なニオイもありました。
なんのニオイなのか深く考えるのをやめ

黙々とボランティアとしてゴミ拾いしました。







ゴミ拾いをしてると
現地の方々が車の中からとても大きな声で

「ありがとうございます!」
と声をかけてくださった時は


なんとも言えない感情になりました。


本当に計り知れないツライ状況の方々が
大きな声で言うその言葉には

本当に辛さを乗り越えようと
前向きで強いなと思いました。



泣くのは私ではないのに
その言葉の重さで
涙を必死に耐えながらゴミ拾いを続けました。
でも耐えきれず
涙が溢れながらゴミ拾いを続けました。




涙なんか流してないで

頑張って下さい!
そんな一言を言えない自分の未熟さにも痛感。






その時に
何かしてあげたい!
何をしてあげられるのか!

すごく考えたけど
ゴミ拾いくらいしかできず

だったら他にと思い

現地で売ってる物にたくさんお金を使いました。








ボランティアに行こうと言ってきて一緒に行ったのも

現地の人にお礼を言われて真っ先に
「頑張ってください!」と言ったのも

ゴミ拾い以外に何が出来るかと考えた時
真っ先に
ここでたくさんお金を使おう!と言ったのも


東日本大震災が起こって
すぐに家にあるタオルなどをかき集めて
支援物資としてすばやく送る行動も



全部旦那でした。
(当時まだ結婚してません)




少なからずこの
旦那の影響で
私も行動しようという行為ができるようになり
今の私がいる気がする。







時間が経てば色々変わりますが

記憶も薄れていくのも事実。






この記憶は薄れたくないので
しっかり思い出すため、忘れないためにも
今日は書きました。








本当に1日でも早い復興を願います。









大分市内で活動中
フィットネスインストラクター 
柴田真梨子