こどものアートワークを行っていると、おとなが お子さんに
「終わったの?新しい画用紙は今描いているのを完成させてからにしな。。」
とか言っているのを耳にすることがある。
明らかに今、新しい画用紙に移行しようとしているわけだから、
「終わった」「済んだ」ということがわかる わけだけれど。
本人が「終わった」と言っているのに描くのを続けるよう勧めていることもある。
ただ絵を描いているだけなのに指示が入るって。。??
本人が「終わった」と言っているのだから終わりなのに。
簡単に お子さんの領域に干渉してくる。
そもそも完成ってなに。
それは描いている本人にしか分からないこと。
そもそも完成なんかしなくてもいい。
途中だって。
描きなぐりだって。
飽きて止めたって。
そもそも完成・未完成の判断基準が、
色がついていない = 途中・中途半端 = 未完成
余白が多い = 途中・中途半端 = 未完成
描きかけがある = 途中・中途半端 = 未完成
描きかけのようにみえる = 途中・中途半端 = 未完成
って。。
簡単すぎる。
おとなに「完成の定義は?」と問うても明確に回答できないであろう。
というか実際さほど興味もなく、考えたこともないであろう「それ」を、
こどもに説明できないのに、安易に気安く「完成」を口にしてしまう。
簡単すぎる。
あと、
こんなことも度々ある。
潤沢に画用紙が用意され
「好きなだけ描いていいよ」と伝えているのに
裏に描くよう勧める。
新しい画用紙を渡すたびに
「ありがとうは」と促す。
おとなって黙っていられない。
何もしないでいることができない。
だから 感じれられない。
おとなは窮屈だな。
おとなはこどもに気安い。
そして、おとなは簡単だ。
傍らにベタ付きだけじゃなくて、引いて彼らを眺めてみればいいのに。
って思ったりもする。その光景を。
だって、絵を描くって「ひとり」でやることだし、
だから「ひとり」としてみれる。
そんな「ひとり」の状態で、みんな集まっているのだから。
ありそうでない機会(時間・空間)なのだから。
絵を描くお子さんの まなざし や表情、筆をもつ手のしぐさ。
それを眺めれば感じる。
その存在に「気安く入り込む余地はない」
だって、当の本人たちは「今」絵を描いている最中
「うたがいがない」状態だから。
傍らでおとなが
「わたしは絵の才能ないから」
「絵具を使うセンスないから」
と発していようとも、
彼らは描くことに「うたがいがない」状態だから。
そして
この世に生を享けて年月は さほど経ってはいなくても
「人」だから。
「ひとり」として1人で
経験している「積んでいる」「磨いている」←コレはおとなも同じですよね。
ということが伝わってくる。
そんな、お子さん方を前にして。
おとなって黙っていられない。
何もしないでいることができない。
だから 感じれられない。
おとなは窮屈だな。
おとなはこどもに気安い。
そして、おとなは簡単だ。
って思うよ
本当に。