不死身の花 第五回⑶ | 是日々神経衰弱なり

■セックス
 
あたしの初体験は13歳で、相手は心斎橋でナンパしてきた三つ歳上の高校一年生の彼だった。ちゃんと「付き合って下さい」と告白されてからの交際でした。初めての夜は、痛かったけれど、気持ちが良かったのもあったので、終わった後、ラブホテルのバカでかいベッドの真っ白なシーツに鮮血を認めても、彼はあたしが本当にバージンかどうか疑っていた。
 
いやらしい事は幼稚園からしていたし、途中までならしたことが何度もあるが、セックスは本当に彼が初めてでした。彼のうちは大阪市内でフランス料理店と美容室、理容院を経営していて、両親に、お姉さんの四人家族だった。彼の家に遊びに行ったら、優しくて美人のお母さんと、華やかなお姉さんがとても可愛がってくれた。高倉健似のお父さんは寡黙な方で、その背中にあるという切り傷は、昔、極道に日本刀で切られたものだと彼に教えてもらった。
彼のご家庭では、父権がきちんと機能していたように見えた。彼とはわりと長続きしたが、あたしがほとんど家に帰らなくなって連絡が取れにくくなったのもあるが、少し口うるさく感じていたからだんだん距離を置くようになり、自然消滅となった。この初体験の相手は、あたしが家を出されてから、15、6歳という若さでうちまで来て、父を相手に、あんたは父親の資格のない人でなしで、あたしが可哀想だと罵ったらしい。
 
家から出てしばらくしてから、彼と、彼の友人とミナミでばったり会ったときに、彼の友人がそのことを教えてくれた。驚いて、言葉につまり、胸が一杯で何も言えなかったが、とても嬉しかった。久しぶりに心がじんわりと温かくなった。彼は、そんな事をしてくれていたんだ。心配して家を訪ねたり、探しに行ったりしてくれてたんや。そこらの親分衆にも一目置かれていた父を相手に一人で乗り込み、対等にモノを言って真剣に怒らせ、ついに怒鳴らせて帰って来たらしい。15歳やそこらで、齢60を数える海千山千の男を相手に正論を説き、男と男の話をしたと言うのだからたいしたものだ。これは、父を感情的にさせた15歳の勝ちだ。この衝撃的な内容を聞いた時も感心したが、今思い出してもすごい事だと思う。だって、うちの父親は見た目にすごい迫力があるんだもん。
 
こんな男の子はあまりいない。少なくともあたしは何人も出会わなかった。この頃あたしは、若くて未熟者だったから、彼が心配をして言ってくれることを邪魔くさがった。自分と、うちのことを考えることから逃げたかったのだ。そして、彼から離れてしまった。彼は、あたしと別々になった直後にアメリカへ渡ったと人づてに聞いた。それから約9年の歳月が過ぎ、偶然、あたしが22歳の時に再会。これまた偶然に、あたしの同僚のアメリカ人の女の子と付き合っていたのだった。後に彼らは結婚して子供さんにも恵まれたようだ。
 
星の数ほど男はいるというが、ご縁があって知り合った男性とは食事をご一緒したり、なかにはお付き合いに発展した方も含め、その中でも、こんな一本気な男はいなかった。彼は女を裏切らないし、守ってくれる男だ。若さだけが持つ清らかな愚かさだろうか。もしかしたら、結局あたしにとって初めての恋愛、少女時代の初めての恋の相手が、誰より一番いい男だったのかも知れないな。


■義理。街のルール
 
まあ、なんだかんだと街中で過ごすうちに、お店の関係者とも親しくなるから、時には小さなお願いごともされるようになる。

「あの席にいる人たちが、ぜひマリカと一緒にシャンパンを飲みたいと言っているから、少しだけ座って話してあげて」

一世風靡したパトーナの店長だった福ちゃんは、行くあてのないあたしを寮に泊めてくれたり、そうじゃない時は宿代を幾らかくれて、それでホテルのスイートルームに泊まったりしていた。
 
夜明けに間違えて変な車に乗ってしまい、遠くに連れ去られそうになり逃げ帰ってきた時も、タクシーに乗って福ちゃんのマンションの下まで行き、タクシー代金を支払ってもらったこともあった。そういう義理もあるし、単純に遊びに行った先でお姫様あつかいされるのも心地よくて、

「マリカを紹介してって言うてる人がおるねん。あとで呼ぶから来てくれへん?」

「うん、いいよ」
 
といったようなことが繰り返され、友だちが増え続けていったのもあります。
お姫様あつかいされることが嬉しいのもあったけれど、実は、誰かに求められ、関心を持たれたかったのはあたしのほうだった。まったくそれに飢えていた。だって、たとえまがいものでも、一瞬でも、優しくされたら、必要とされたら、自分も誰かに愛される存在のような気がするじゃないですか。
 
そうやってかっこいい大人の男の人、街の顔役や、有名な遊び人や、御曹司といわれる男の子らと次々に友だちになった。彼らと色っぽい会話や、バカ話をしているその合間にも、VIPルームにはあたし宛の電話がひっきりなしにかかってきた。フロアで踊っている時に電話があると、DJに「マリカ、電話がかかってきているからフロントまで」なんてアナウンスをされることもしばしばだった。
 
いつだったかな、普段なんだかんだと面倒を見てくれる福ちゃんから、

「マリカと話したいって言うミナミのスカウトがおるねん。うちのビルの階上にあるクラブの人やねんけどな、マリカを見かけて、ぜひ紹介して欲しいと頭を下げられちゃってさ。支度金もたくさん出すって言っているし、バンスもオッケーらしいから、明日にでもこの電話番号にかけてやってほしいねんな。会うだけでもいいから、俺の顔を立ててくれ。頼むわ」というお願いをされた。

いいの?あたしが13歳だってことはもうこの街の全員に知れ渡っているはず。で、バンスって何?

「ああ、店がお金を貸してくれるシステム。普通は部屋を借りる資金に充てたり、引っ越し代金にしたり、借金を返したり、そんなもんに必要なお金とちがうかな」

ふーん。


■決別
 
街ではますます狂った遊びを満喫していた。ワイン、シャンパン、タバコ、フェラーリ、フェラーリ、アストンマーチン、ポルシェ、ポルシェ、ベンツ……毎晩違う男の子の車に乗せてもらってドライブをしたり、思いつきで神戸や横浜まで出かけて行ったりもした。船遊び、山遊び、イベントや、ホテルのスイートルームを借り切ったパーティーにも毎回お声がかかった。相撲部屋のパーティー、政治家のパーティーへも。有名人も、芸能人も、アイドルも、ネオンの光の中にあたしを見つけると一緒に遊びたがった。欲しいものは「欲しい」と言わなくてもだいたい手に入った。こうして毎夜のようにスター気分を存分に味わっていた。そして、日が暮れてから、近所の人の目を憚って自宅に帰ると、いつものやつが始まった。
「近所の人たちに何て思われていると思っているのよ!わたしが来たから、とんちゃんがどんどん悪くなっていった、あたしのせいだって言われているに決まってる!中学生が毎晩のように出かけて、朝まで帰らないのはこの家にいるのが辛いからだろうって。きっとそんな陰口を叩かれているのよ。わたしがこのうちに来たから、そのせいでおかしくなったって、近所の人がみんな冷たい視線でわたしを見るんだから。あの子がここにいる限り、これからもずっとよ!」
 
大声で喚き、すすり泣く声。それを父がしばらく黙って聞いてから、ようやく何か一言、二言ボソボソと呟くと、継母のヒステリーは治まっていったのだった。
 
芝居と演出がだんだん過激になるな。この頃になると、階上から漏れ聞こえてくる小芝居が日課のようになり、冷静に聞けるようになっていた。あたしは煙草の先にゆっくりと火を点けて、

「まったくその通りやん。全部ほんまのことやんか。へえ~、世間の人っていうのは、意外に他人の家庭のことでもよく見えているものなんだなぁ。あの人も、自分が近所の人にどう思われているかなんてことを一応気にしているんだ」
 
なんて考えながら一服していたら、いきなり父が降りて来たので慌ててタバコの火を消した。父はあたしの部屋をノックして「いるのか?」とドア越しに問いかけてきた。この人たちはあたしの部屋には自分の用件だけしか言いに来ない。さて、今回は何を告げに来たのか。

「あのね、あんたもこの家にいるよりは外に出て、友だちといるほうが楽しいんじゃないの?ミッチは妊娠している。おまえがいると腹の子が心配だ。この家にいないで友だちの所へでもどこへでも行ったらどうだ。もうこの家から出て行ってくれ」
 
はじめ、父が何を言っているのか分からなかった。そのうち、これは父から一方的にこの家から出て行けと通達されている、と分かった瞬間、ショックで、冴えるともまた違う、なんていうか、頭の中が冷たくなり、自分の感情というものが消えて透明になるような感覚だった。

おまけに妊娠?そう思った瞬間に、ハッとして感情が戻った。そんな事になっていたのか。何ヶ月も会っていないから知らなかったわ。この時は合点がいったというか、霞が晴れたというか、天晴というか。腹が立つとか呆れるとかはなくて、この二人のあまりの薄情さと身勝手さにすっかり感心していた。妊娠しているのか。なるほど、そういうことね。まさに痛みさえ感じない、清々しく感じるくらいの一刀。冷えきった頭の中で様々に思いがめぐる。
 
はじめ、話の内容から、近くにアパートでも借りるつもりなのかなと思ったが、途中から想像した話とまったく違うことが分かった。よく考えると、なるほど、そんなことをしたら余計に世間体が悪くなるわけだし、つまりは自分たちが悪者にならぬようにあたしを追い出して体裁を保たなければならないわけで、なおかつ、家を出たのは不良娘の身勝手ということにし、さらに1円のカネも使わずに追い出したいのだ。父は完全に継母の言いなりで、術中に陥ってしまっていた。あたしは、

「分かった。実の父親から、たった一人の肉親からなにも言わずに出て行ってくれと頭を下げられてしまったら、出て行くしかないわ」
あっさり言ってやった。すると父は、すかさず、

「友だちのところ、行くあてはあるのかい」
だって。この期に及んで何をしゃらくさい。らしくないことを言うな。たった今、13歳の娘に、どこなと一人で行けと言うたその口で。

「そんなこと聞いて何の意味があんの。パパの良心の呵責を軽減するために、あたしに何を言えというの?出て行ってくれとパパに頼まれているあたしから、まだこれ以上、どんなことを言わせて安心したいというわけ?」
そう言うと、父は黙って俯き、あたしから視線を外した。こんな父は初めてだった。すごく腹立たしかった。この人はもうあたしの父ではない。こじんまりしやがって。老いに負けるというのは、こんなにも人を弱らせ、腐らせるものなのだな。心配せんでも出て行ったるわ!

「とにかく分かった。ここから出て行くようにする。でもな、悪いけど今すぐは無理やわ。近いうちに出て行くから」

「わかった……」
 
気の弱い声を出してみっともない。こんな人と違ったのに、みじめで、情けないのはこっちじゃ。おかげで今夜の涙は赤いわ。

偉そうに言ったものの、一体どこへ行ったらよいものか。どこかあてはないものかと頭の中でぐるぐる考える。しかし、実の父にそうまで言われて13歳のあたしにプライドが芽生えた。街からもらったプライドだった。しかしそれも、強い風に吹きつけられれば消え入りそうな、小さな、小さなプライドなのだが。

さぁ、針の筵のようなところでも、法制度として、また一般常識として、未成年者は親元で保護され、最低限の生活を保証されなければならないというあたしが持つ小さな権利が今の今までは辛うじて尊重されていた。これまでは、どこかへ出かけて、数日間友だちの家を気まぐれに転々と泊まり歩いていたとしても、帰りたくなれば戻れる場所があったということ。しかしこれからは違う。
いま父は、13歳の娘のあたしに対し、はっきりと、養育の義務も道義的責任も負わないと宣言したのだ。新しい妻、新しい子供、新しい家庭、新しい家族だけでやりたいわけで、あたしのことは、なかったことにしたいとこう言っているわけだ。それから数日もしないうちに、さっそく継母は自宅の一階で自分の妹と陶器のショップを開店させていた。奥には、すでに事務所と倉庫の準備もしてあった。

「とんちゃんのお父さんと結婚したのは、何にもしなくても、家でのんびりしていても充分なお金をもらえるってことだったからなのよ。でも、後で聞いたら、商売はとんちゃんのお母さんが仕切っていたそうやないの。まったく騙されたわ」

「毎月必ず最低100万円はお小遣いをくれるって言うから一緒になったのに」
 
継母は、父と結婚してうちに来てからというもの、一度もあたしの部屋を訪れるどころか覗いたことすらないくせに、初めて部屋にやって来たのは、あたしが父から出て行ってくれと頼まれたすぐ後。あたしに父への不満を言うためでした。
そうだったのか、父が不甲斐無いばかりに、悪いことしたなぁ……と、(今思うと別にあたしが悪い訳じゃないのに)ものすごく申し訳ない気持ちで一杯になり、何と答えてよいのかも分からず、黙って、ただ頷いているしかなかった。このところ父から洋服の一枚も買ってもらっていないという継母の愚痴を思い出し、『夜の喫茶店』でもらったお給料で、アクアスキュータムやオックスフォードで、麻のスーツやシルクのブラウスといった精一杯のプレゼントをしたこともあった。
 
自分で言うのもなんだが、健気だ。でも、こうやって振り返ってみると、つくづくあたしってバカだなあって思う。しかしそれらの品は、翌日あたしが自室のドアを開けると、そこに見るも無惨なカタチで捨ててありました。無言の拒否と嫌悪。あたしはそのぼろ布となった洋服を拾ってゴミ箱へ捨てた。涙なんか出ない。喜んでもらえたらいいなぁ、などと期待したあたしが悪いのだ。世の中には、わざわざこんな悪辣なことをする人もいるのだと冷静に思った反面、平気でこんなことができる継母をとても怖く感じた。
 
その日、夕方に帰宅した継母を自室のドアから恐る恐る盗み見ると、鼻歌まじりに一階の階段を上がって来るところで、腕にはクリスチャン・ディオールの紙袋がぶら下がっていました。何事もなかったかのように、トントントンと、実に軽やかな足取りで三階へ上がって行った。

父と結婚してからというもの、継母があたしに共有の生活空間に立ち入る事を禁じていたため、ご飯が自由に食べられなかったが、お風呂の時間も自由にならなかった。継母が入浴を終えてからようやく入浴は許可された。彼らがリビングにいるとお風呂場へ行けない。彼らが寝室へ移動した後に、待ちに待ったお風呂場へ行くと、お湯が全部抜いてあったこともあった。寒い夜に、冷えきった風呂場で声を殺して泣いた。惨めで、悔しくて、淋しかった。
 
そして、あたしはますます夜の街に助けを求めて入り浸るようになりました。早朝に真っ赤なフェラーリの助手席から降りてくる中学生のあたしを、近所の人は訝しげに思っていたことでしょう。すると継母は、これを口実にして、父に、あたしの素行が悪いせいで自分が近所の人たちから嫌われ、責められていると言って泣きついた。このままあたしが家にいたら、とてもじゃないがこの家で子供を生み、育てることはできないと訴えて父を脅し、駆け引きをしたのだ。
継母は再婚してからわずか一年足らずであたしから父を奪い、あたしの愛犬チルを捨て、ストレス性の皮膚疾患を発症させるまで虐め抜き、腎炎で入院するまで追いつめ、それでも飽き足らず、独りぼっちになったあたしから最終的に取り上げたのは、あたしの母が唯一遺してくれた家(居場所)だった。
 
継母は、あたしを追い出した後すぐに家を売った。父が生きている間に、なんとしてでも家を売却するつもりだったのだろう。でももし、あたしがあの家にいて、父が家で亡くなったとしたら、どう転んでもあたしに相続せざるを得ない。そうなってからでは、家などを処分してことごとく現金化したい彼女の思惑は難航しただろう。なぜならそんなことには、神戸の異母兄も、異母姉らも、あたしも反対するに決まっているからだ。父は高齢だし、何事も早いうちに進めなければならなかったのだろう。

後で判明したことだが、継母が一番恐ろしかったのは、父の生前に生命保険を何度かに分けて仮払いさせていたことだ。そこまでするかな、と鳥肌が立った。とことんまでお金にこだわり、一切妥協しなかった姿勢に、初めから自分以外の誰にも、ましてや夫の連れ子になど一銭も渡すつもりなどないという強い意志を感じた。父にうまいこと言ってあたしを追い出した後にすぐさま家を売り払い、現金は誰かのポケットに入り、次に父が亡くなって、目に見えるものは残らず処分されてしまい、何もかもがうやむやになり、すべてが彼女の思い通りになった。

あたしの母が亡くなった時は女たちが押し寄せ、どんな権利があるのか形見分けだと抜かして、あたしの目の前で、毛皮やらバッグやら宝石・貴金属を我先にと血眼になって探し回り、奪っていった。次に韓国から異父兄が、母の自筆の遺書とやらを携え家にやって来て、地下室にあった骨董品や絵画、現金など財産のほとんどを持ち去った。遺言書には、あたしには何もなかった。
 
やはり母は、あたしのことなど一切気にかけてくれなかった、何ひとつ考えてくれていなかったのだと淋しく感じた。あたしにだけ何もないのかよ、とちょっと恨めしくも思った。母は本当にあたしの将来などどうでもよかったのだろうか。母にとったら韓国の息子だけが、娘だけが自分の負い目で、心配事だったのかな。そもそもあたしなど生むつもりもなかったような子供だと言われていたし、結局あたしは、生みの母に生きている時と死んだあと、二度捨てられたのだなと感じた。あたしは、生みの母親にさえ、死に際に思い出してもらえず、気にかけてもらえなかった子供なのだ。
そして今、父の再婚相手に、唯一残った家(居場所)を取り上げられ、最後、あたしにとってたった一人の肉親である頼りの父にも捨てられた。
 
母に置いていかれ、父に放り出され、住む家さえ追われて、目に見えるものすべて、何もかもが失われた。頼りになるものは何もなかった。あたしは知恵もお金も家族も言葉も何も持たない無力な子供だった。無力の前に、大人たちが我欲を優先し、皆で寄ってたかってあたしの未来を、人生をめちゃめちゃにした。いつでも決まって一番力のない者が犠牲となるのだ。
 
母からの、父からの、あたしの権利はそのつど誰かが奪っていき、あたしには何一つ残らなかった。母は、大阪の家(居場所)だけは遺してくれていた。しかし、その家さえ、継母に易々と取り上げられてしまった。あたしの母が買ったあたしのうちなのに、あたしに残されたたったひとつの権利なのに、父は13歳のあたしを身ひとつで追い出し、新しい妻に、あたしの母が遺してくれた家をあげてしまった。一体あたしがあなたたちに、ここまでされなきゃならない事を何かしましたでしょうか?あたしがあなたたちにどんな悪いことをした?頭の中で、何度も、何度もこう問いただしてみた。でも、いくら考えても出て来る答えはいつも同じだった。さして理由はない。ただあたしが邪魔なだけ。
 
あたしには初めから親などいなかったように思う。もしかして、生まれる前からいなかったかも知れない。幼いながらに言葉を呑み込み、心の中で、母にむかって、父にむかって叫んできた言葉は少なくはないが、すべては、「なぜ、どうして?」に尽きた。両親のどちらにも要らない子にされ、両親のどちらもあたしのことを軽々と捨てた(どうして?)。手に持っている風船をパッと離すくらい簡単に。こんなふうに捨てるなら、(なぜ)生んだのだろうと、彼らが生きている間も、死んだ後も、声にならない声で、心の中だけで叫び、訴えた。

「もう分かった。あたしはもうこの家から出て行く。ただし、金輪際、パパから一銭のお金も貰わへんから」

「……そうしなさい」
 
そう告げるなり、父が安堵の表情を浮かべたのを見逃さなかった。よう分かった。もういいわ。二度と戻ってくるか、こんな家。しかし、あたしはまだどこかで父が、「やっぱり家にいなさい」と言ってくれるのではないか、などと甘いことを少しだけ期待していたのです。それだけに自分がみじめで、情けなくて涙も出なかった。
 
そしてこのとき、これから何があっても決してここには戻らないと誓った。あたしは厄介者で、実の親に死ねと言われているようなものなのだから。それにあたしは、あたしさえいなくなれば父は幸福になれるんだとも思った。母と温かい家庭生活を築けなかった気の毒な父。あたしの母のせいで、色々と大変だと嘆いていた父。あたしという母の置き土産のせいで、これ以上父が幸せを失ってはならない。父はいま、自分の幸福のために、あたしに出て行ってもらいたがっている。老いてきた父が、老後を不安なく静かに過ごしたいと望むのも無理はない気がした。そう、そのためにはあたしが出て行くしかないのだ。
 
夜の街、とりわけディスコでは人気者でも、ただ一人の肉親からは存在の消滅を希望されている哀れなあたし。
 
どうしよう……行くあてなどない。
 
しかし、これ以上この家にいられないのだから、これでいいのだ。頼れる人も、信用できる大人もいないのは今までと同じ。

唯一の居場所を喪失した。

さあ、今から浮浪児だ。
浮浪児?と言っていいのかな。

13歳。中学生なら何と言う?
 
そして、いよいよ無一文からの(正確には800円くらい所持)、あたしのたった一人のロング&ワインディングロードな旅が始まろうとしていた。

太陽が寝静まったころ、小さなバッグにわずかな荷物を詰め、母の病室を見舞った時に着ていたコートに腕を通した。やけにコートの裏地が冷たく感じた。いつもと同じように、静かに、音をたてないように気を付けて、そっと家を後にした。そしてその夜、あたしは、どこにも行かずに一晩中繁華街をさまよい続けた。月が沈み、街からネオンの灯が次々と消えていく。

やがて朝がやって来て、止まり木のないあたしには歓迎できない朝の光が街の隅々まで照らすだろう。まったく明日が見えない状況に、このままずっと夜でいてほしいと願った。仕事帰りかはたまた享楽を謳歌した後か、疲れた様子のホストやホステスが通りを行き過ぎてゆく。誰もが家路に向かう足取りで、そこに迷いはない。見上げると、藍色のグラデーションがどこまでも続く広い空。薄汚れた繁華街のアスファルトを、ひんやりと照らし始める冷たい太陽に向かい、あてもなく歩き続けた。

この時あたしは、何ごとでもないようにあっさり、速やかに抹殺されてしまったことに気が付いた。これは、ずっと前から父と継母の二人が念入りに計画していたことのように思えてならなかった。近所の人にも、学校にも、あたしが勝手にいなくなったということにされるのだろう。あたしの存在を上手に消した後で、近所とどんな会話が交わされるのだろうか。家を出て一昼夜、冷えきった頭でそんなことばかり思いめぐらせていた。ボタンひとつで簡単に消され、静かに葬り去られる人間の気分を十分に味わった。

何人かの厚意から、そこに連絡を入れたのはそれからほどなくのことでした。

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