今日は、私がTwitterをやめた理由について話します。
もともと、私はそこまでTwitterに依存していたわけではないのですが、大学時代はTwitterを利用していました。
大学時代、講義の中で、多くの若者が裏アカウントを持っていて、そこで愚痴などを吐き出しているということ、そしてネガティブな内容をツイートすることが、現代の若者のストレス発散方法になっているということを知りました。
また炎上するものの多くが、ネガティブな内容のものだということも学びました。
私は、SNSで投稿することでしか、ストレス発散できない人間にはなりたくないと思い、意識をして、ハッピーな内容をツイートしていました。
例えば、ディズニーに行ったよとか、美味しいものを食べたよ!等です。
ですが、ある時、今でも覚えているのですが、相互にフォローしている友達から、私の投稿はいつも楽しそうで、見ていて悲しくなるといわれました。その時に、投稿することの難しさを、私は本当に実感しました。
それまで、ネガティブな投稿は、人の気持ちをネガティブにすると考えていました。
しかし、ポジティブな投稿でも、人の気持ちをネガティブにさせるんだと、その時に知り、そこから私は、何をツイートしていいか分からなくなりました。
もう今は、Twitterをやっていません。
しかし、毎日普通に生活できています。
ニュースは、テレビやインターネットから簡単に情報を得ることができます。
ツイ廃という言葉もありますが、そこまでTwitterに執着する人は、何で執着しているのでしょうか?
習慣にしていることをやめるということは、勇気がいることです。
しかし、やめてみると、そんなに大したことなかったなあと思うこと、そしてやめてよかったと思うこともあります。
例えば、私の場合大学のときの友達が、みんな集まっていて、私だけ誘われていなかったということを、Twitterで知りました。
正直、とても悲しかったです。なんで私は誘われなかったんだろうと、色々考えたりもしました。
知りたくない情報が、見たくない情報が、どうしても目に飛び込んできてしまいますね。
今も、もしかしたらそのような集まりはあるかもしれません。でも私は、もう傷つきません。なぜなら、もうやめたからです。
Twitterをやめられない理由、
友達の近況を知るためと答える方もいると思います。そこまで友達の近況をどうして知りたがるんですか?
あなたはあなた、友達は友達です。
情報を素早く手に入れるためと答える方もいると思います。
推敲されていない、ダイレクトに投稿されている情報、その情報って本当に正しい情報ですか?価値があるものですか?
たくさんのフォロワーと離れるのが寂しいと答える方もいるかもしれません。
そのフォロワーは、現実世界の人よりも大切なものですか?
もし、あなたのアカウントが消されてしまったら、そのフォロワーも一緒に消えてしまいますが、あなたの現実世界の友達は消えません。
リアルな世界で生きること、価値を見出す努力を、みなさんもしてみてください。